|
地区 | 校名 | 推薦理由 | 都道府県大会成績 |
北海道 | 帯広南商(北海道) | 1995年から4回、北北海道大会決勝で敗退。あと一歩のところで甲子園出場を逃している。過去15年間の部員総数は183人だが、うち退部は3人しかいない。練習や後片付けは学年に関係なく部員全員で行い、また他校とも合同練習を通じて交流が深い。 | ベスト8 |
東北 | 安積(福島) | 創立、創部とも福島県で最古の歴史を誇る。グラウンドが狭くほかの部との共同使用で、甲子園は未経験だが、常に上位に進出。昨年春の福島大会ではセンバツ8強の福島商を準決勝で破り、優勝。来年度からは男子校の歴史にピリオドを打ち、共学校になる。 | ベスト8 |
関東・東京 | 稲毛(千葉) | ここ数年、夏の千葉大会などでベスト16の成績を残している。昨秋の千葉大会では8強に進出。進学校のため、短時間で効率的な練習を行っている。また選手各自が7年連続で野球への取り組みをつづって作文でコンクールに参加し、特別賞も受賞した。 | ベスト8 |
北信越 | 町野(石川) | 過疎化、少子化が進む奥能登の地で、2002年度生徒募集停止、03年度統合、04年度廃校というスケジュールが決まっている。質量ともに練習もままならない困難な状況で、昨秋の石川大会では、11人の部員で臨んで強豪校を破り、8強に進出した。 | ベスト8 |
東海 | 常葉学園橘(静岡) | 甲子園は未経験だが、1999年の夏の静岡大会で準優勝し、あと一歩まで迫った。昨秋の静岡大会でも8強入り。進学校として文武両道を目指し、部員は毎朝読書に励み、イメージ力をつけさせている。付属の中学校で読み聞かせのボランティアも実践する。<参考:『本を読んで甲子園へいこう!』(ポプラ社 村上淳子)> | ベスト8 |
近畿 | 桐蔭(和歌山) | 創立121年、創部103年の歴史があり、旧和歌山中学時代を含め春15回、夏20回の出場を誇る。進学校でもあることから、近年は部員不足に悩み、昨秋の和歌山大会も16人で臨んだが、見事に8強入り。マナーの良さも他校の模範となっている。 | ベスト8 |
中国 | 境港工(鳥取) | 昨年10月の鳥取県西部地震に直撃され、学校の施設が倒壊したほか、生徒の自宅が半壊したりする被害があった。昨秋の鳥取大会では「がんばれ境港」をスローガンに健闘。準決勝で延長十一回の末に惜敗したものの、被災地に勇気を与える戦いぶりだった。 | ベスト4 |
四国 | 富岡西(徳島) | 創立100有余年の伝統を誇る名門で、「文武両道」を掲げる進学校でもある。過去、春季徳島大会で2回優勝するなどしているが、あと一歩で甲子園出場の機会に恵まれていない。最近では1996年の夏の徳島大会で4強入り。94年の秋季徳島大会でも準優勝。 | ベスト8 |
九州 | 宜野座(沖縄) | 全部員が通学区内の中学の出身で、少年野球のころから一緒に野球を楽しんできた。甲子園経験はないが、昨秋の沖縄大会で強豪校を相次いで破って優勝。九州大会でも健闘し、準々決勝で惜敗したものの、公立校でもできるという勇気を地元に与えた。 | 優勝 |
※青枠は代表校 (毎日新聞社ホームページ『Mainichi INTERACTIVE』より作成。一部加筆・修正 http://www.mainichi.co.jp/entertainments/sports/01senbatsu/kanren/01/13-2.html )
地区 | 校名 | 推薦理由 | 都道府県大会成績 |
北海道 | 鵡川(北海道) | 鵡川町は過疎化が進み、同校は廃校の危機もあった。だが97年、砂川北を3回甲子園に導いた佐藤茂富監督が着任してから志望者が増え、学校全体が活性化。野球部は2年連続で秋季大会8強。有珠山爆発時、虻田高に部員の小遣いから用具の援助をし、自然保護活動にも取り組む。 | ベスト8 |
東北 | 宮城農(宮城) | 創立116年の農業校。朝夕の当番、長期休暇中の実習など時間外学習で練習時間は限られるため、効率のいい練習を工夫している。約10年前から引退した3年生全員が1、2年生の指導に当たることが伝統になっている。また試合では全力疾走を怠らない。 | ベスト4 |
関東・東京 | 土浦三(茨城) | 今秋は23年ぶりに関東大会に出場し、35年ぶりに1勝した。野球部は半世紀以上の歴史があり、夏の茨城大会で2回準優勝し、秋季関東大会に7回出場したが、甲子園の出場経験はない。大学に進学してからも、野球を続ける部員も多い。(その後、部員の不祥事により推薦辞退) | 準優勝 |
北信越 | 長野日大(長野) | 長野県内の私立で屈指の進学校。狭いグラウンドをサッカー部と共用する施設面のハンディを克服するため、考える野球に徹している。部員は地元中学の出身。全員野球で全力プレー、全力疾走を心掛けており地元や学校全体の応援を受けている。 | 優勝 |
東海 | 郡上北(岐阜) | 選手全員が地元の郡上郡の軟式野球経験者で、地域とのつながりも密接。冬季は豪雪でグラウンドは使えず、室内練習場もないが、2年連続で秋季岐阜大会の準決勝に進出。今秋は3位決定戦でノーヒット・ノーランを達成するなど、困難を克服して力をつけた。 | ベスト4 |
近畿 | 彦根東(滋賀) | 滋賀県屈指の進学校。センバツは50、53年の2回出場した。校舎が彦根城内にあるためグラウンドが狭く、部員不足にも悩んでいるが、日々の練習に工夫を凝らし、最近5年間で3回、秋季近畿大会に出場。今秋は36年ぶりの勝利を果たした。野球部創立107年を数える。 | ベスト4 |
中国 | 松江北(島根) | 夏の選手権は第1回からの出場皆勤校で、第80回大会で他の15校とともに入場行進した。今年の国公立大学合格者は2年連続で全国最多の355人。進学模試などのため、練習時間は1日2時間程度だが、集中して練習し、秋季中国大会に2年連続で出場した。 | ベスト4 |
四国 | 八幡浜(愛媛) | 全員が地元中学の出身。練習時間は短いが集中して取り組み、秋季愛媛大会準決勝でノーヒット・ノーランを達成するなど成長した。野球部後援会を中心に地域を挙げた応援を受けている。58年夏、全国大会に初出場したが、西宮球場での試合で、甲子園の経験はない。 | 準優勝 |
九州 | 辺土名(沖縄) | 沖縄の高校では最北にあり、過疎化の影響で生徒不足に悩んでいる。部員は全員が地元出身者でわずか16人だが、学校創立56年で秋季沖縄大会初の準優勝。九州大会でも1勝して、地域の小、中学生らにも自信を与えるなど、地域の活性化への貢献度は高い。 | 準優勝 |
※青枠は代表校 (毎日新聞社ホームページ『Mainichi INTERACTIVE』より作成。一部加筆・修正 http://www.mainichi.co.jp/sports/01shuuki/news/1221_1.html )
地区 | 校名 | 推薦理由 | 都道府県大会成績 |
北海道 | 稚内大谷(北海道) | 稚内市は人口が減少し、同校も生徒数が減っている。野球部は雪で7カ月間グラウンドが使えないハンディを克服し、春・夏・秋の道大会に54回進出。特に夏は北北海道大会決勝まで3度進み、いずれもサヨナラ負けするなど甲子園まであと一歩。老人宅の雪下ろしなどボランティア活動にも熱心。 | ベスト8 |
東北 | 大館鳳鳴(秋田) | 創立104年、創部100年の進学校。部活動は19時までと限られ、球場へランニングで移動するなど創意工夫で補う。大館地区はまだ甲子園出場校がなく、同校が中心となって毎年3月に近県の学校が集まり、練習試合をしている。「野球」の名付け親・中馬庚氏は7代目校長。 | 準優勝 |
関東・東京 | 真岡(栃木) | 栃木県第三中学校として誕生。毎年、現役で100人超の国公立大学合格者数を出す県内有数の男子進学校。1世紀を超える歴史を持つ野球部は「地域社会における高校生の模範となるべき態度を取る」との生徒会のスローガンを実践。甲子園出場はないが、上位に進出している。 | ベスト8 |
北信越 | 柏崎(新潟) | 創立102年の進学校で、新潟県知事の平山征夫氏ら各界に多くのOBを輩出。「文武両道」をモットーに、限られた時間での練習や県外強豪校との積極的な練習試合を通してチーム力をアップさせた。秋季大会では準決勝に進出、15年ぶりに北信越大会にコマを進めた。 | ベスト4 |
東海 | 神戸(三重) | 今秋、今夏と三重大会で準々決勝に進出するなど粘り強く上位に進出している。進学率は90%以上。野球部員も勉強との両立に取り組み、半数以上が国立大学へ進学。グラウンドが狭いため、練習試合はすべて他校に出向くなど、恵まれているとは言えない環境下で工夫している。 | ベスト8 |
近畿 | 橋本(和歌山) | 県内有数の進学校。新チーム結成時には部員が9人以下になることが何度もあったが、常に全力で取り組んでいる。老人クラブと共同で雨傘に交通標語を書いて駅の置き傘にしたり、市民マラソンなどにも参加。裏方として大会運営を手伝い、地域からも親しまれている。 | ベスト8 |
中国 | 隠岐(島根) | 本土から60キロ余離れた隠岐島にある1学年3クラスの小規模校。野球部は89年に軟式から移行した。公式試合などは本土までフェリーで約3時間かかり、しけで船酔いする生徒も。宿泊費などの出費も多大だが、島民に支えられ、「感謝の心」が部の合言葉。 | 優勝 |
四国 | 高知東(高知) | 数年前まで部員不足に悩み、右翼55メートルと狭いグラウンドも他部と共用で使っている。練習試合はすべて他校に出向くなど、決して恵まれているとは言えない環境下で、最近は県内の大会で上位に進出。過去4年間で優勝1回、準優勝1回、4強が6回と急速に力をつけている。 | ベスト4 |
九州 | 直方(福岡) | 過疎化で人口が減少している旧産炭地・筑豊地区の伝統校。部員全員が地区内中学校の出身で、グラウンドを他部と共有しながら九州大会に最近2年間で2度出場した。今秋は1回戦で敗退したものの、投手力は高く評価された。清掃活動など地域活動にも積極的に参加している。 | 準優勝 |
※青枠は代表校 (毎日新聞社ホームページ『Mainichi INTERACTIVE』より作成。一部加筆・修正 http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200212/17/20021217k0000m050154000c.html )
学校での部活動は中等教育の一環である。ここでは高校野球を教育の側面から考えてみたい。
今日、問題となっている「中流崩壊」の根底には「勉強しても学力的にも社会的にも這い上がれっこない」という意識が、成績不良の子どもたちやその親の間で非常に強くなっている。精神科医の和田秀樹氏は、こうなることの理由は2つあるとしている。第1に、日本にある種の序列ができあがってしまっており、勉強をしたところで身分的に這い上がれない社会になってしまったという思い込み。第2に、「勉強すれば成績が上がる」という率直な感覚が失われ、親の学歴が低いから自分もだめだと考えてしまうこと、だと指摘している。1つ目の理由の原因は間違いなく1990年代のバブル景気である。どんなによい大学を出て大企業に就職しても、収入では土地を持っている人間にはかなわないという風潮が生まれてしまったのだ。2つ目の理由は、1つ目のバブルの悪影響を受けて、社会にある種の無気力感が漂っていることが伏線となっている。それが今日の「大学生の学力低下」問題に形を変えてつながっているだろう。具体的にいうと、私立大の少数科目入試や国立大学の後期日程で数学を使わないために、分数や少数といった中学生レベルの問題さえ解けない大学生が増えているのである。
今日では、日本の経済は行き詰まり、少子高齢化で国の構成そのものに変化が起きはじめ、今まででは考えられないような少年犯罪などが発生するようになった。国全体のレベルアップはこれ以上見込めないところまで達し、子供達の中では「やって良いことと悪いこと」の区別が曖昧になってきている。確かに今までのシステムを捨て、何かを変えなくてはいけない時期に差し掛かっているのだろう。
そんな中、文部省(当時、現在は文部科学省)は1992年に学習指導要領を改訂した。「中流」を育成していた従来の制度から一転、各人に「個性」を持たせることを目標としたのである。そして2002年には、子供たちが自分で考え自分で決める能力を育むことをを目指した「ゆとり教育」を導入した。日本的な「横並び体質」からの脱却を目指したものであり、この改革はまさに「中流崩壊」という時代の流れに即したものであるのだ。
文部科学省は70年代後半から、「詰め込み教育」の反省にたち教育改革をすすめてきた。そして2002年度から始まった「ゆとり教育」はその集大成とも言える。
今日の日本においては教育改革が叫ばれている。1章で触れた高校野球などの部活動も中等教育の一環であり、同じように改革の時を迎えている。近年の高等学校が目指している姿の一つに「脱平等」つまり「個性の尊重」が挙げられる。これは2002年4月からスタートした文部科学省による教育改革に沿うものだ。改革の柱は以下の3点である。
まず始めに断っておくが「21世紀枠」は「ゆとり教育」の流れに沿ったものだとする明確な根拠はない。しかし私は、今までの方式を捨てそれまでの核であった学校での勉強(高校野球では実力)以外のことを評価・推進しようという部分に同じ匂いを感じたのだ。
歴代の「21世紀枠」校は、課外活動・文武両道・地理的なハンディの克服などが評価されてきた。およそ野球の実力とは無縁である。しかし、そのような部分を評価されることは人間的な成長に大きな効果があるのではないかと思われる。野球以外の部分に力を注ぐことは選手たちが自発的に始めるというよりはむしろ指導者の影響によるところが大きい。スポーツにおいては、実力が拮抗している場合に最後に勝敗を分けるのは精神力だと言われる。だからこそ指導者たちは自ら(のチーム)を「実力で相手を確実に上回ることができない(=標準な)チーム」と認識した上で他の強豪校を上回るために必死でアイディアを巡らせたことと思う。その他大勢から抜け出そうと考える時点で、そこに「中流」意識が存在するのではないだろうか。
だが、晴れ舞台に立ったという事実は残る。選手たちが今後生きていく上での誇りとなることは間違いないだろう。プレーし終えた後の選手たちの表情は清々しくさえあった。余談だが、今年(2003年)の箱根駅伝には記念大会ということで、自校の大学としては出場できないが個人としての実力を評価された選手たちによる「選抜チーム」が出場していた。スポーツ雑誌『Number』(568号、文藝春秋)によると、プラス面での「仲間のために」という気持ちを持って襷をつなぎきる一方で、彼らはマイナス面での「チームのために」というプレッシャーや伝統に縛られなかった。
「箱根路を10人で走る快楽へ最も気ままにたどり着いたのは、勝敗と記録を素通りした彼らであったのかもしれない」としている。箱根駅伝の例は純粋に実力を評価され機会が与えられただけだが、それでも勝敗最優先の空気が蔓延する今日では「21世紀枠」と並んでスポーツの新しい可能性を示したのではないだろうか。 だからこそ、周囲の人たちは「甲子園出場権を与えてやった」「同じ土俵に上げてやった」というような考えを持ってはならない。これらスポーツの制度は概ね良い結果へとたどり着けたのだろう。スポーツでは「晴れ舞台への参加」という明確なやり方があったが、「ゆとり教育」では色々なやり方を好きにやってよいという放任主義である。制度を作った官僚側も手探り状態なのだろう。最初は仕方ないのかもしれない。だが、スポーツの例に目を向け、良いやり方が出てきたらそれを即座に広め取り入れてほしいと思う。「ゆとり教育」にも新しいやり方による良い成果を期待したい。
広辞苑によると、平等はかたよりや差別がなく、すべてのものが一様で等しいこととある。また反意語として差別が差をつけて取りあつかうこと。わけへだて。正当な理由なく劣ったものとして不当に扱うこと。「−意識」とある。
1960年代に起こった高度経済成長を出発点として産業は発展し、所得水準の向上や耐久消費財の普及など、一般消費者の生活に劇的な変化が起こった。その結果として階級構造が生じた。経済の発展により職業選択の幅ができたことで貧富の差が生まれ、そこに必然的に存在する格差が差別化へとつながっていくのである。
社会的分業の一環としてどの職業も社会的連帯に貢献している点では、貴賤はない。しかし現実には職業相互には、公式・非公式に「社会的距離」が存在し、特定の職業がもたらす報償(経済的・非経済的)に格差が存在し、人々の職業の選好は、当然こうした客観的要件によって規定されることも事実である。(『現代の社会構造』寿里 茂)資本主義の先進国である欧米では身分的な階級が存在した。日本にこれはなかったが、職業的な階級が戦後の右肩上がりの社会・経済成長に伴って登場したのである。生活水準が向上し、所得の格差が生じはじめ、この頃から人々の心の中に「不平等」感(=中流意識)がにわかに生まれてくる。
戦後の高度経済成長期には、「頑張った分だけチャンスがある」という考えが社会全体に存在していた。皆がこの感覚を有していたため人々の間で平等感は強かったのである。
しかし、1990年代に起こったバブル経済を経験しそれが崩壊した後には、多くの人々が持つ者と持たざる者(=自分)の差が生じており「不平等」だという感覚を打ち出した。「平等」意識は「不平等」に形を変えて発展してきたのだ。少数の高額所得者が出る一方でサラリーマンの給与は減少し、チャンスも十分でないという現実を、バブルの夢見がちな雰囲気から現実に引き戻されることにより認識し始めた。感覚自体は人々の間に元から存在したが、不平等の進展にともなって人々の実感を後追いする形で議論は沸き起こった。
1998年に橘木俊詔氏(京都大学経済研究所教授、当時)が著書『日本の経済格差−所得と資産から考える』の中で、「日本社会の賃金格差による不平等は既に現実のものとなっている」と唱えると大きな反響を呼んだ。この本は中流崩壊論争の実質的な火付け役となった。
2000年には『中央公論』や『文藝春秋』が中流崩壊論争のテーマで特集を組み、その後、佐藤俊樹氏(東京大学大学院総合文化研究科助教授、当時)による『不平等社会日本』が出版されて議論はいっそう白熱したものとなった。
同じ頃、苅谷剛彦氏(東京大学大学院教育学研究科教授、当時)が学力の差による世代間の格差から中流崩壊を論じた。
これらの意見に対していくつかの批判的な見解も出現し、この「中流崩壊論争」はあっという間に重要な議論となったのである。
1998年に沸き起こったこの議論は大きく3つの流れに分類することができる。(中央公論による分類)
(1)所得格差から見た中流崩壊(橘木氏)
(2)世代間の地位格差から見た中流崩壊(佐藤氏)
(3)世代間の学歴格差から見た中流崩壊(苅谷氏)
これらは密接に関わっており、どの説が正しいかということは論じる必要は無い。ただ、前述したように20世紀末に諸説が登場する以前から人々は心の中で不平等を感じ始めていたため、すんなりと受け入れられたようだ。
それでは、上記3つの議論を個別に見ていきたい。
京都大学教授の橘木俊詔氏の説である。
ジニ係数という指標を用いて計った所得分配の平等度の変遷をみると、戦後20〜30年間は平等度が高く、1980年頃から不平等が拡大していることが分かった。これは中間所得層のウエイトが減少し、高所得層と低所得層のウエイトが上昇し二極化していることを示している。高度成長期においては北欧や中欧並みに所得分配の平等性が高いと言われていた日本も、現在では、アメリカほどではないにせよ、イギリス・フランス・ドイツ並みの不平等度である。
しかし、この二極化は所得という最も分かりやすい分野以外にも社会階層といわれる職業、教育、資産においても同様にみられる。従来に比べ、学歴の重みが低くなり、親のステータスがそのまま子に引き継がれるようになった。バブル期を経た現在では、高資産もそっくりそのまま子へと継承されるようになっている。階層間での職業移動がなくなり、いわば世襲や遺産相続によって、持つ者と持たざる者の階層分化が顕著になっているのである。
<参考>
ジニ係数・・・総務庁の調査によるもので、家計の所得に対する分配の不平等度を数値化したもの。ゼロの時に完全平等、1の時に1人が全所得を独占するような状態となる。
1970年には0.25程度だったものが、1998年時点では0.28程度まで上がっている。
この「所得格差」については実感からして存在すると私は思う。なぜなら子は親を選べないからであり、一部の例外を除き成人を迎える前後―つまり高校や大学を卒業するあたり―まで子は親に養われるからである。私の親もとても裕福とはいえない。おかげで私は大学まで2時間30分(片道である)かけて県を越えて通っていた。できることなら裕福な家庭に生まれたいとは誰もが思うことであろうが、それは全人類に共通に課せられた逃れることのできない宿命だと思う。極論だが、発展途上国の人たちにおいても大統領や首相が一般国民と同じ生活をしているわけではない。裕福に生まれたかったどころか先進国の国民として生まれたかったとさえ思っているのかもしれない。普遍の真理だからこそ全人類に共通のテーマなのであり、これはもはや事実と割り切って考えるしかないのではないだろうか。
東京大学助教授の佐藤俊樹氏の説である。
日本社会において「中流」は様々な形で語られるが、その「中流」ほど実態がはっきりしないものも珍しい。高度経済成長以後、日本の「中流像」のスタンダードとなったのは、村上泰亮氏の「新中間大衆論」であり、SSM調査というデータを用いて「みんなが中流で少しもおかしくない」という80年代までの社会全体の感覚を見事に表現したものだとしている。
その村上氏の説のその後を最新のSSM調査データを用いて説明している。
佐藤氏の説の要点はこうである。
日本において、企業の管理職・専門職につくことは「よい仕事」の典型であり、収入や地位などから考えてエリートと捉えることができる。
このホワイトカラーになれる可能性であるが、戦前は、父がホワイトカラーである人は、そうでない人に比べて10倍もホワイトカラーになりやすかった。スタート地点でどうしようもない差が付いていたのだ。
それが高度経済成長期になると4倍まで下がっている。「勉強しなければお父さんみたいな人になりますよ」という戯画化された教育ママのセリフがあるように、現実に生活水準の差はあっても、誰もが「自分が頑張りさえすればさらに上の階級になれる」という可能性を持っていた、という意味で日本は「総中流社会」であった。
しかし、現実にはホワイトカラーの父を持つ「ホワイトカラー予備軍」も、最初からホワイトカラーとして働くわけではない。20〜30代での下積み時代があるのだ。その影響を無くすために本人が40〜59歳時点でどのような地位についているかを比べてみると、1936〜55年生まれの人たちの間ではホワイトカラーになれる可能性は戦前並みの格差が出ている。可能性としての「中流」が崩壊しつつあるのだ。
中流崩壊を数値で如実に表すには調査が必要だが、変化の兆しは感じられているはずである。「努力しても無意味なのではないか」という疑念と閉塞感のなかで、新中間大衆は解体しつつあるのだ。
しかし、「中流」のイメージがばらばらなので、あまり突き詰めて考えるよりは社会に及ぼす具体的な影響について考えるべきだ。
具体的には戦後社会を支えた「努力すれば道は開ける」という価値観を崩し、「努力してもたかがしれている」という無気力化が蔓延することである。それは子どもでいうと学校でがんばることの無意味化であり、大人でいうと職場でがんばることの無意味化である。たとえ自分はダメでも子どもには期待をかけるという基盤が消滅しつつある。
別の側面から見てみると、機会の平等が本当に与えられているのかということがある。市場に参加するそもそものスタートラインが平等であるのかということである。上記のデータを見ても、ホワイトカラーになれる可能性は「父親の職業」という本人にはまったく責任のない属性によって、ほぼ1.4倍の格差が生じているのである。しかし、この問題も個人の感覚に頼る部分が大きく、出発点に恵まれなかった人々は、社会がまだ不公平だと思い、出発点に恵まれた人々は、もうすでに公平だと考え、むしろ自分たちの足がひっぱられているとさえ感じている。
社会全体がこのようなムードになると、自分からシステムを下りる人間が大量に出てくるはずである。そうならないためにも、佐藤氏は、「ある程度の社会保障があれば、本人の努力の結果、巨大な貧富の差が生じてもかまわない。だが、その前提となるのは機会の平等である。いや、もと正確にいえば、機械の平等についてのコンセンサスである。何が機会の平等かについて科学的な真理はないとしても、社会の大多数のメンバーがある程度納得できる合意は、競争社会をやっていく上で不可欠だ。」と、本人の責任の範囲内での格差を認めた上で、平等の明確なイメージを確立することを求めている。
私はまだ社会に出て働いたことがないのでこの「地位格差」については実感がないが、それでも地位が異なれば収入の差となって現れることくらいは容易に想像がつく。しかし、1年前に私が経験した就職活動においては顕著であると思えた。不況で就職難の昨今。学歴の価値は薄れ、活躍しているのは「コネと人脈」である。実力できちんと就職する者が大半なので何もこれが全てとは言わないが、「コネと人脈」を持つ者は持たない者よりも苦労をしないことだけは確かである。そしてそれは一流大学卒業者よりも確実に少数であり、スタートラインによる「格差」という意味ではこれが最も感じられる。
東京大学教授の苅谷剛彦氏の説である。
高校生の勉学に対する意欲と、興味・関心が、母親の学歴(ここでは、中卒・高卒・短大卒・四大卒という分類)によってどのように変化するかという1979年と1997年の2回の調査に基づいたデータを用いて、学歴による格差拡大に焦点を当てている。高度成長期に比べて現在は、学習意欲は全般的に低下している。しかしその中で、母親の学歴が低い生徒ほど学習意欲も低く、学歴の高い母親を持つ生徒は学習意欲が高い、という学習意欲の格差が拡大している。1992年に学習指導要領が改訂されて以来おこなわれてきた「自ら学ぶ」意欲や興味・関心の育成を目指す教育改革の成果は散々なものであった。個人の自立と自己責任が求められる中で、現実に進行しているのは、結果の不平等と、機会の平等の大前提となる意欲や努力の不平等なのである。
機会と結果の不平等という事実に目を向けないまま、従来の「ヨコ並び意識」という日本的体質からの脱却を図ろうとするための競争社会の推進は、一部の「勝ち組」の意欲は高められても、不利益の累積とその顕在化から諦めの気分が広がり、全体としての意欲の低下と、社会の階層化が進む可能性がある。個人の自立を図ろうとすることで、横並びの集団主義的制約は解体できたとしても、それに代わって、今度は個人をとりまく階層分化的な制約が強まることになってしまうのだ。機会の平等に目を向けねばならない。
学歴による格差、つまり良い大学を出ているかということである。これについては「以前はあったし、昔ほどではないがあるかもしれない。けれども格差にはなりえない」と言いたい。自分で言うのもおこがましいが私は世間一般に一流大学とされる大学の学生である。しかし、高校まではとても平凡な成績しか修めていなかった。私の出身高校の進路は概ね「大学進学3分の1(その半数以上が推薦入学で楽に合格しようと考える)、短大3分の1(ほとんどが推薦)、就職3分の1」といった全国的に見ても「中流」な学校といえた(偏差値でいうなら50くらいだろうか)。その中においてさえ私はトップには程遠い成績だった。しかし、私は1年間の浪人を経て今の大学に通っている。この1年間は非常に勉強した。「どうしようもないオレだったがみごと受験に成功」といった話はよく聞くし、私よりも上の人(高校のランクは私よりも低く私よりも上の大学を勝ち取った人)もたくさんいるので、受験話などはどうでもよい。ここで言いたいのは、「親の影響によるスタートラインの違いはあっても今日では本人の頑張り次第ではね返すことは可能」だということである。
4章でみた日本社会の格差の現状であるが、3つの流れとも行き着く先は「収入」であるようだ。まとめとしてその観点から高校野球を考えてみたい。
スポーツの世界において「実力」に勝る差はないが、前述したように「収入」との関係から考えてみたい。
まず、野球は他の球技に比べて用具代が高い。ボールと場所さえあればすぐに始められるというわけにはいかないのだ。(別にサッカーを批判したいわけでも嫌いなわけでもありません)
これは野球に限らず言えることだが、日本のスポーツ用品を作る技術は世界でもトップクラスで、日本の高校球児が使っている道具はメジャーリーガーのそれと比べても見劣りしないと言われることさえある。品質が良ければ当然のことだが価格も高くなる。日本人の身体が飛躍的に発達することなど考えられないし、練習方法も(改善の余地はあるが)概ね出揃ってしまっている。今後向上する可能性があるのは用具だけなのだ。より良いモノを使えば発揮される実力に多少の差が出ることも否めないのである。自分の収入がある学生などほとんどいないのだから、親の経済力がまともに響いてくるのである。
そして、前述したが、全国的に見ても公立高校に比べ私立高校の方が野球に関する設備は整っていることが多い。より甲子園に近いのがどちらかは考えるまでもない。両親やチームの監督など周囲の人たちから将来を見込まれた子は私立高校へと進学していくケースが多いのだ。ここでも、公立高校と私立高校では学費その他でかかる費用は大きく異なる。ここでも親の経済力は子供に影響を与えている。
収入による格差は高校野球の世界においては確実に存在するのである。