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5th February 2003

塚谷 悠樹

Yuki Tsukatani




テーマ:「日本のたばこ規制策を考える」

ケース:「EUのたばこ規制策の事例から」




研究動機

私は喫煙者である。
もちろん、年齢的に成人になっており、法律で喫煙を許されている身ではある。

だが、喫煙者では無い人達にとってみれば、喫煙者というのは、非常に迷惑な存在であるように思う。
実際、喫煙する事は周りに害を与えている。

したがって、法律で禁止されていない以上、喫煙者は各自が責任を持って、喫煙をしなければならない。
だが責任を持つとは言っても、現実は非常に曖昧なものとなっている。
そしてそれを取り締まるはずの規制も日本では非常に緩い。

そのような事を考えていくうちに、
「なぜ日本のたばこ規制は非常に緩いのだろう?」
という疑問が浮かんだ。

新聞を読んで、EUではたばこの広告規制を強化する動きがあること、アメリカや日本のメーカーはそれに反発していること、青森県深浦町ではたばこの自動販売機を撤去する条例を出したこと、などを知り、日本の現状は決して世界の常識でも無いし、変える事のできないものでもないことがわかった。

そこで私はEUの規制策を事例として、日本のたばこ規制政策のあり方を考えることにした。そうした考察を通じて、喫煙者としての責任を見つけられれば、と願う。



章立て


第1章 EUたばこ規制法 第1節:EUたばこ規制法とは?
第2節:日本のたばこ規制の現状と世界との比較
第3節:EUたばこ規制法の「可能性」について考える
第2章 たばこの歴史 第1節:たばこの発祥と普及
第2節:歴史から見たたばこの人文学的価値
第3節:日本のたばこ史と日本専売公社について
第3章 たばこの経済メカニズム 第1節:たばこの経済的影響(損失)
第2節:たばこ税の意味
第3節:資本主義社会におけるたばこの役割
第4章 たばこと健康 第1節:喫煙による体への害と警告文
第2節:たばこを吸う理由
第3節:間接喫煙の意味付け
第5章 たばこと政治 第1節:国内的側面から見たたばこ規制策
第2節:現在の日本におけるたばこ規制の問題点
第3節:国際的な側面から見たたばこ規制策
最終章 日本のたばこ政策のあり方 ⇒EUのたばこ規制策を起点として、多方面にわたる要因の考察を総合しながら、
 世界でも遅れていると言われている日本のたばこ規制策について考える。

研究の流れ




第1章 EUたばこ規制法


 たばこ規制策をただ調べるのでは、ありきたりな研究しかできない。そこで最近EUで成立した「たばこ規制法」が、斬新なものであったので、そこを切り口にすれば、オリジナリティーあるたばこ規制策の研究ができるのではないかと考えた。それでは、そのEUたばこ規制法の斬新さとは一体何なのだろう?そもそも、EUたばこ規制法とは何だろう?という事を、この章で研究する。


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第1節 EUのたばこ規制法とは?

 まずは、「EUたばこ規制法」の記事を紹介したい。
たばこによる健康被害を防ぐため、欧州連合(EU)の議会である欧州議会が5月15日に可決、成立した。たばこ会社に、包装箱の表側30%以上、裏側40%以上を割いて「たばこは死を招く」などの警告文の印刷を義務付けたほか、たばこ一本当たりのニコチン、タールなど含有量の許容値を定めた。タールの含有量は2004年以降、現行の12ミリ・グラムから10ミリ・グラムに減らすよう求めている。

 さらに、小箱に「マイルド」「ライト」「低タール」などの表示は、健康への被害が少ないなどの誤解を与えるとして、2003年9月から禁止される。欧州でも主力銘柄「マイルドセブン・ライト」などを販売する日本たばこ産業(JT)は、同法を「商標権侵害」と抗議している。(植)
(2001年6月20日)

(以上、YOMIURI ON LINE より)
上記の記事からうかがえる、EUのたばこ規制法の主な点は、

  @たばこの警告文を厳しくする
  A誤解を招くおそれのある、たばこの銘柄の禁止
  Bタール・ニコチン含有量の規制


の3点であろう。

 この3点において、現在たばこ業界は揺れている。上記の記述にもあるが、「マイルドセブン」の欧州での販売を予定しているJTは、現在抗議中である。たしかにたばこ産業側からしてみれば、大打撃になりかねない政策だろう。
しかし、たばこ規制策としてこのEUの決定を見てみると、これまでのたばこ規制策の壁(後述)を打ち破る「可能性」を秘めているのではないか。特に日本は、たばこの規制が遅れていると言われている。(次節参照)なおさら、このEUの規制策について注目をしてみる必要があるのではないだろうか。


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第2節 日本のたばこ規制の現状と世界との比較

 日本のたばこ規制が遅れているという主張は、日本の喫煙率の高さからうかがえる。世界保健機関(WHO)の最新の数値(2002年10月15日現在)を挙げると、日本の男性の喫煙率は52.8%であり、先進国の中では群を抜いている。またたばこの輸入量は年間835億本であり、これも群を抜いた高さであると言える。女性の喫煙率は13.4%で先進国(G7に限る)の中では最低を記録したものの、「たばこ大国」というイメージはいまだ払拭できておらず、ジュネーブで始まった「たばこ規制枠組み条約」の交渉においても、拘束力の強いたばこ規制策に対して日本は難色を示しているというのが現状である。

 下記の表1とグラフを参考にしてもらいたい。日本における喫煙率は若干の減少をしているものの、目覚ましい減少は記録しておらず、他国に比べていまだに高い数値となっている。また、表2からもわかるように、20年前における喫煙環境(禁煙環境)は改善されてはいるものの、欧米諸国の規制の実態と比較してみると、日本はまだまだ遅れているのがわかる。

<参考>
表1:日本と欧米諸国の喫煙率
国名 男性 女性
日本 52.8 13.4
フランス 40 27
ドイツ 36.8 21.5
イギリス 28 26
イタリア 38 26
アメリカ 28.1 23.5
スウェーデン 22 24
オランダ 37 30
カナダ 31 29
ニュージーランド 24 22
オーストラリア 29 21
シンガポール 31.9 2.7
ノルウェー 36.5 35.5
(1999年WHO調べ)

グラフ:日本の喫煙率の推移

JTホームページより

表2:日本と欧米諸国のたばこ規制比較
項目 20年前の日本(1978) 現在の日本(1996〜1997) 欧米等の今の状況
喫煙率 男性74.8%

女性12.9%

男性56.1%

女性14.5%

男性35〜48%

女性15〜48%

喫煙者 男性2,869万人

女性664万人

男性2,669万人

女性736万人

 
総販売本数 3,011億本 3,483億本  
自動販売機 225,891台 504,460台 イギリスやフランスはほとんどなし
JRなどの駅構内やホーム 制限なし 灰皿多数 分煙または終日全面禁止 EU:公共施設や公共的運輸機関での禁煙決議

フランス:閉鎖空間、屋根付き公的空間で禁煙

イギリス・ノルウェー:病院、学校、交通機関での規制が進む

アメリカ:ほとんどの州で喫煙規制条例・病院、学校、交通機関での禁煙・分煙化が進む

カナダ:公的場所での規制が進む

JRの列車内 新幹線こだま1両のみ禁煙車 新幹線、特急・急行の60%以上が禁煙
病院のロビー 規制なし 国公立病院はすべて禁煙・分煙
銀行・郵便局 灰皿設置 変化なし
自治体のロビー 規制なし 三鷹市、足立区、東京都などが分煙
企業 ごく少数が規制を実施 70%以上が禁煙など何らかの対策をとっているが実態は不明 イギリス:60%以上が禁煙・分煙
テレビ、ラジオのCM 制限なし 自主規制で中止(平成10年4月1日から) フランス、ノルウェーなど:全面禁止 雑誌やスポーツ行事の広告禁止も
自治体の取組み なし 都内では新宿区など12区2市で「ポイ捨て禁止条例」など始まる 各国とも政府が中心となって禁煙または規制を目指して展開中


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第3節 EUたばこ規制法の「可能性」について考える

 これまでの日本のたばこ規制策は、健康面というあきらかに形となって現れる切り口からしか、なされていなかった。たとえば「健康に良くないので控えましょう」などのPRが主流であったことにうかがえる。だが、たばこがファッションや文化として成り立っている以上、いくら健康面への害を訴えても限界があるのではないだろうか。喫煙者がたばこを吸う理由の一つとして、「かっこいいから」などの精神的な一面がある以上、精神面からのたばこ規制が必要となってくると私は考えるのである。
 この点においては、表現の自由における問題も絡んでくるものの、嫌煙者の権利を考える上では致し方ないと言えよう。

 EUのたばこ規制法が、たばこのパッケージや銘柄にまで規制の範囲を伸ばすことは、たばこのファッション性や人々が抱くたばこへの価値観といった、精神面にまで規制をかけることができると言える。しかし残念ながら、今回のEUにおけるたばこの銘柄規制が、主に健康面への害を主張しているという点において、私の考えとは多少のズレがある。(もちろん、健康面への被害を訴えることが駄目だとか無駄だとは言っていない)だがたばこ規制法を考える上で、銘柄に規制をかけることは斬新なアイディアであることに違いはない。したがってEUのたばこ規制法を足がかりに、規制の幅を拡大していけるかもしれないという、たばこ規制策の今後の「可能性」がうかがえよう。  

 EUのたばこ規制法の可決によって、これまでの人々のたばこに対する考え方・姿勢を一変させる道ができた。この規制法を起点に、世界のたばこ規制はどんどん進んでいくものと思われる。したがって、日本におけるたばこの規制も、このEUのたばこ規制法を軸に、考え直してみる必要があるのではないだろうか。

 たばこを取り巻く、歴史・経済・健康の3つの側面を考慮したのちに、政治的考察も含めながら、日本のたばこ規制策について本論で考えてみたい。
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第2章 たばこの歴史


 たばこの規制策について論じる上で、どうしてもこのたばこの歴史について触れてみたかった。なぜならたばこがこれだけ普及したのには、やはりそれだけの意味があるからだと考えたからである。この章はいわば本論とは対をなすような章となるが、そこに生じるパラドックスを見出せれば、と思う。
 また、日本においてなぜこれだけたばこが普及したのかということにも疑問を持った。現段階において難航しているたばこ規制策の足がかりを作った、日本専売公社の実態とともに検討してみたい。


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第1節 発祥と普及

 たばこはアメリカで発祥した。タバコの葉がほとんどアメリカで発見されたからである。しかし、土地によって吸引方法はそれぞれ異なっていた。(吸引方法の種類の紹介は割愛)その後、スペインやポルトガル、オランダなどの侵略によってヨーロッパに伝わる。30年戦争などの国際戦争を経て、たばこ文化は拡大し、融合していったのである。
 ここで注目してもらいたいのが、たばこが普及するにあたっての、たばこの役割である。

 古代の人々の生活は、当然ながら自然の営みと一体のもので、人々は自然と共生し、自然を敬い畏れ、自然の中に神や精霊たちが宿ると信じていた。そして、神や精霊たちとコミュニケーションを図るためにシャーマンたちは、チョウセンアサガオ、メスカル、ピプタデニアなどのような幻覚性の強い様々な植物を利用していたが、タバコの薬理作用はこれらよりは遥かに穏やかなため、精霊たちの大好物、彼らへの最良の贈り物と考えられていた。アメリカ先住民のたばこの使用例についての報告やたばこに関する神話の中で圧倒的に多いのは、葉たばこやその煙を精霊たちに供えて彼らをなだめ、彼らから力を授かり、彼らの好意を当てにする、といったもので、こうした信仰は南北アメリカを通じて広く行き渡っていった。

〜中略〜

 “たばこは精霊たちの大好物"という確信は、もちろん人間自身の経験に基づくもので、たばこは精霊だけでなく人間自身をなだめ、癒すものであった。そしてこの神から与えられた貴重なハーブを大事に扱い、特別なご馳走品として神様やお客などに差し上げ、自分でも嗜むようになっていた。スペイン人がメキシコ盆地に侵攻した当時、人々は、例えば商人が商用から無事帰省できたときや子供が結婚したとき、子供が生まれたときなど、神殿に特製たばこを供え、祝宴では招待客に、花束、チョコレート、食べ物などとともに特製たばこを振る舞った。アステカの最後の王となったモクテスマ二世が、夕食の後にたばこを1本取ってその煙を吸い、間もなく眠りについたと、スペイン人の同席者が記している。また、たばこはよその人を歓迎する貴重な贈り物であった。1492年にアメリカに到達したコロンブスも、まず最初に、親睦の意味を込めてたばこを贈られている。こうして、ヨーロッパ人がやって来るずっと以前からアメリカでは、たばこが創出した他者との出会いを演出し自らも嗜む「癒しとなかだちの文化」が広く普及していたのである。

〜中略〜

アジアにたばこがもたらされたのは、ヨーロッパに渡って少し経った16世紀の第4四半期以降のようで、やはり最初は「薬」として伝えられた。スペインは、まずたばこが生育するメキシコを植民地とし、そこから太平洋を横断してフィリピンに到達して、1571年にはマニラを占領してアジアでの基地とした。そのフィリピンからたばこは1601年(慶長6年)には日本に薬として伝えられているし、ジャワ島などにも同じ頃にフィリピンから伝えられたと考えられている。また、中国でも17世紀初頭には、たばこは呂宋からもたらされた優れた薬効がある薬草と信じられていた。

〜中略〜

こうして1570年代以降、僅か半世紀の間に喫煙の文化は地球を一周する。


以上、TASCHP(財団法人たばこ総合研究センター)のウェブサイトより

 上記のたばこの発祥・普及の記述からわかる通り、たばこはもともとアメリカで発祥し、歴史の過程において全世界に普及した。時代的には、大航海時代後の世界レベルでの貿易が開始された頃に普及されている。しかし、たばこは生活において必要なものだとか、直接的に何かの役に立つものだとは考えにくい。それではなぜ、たばこがこれほどまでに普及したのであろうか?
 私は人々がたばこによって何を求めたのか、ということに注目してみたい。たばこはもともとアメリカにおいては、お供え物として扱われていたし、ヨーロッパにおいてもはじめは貴族階級においてもてはやされた。アジアにおいても薬として用いられた。
 つまりたばこは、神々や貴族に対する羨望の一品などとして始まるが、時代を経て一般大衆のもとに普及し始めた頃から、たばこのイメージは悪くなり始めたものの、いつしか人々が社会への抵抗や現実からの一時的な逃避行を示すものとして、広まったのだろうと私は考える。そして現代においても、喫煙するという行為は若者にとっての一種の社会抵抗なのである。歴史において一貫しているたばこの役割とは、「安らぎ」なのかもしれない。そのような歴史的な過程を見ていくと、次節の人文学的価値が見えてくる。
 ここで注意してもらいたいのだが、あくまで私はたばこの規制策について論じる立場の身であり、喫煙に対して肯定的な意見を述べるつもりはない。だが研究対象としてのたばこを語るうえで、一様に否定的な意見を述べてばかりいても、駄目だと思ったのである。たばこがこれほどまでに普及し、今日において規制が困難を極めるということには、それなりにたばこにも価値があると判断したのである。


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第2節 たばこの人文学的価値

 たばこ規制策の研究をするにあたり、様々なたばこ関連の本を読んだ。禁煙・嫌煙を主張する本が主流の中、なかには愛煙者の本もあった。それらを読んでいくうちに、愛煙者の主張やたばこの価値を見出すことも、スムーズなたばこ規制を行ううえでは必要なことなのではないだろうかと考えた。
 たばこは古くから文化・芸能の小道具として用いられてきた。日本では浮世絵にも登場しているし、アメリカの映画では世をときめく俳優がたばこを吸っているシーンが多々登場する。たばこはそれほど文化と密接に歴史を歩んできたのである。
 粉川宏氏は、『たかが、煙草 されどたばこ』(イーハトーヴ出版)において次のように語っている。
「たばこは、文学や演劇の作品でも、欠くべからざる小道具として生きているではないか。人生においても、である。」
 たばこが文化的価値を持つのだとすれば、喫煙者にとってのたばこは精神の領域にまで及んでいると言っていいだろう。極端に言えば、人が生死の境に常に存在していると仮定した時、喫煙という行為は明らかに死の方向に向かう恐れがあるにも関わらず喫煙者が喫煙をやめられないのは、一種のスリルを楽しんでいるからではないだろうか。死へのスリル、社会への抵抗のスリルが、喫煙者に非日常的な感覚をもたらし、たばこをいつしか「安らぎの一品」としている。そのような幻想的・自虐的な効果こそが、たばこが歴史的に文化と深く結びついた理由なのだろう。
 そのように考えると、たばこの規制は形だけの外圧的なものでは無駄だといえる。


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第3節 日本のたばこ史と日本専売公社

 日本の喫煙率は現在、先進国の中でかなり高いものとなっている。このような高い喫煙率となった背景に、日本専売公社が関係しているのでないかと思い、調べてみた。これまでの日本のたばこ規制策が緩いこととも関係しているかどうかも検討してみたい。

 現在の日本たばこ産業株式会社(JT)の前身が、日本専売公社である。昭和24年6月に発足した。その発足の背景は、明治時代にまでさかのぼる。明治9年に日本において、煙草税則というものが施行される。これはたばこに対して税金(営業税と印刷税)を課す目的のもであったが、時代が時代なだけに税金の徴収はうまくいかず、国家財政上、意義あるものとはならなかった。だが日清戦争を経て日本の国家財政は窮乏化したため、明治31年に葉煙草専売法が成立する。次第にたばこ税の国家財政に占める割合は拡大していき、日露戦争の勃発した明治37年に煙草専売法が施行された。戦争による支出が激しかったにも関わらず、地租以外の税収がほとんど見込めなかったこの時代に、国にとってたばこによる税収の意味はこの上なく大きかった。

 このような仮定を経て、昭和26年6月に日本専売公社が発足する。公務員の労働関係と私企業従業者の労働関係との区別を明確にせねばならなかったこの時代に、日本専売公社は公共企業体(パブリックコーポレーション)という、極めて特異な性格を持つものとなった。終戦後の枯渇した税源において、たばこによる税収は必要なものであったというより、必要なものとしなければならなかった。このように国家目的が要求される以上、国家権力の強力な関与が必要となったのである。そこで、日本専売公社は国家行政組織法上の行政機関ではないものの、事業の国家性に基いて、一般民間の企業とは異なり、特別の制約を受けることになったのである。

 日本専売公社が、上記のように国家による介入を受けたことで、たばこは国家による大衆支配の道具となった、とまでは言わないが、たばこが政治の舞台において重要な役割を担ったことは間違いない。このようなたばこと国家の密接な関係が、現在におけるたばこ規制策の諸問題を引き起こしたのである。だが、日本専売公社は民間企業JTとなり、事実上国家とたばこの関係はなくなったはずである。たばこによる税収ばかりを期待しながらの政治は、世界的に見て既に時代遅れのはずだ。先進諸国におけるたばこ税の意味はもはや、税収への期待ではなく、たばこの規制としての意味を持つものとなった。日本も、歴史的なたばこへの関与を早く振り払うべきなのではないだろうか。


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第3章 たばこの経済メカニズム


 年間約3200億本のたばこの消費量(平成12年度)と約835億本の輸入量(2002年WHO調べ)を誇る日本において、その経済効果を無視することはできない。果たしてたばこは、日本の経済にとってどのような影響を与えているのだろうか(プラスかマイナスか)。また、世界におけるたばこの資本主義的役割(アメリカ中心の世界観)というものはあるのだろうか?その二点をこの章で調べてみたい。

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第1節 たばこの経済的影響

 たばこの値段は日本ではおよそ260円ほどである。この値段をドルに換算してみると、およそ2.47ドルとなる。この値段は、先進各国に比べて低いものである。下記グラフを参照していただければわかるが、イタリアを除くEUの各国はほとんど日本よりも値段は高く、約2倍の値段の国まである。


Yahoo!ヘルスケアのホームページより


 約3200億本という日本のたばこの消費量を売上高に換算すると、約4兆円となる。これは世界でも第3位のマーケットであり、如何に日本が「たばこ大国」であるかを物語っている。安い値段ほど、消費は増える。この単純な公式はたばこにも当てはまり、現実にたばこの値段の低い国ほど、喫煙率・喫煙本数は少ないのである(下記表参照)。したがって、たばこの値段を吊り上げることが、たばこ規制への最短の道であることは間違いない。だが、日本においては、価格の変更はなかなか難しいものとなっている。その足かせとなっているのが、政府のたばこ税への依存やJTとの密接な関係という、矛盾した構造なのである。

たばこの価格と喫煙本数の比較
 年間一人当たりの喫煙本数一箱当たりの価格(セント)
ギリシア364050
ハンガリー326040
スウェーデン1660230
ノルウェー710420
『現代の死の商人』(保健同人社)より


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第2節 たばこ税の意味

 これほどの売上高を誇る巨大な市場ができあがったのは、第2章で書いたように、政府のたばこ政策によるものと思われる。1000本あたりのたばこには7072円の税金(下記表参照)、つまりたばこ税がかかっている。すると一箱当たり約141円の税金がかかっている計算になり、価格の約56%は税金ということになる。
 これを単純計算し、いくらの税収が見込まれるかというと、約2兆3340億円である。ビールの税率が約47%である事を考えると、如何に政府がたばこ税を必要としているかがわかる。

[税率] 1000本につき
国たばこ税 2,716円
国たばこ特別税 820円
都道府県たばこ税 868円
市区町村たばこ税 2,668円
たばこの税金 ページより

 だがこの税収は、実は皮肉な結果を物語っている。
 というのも, 実はたばこが原因の病気による医療費は、この税収に迫る勢いなのである。1993年単年度だけで、たばこによる超過医療費は1兆2000億円(国民医療費全体の4%)にも上る。また、これを含む社会損失全体(たばこによる火災・火災保険、山火事、喫煙休憩による労働損失、道路・鉄道などの吸殻清掃に掛る費用など)は5兆4500億円ほどと予想されており、同年のたばこ税収をはるかに上回る額の経済的な損失が発生しているのだ。
 世界銀行も、たばこの生産は、短期的には消費者と生産者にそれぞれ快楽と利益という便益を与えるが、長期的には医療費の増加と生産性の低下のため、世界経済に重大な損失がもたらされることから、たばこ生産に新たな貸付を行わないことを決定したほどである。
 下記の表は、たばこが原因によるものと思われる病気の医療費の表である。1993年時点の表であるから、現在とは多少違うが、喫煙者の死亡者数は毎年増加傾向にあり、現在の医療費はこの医療費総額を上回り、1兆3000億円〜4000億円ほどであると思われる。

我が国におけるたばこによる超過医療費:1993年試算
疾病名 超過医療費
悪性新生物
高血圧性疾患
虚血性心疾患
脳血管疾患
慢性気管支炎
喘息
胃・十二指腸潰瘍
肝疾患
3267億円
2978億円
1719億円
926億円
102億円
756億円
1770億円
723億円
1兆2241億円
[(財)医療経済研究機構 1997]


 このような数値から、たばこによる経済損失はたばこ税ではまかなえないということがわかる。少なくとも、今の税率では医療費をまかなうどころか、喫煙の抑制の効果もさほど期待はできない。目先の税収に期待しているのみのものである。本来ならば、医療費損失<たばこ税収 となるレベルまで税率を上げるのが最低ラインであろう。
 ではなぜ日本ではたばこの値段が低い(=税率が低い)のであろうか。これには、アメリカを中心とする資本主義社会の目論見が絡んでくる。



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第3節 資本主義社会におけるたばこの役割

 日本におけるたばこ市場は、JT(日本たばこ産業)が中心となっているものの、民営化による専売制の廃止、そして輸入の外国たばこに対する関税の全面撤廃で、その優位性は失われつつある。外国たばこは日本市場で売上を伸ばしてきており、それに対してJTも競争心を燃やすことで、結果的に市場は拡大されてきた。実際1985年度には3108億本だったたばこ市場は、93年度には3326億本にまで拡大したのである。しかしながらそれ以上の飛躍的な伸びは無く、嫌煙ブームが世界で巻き起こっている中、JTは日本国内において経営の多角化を図るようになったのである。その一つとして、食品事業がある。
 JTのこうした経営の動きは、アメリカにおけるたばこ会社のこれまでの動きと似ている。アメリカにおけるたばこ会社は、ほとんどが巨大多国籍企業である。世界に先駆けて「キャメル革命」(アメリカンブレンド革命)や「フィルター革命」を達成し力を付けていったアメリカのたばこ企業は、互いに国内市場で熾烈な競争を繰り広げながら、積極的に世界各地に進出を果たしていった。「TTCs」とは、たばこ多国籍企業群のことを指し、ほとんどがアメリカ・イギリスの会社であることから、資本主義社会の典型であると言っても過言ではない。このTTCは、各国に対してたばこ専売制の変質を求めていったのである。 日本においても、幾度かの段階を踏みながら、昭和62年4月に製造たばこの輸入関税はゼロとなったのである。そして輸入関税がゼロになった機会を捉え、TTCは売上を一挙に伸ばし、その後も着実に日本のたばこ市場を奪いつづけていくのである。 (外国たばこのシェアは昭和59年度2%であったのが、平成8年度には22%にも達している)まさに、アメリカを中心とする世界を作ろうとする、資本主義社会の典型ではないだろうか

 TTCはアメリカの政治にも影響を及ぼす力を持っている。(その力で各国の輸入関税撤廃を達成してきたわけだが)この政治への圧力は、アメリカにおいてもたばこ規制への障害となっており、議会におけるたばこ規制の法案はまず通らないことが多い。しかし、アメリカ国民における禁煙・嫌煙ブームの煽りを受けて、このTTCも事業の多角化を図るようになったのである。それが、食品事業などであった。
 だがTTCは巨大多国籍企業なので、本業であるたばこ販売は、アメリカを飛び出し経済的に貧しい国において進める方針を取っている。まさに「現代の死の商人」と言われる所以ではないだろうか。経済的に貧しい国では、教育が進んでいない事もあり、たばこが害のあるものであるという認識が低い。もちろん政府側も規制策はまだ打ち出していないので、TTCにとっては恰好の市場というわけだ。
 JTは、こうしたTTCの戦略をも踏襲している。アジア各国では日本のたばこが売られており、「マイルドセブン」は人気も高い。

 したがって、一国の喫煙率やたばこ販売本数が減ったからと言って、単純にたばこの規制が成功しているとは言い難い。たばこ会社の戦略こそが、たばこ規制の障害となっているからだ。実際、たばこ会社から議会の議員への献金はあるし、他国への戦略に関しては自国の政府は何も言えない立場である。政府とたばこ会社の密接な関係は、国の発展に欠かせないものであったかもしれないが、たばこ規制を推進するという観点からは、完全に矛盾したものとなってしまっている。


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第4章 たばこと健康


 「あなたの健康を損なうおそれがありますので、吸いすぎに注意しましょう」
 現在日本で販売されているたばこには、上記の注意書きがたばこの箱に記載されている。また、タール・ニコチンの含有量の記載も義務付けられており、最近ではそれらの数値の低いたばこが人気を集めている。これらの記述や数値ははたして、たばこの規制へとつながっているのかどうかをこの章で調べたい。

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第1節 喫煙による体への害と警告文

たばこの煙にはニコチン、種々の発がん物質・発がん促進物質、一酸化炭素、種々の線毛障害性物質、その他多種類の有害物質が含まれています。  喫煙により循環器系、呼吸器系などに対する急性影響がみられるほか、喫煙者では肺がんをはじめとする種々のがん、虚血性心疾患、慢牲気管支炎、肺気腫などの閉塞性肺疾患、胃・十二指腸潰瘍などの消化器疾患、その他種々の疾患のリスクが増大します。  妊婦が喫煙した場合には低体重児、早産、妊娠合併症の率が高くなります。また、受動喫煙により肺がん、虚血性心疾患、呼吸器疾患などのリスクが高くなることも報告されています。  低ニコチン・低タールたぱこの喫煙により健康影響はある程度軽減されますが、肺がん、虚血性心疾患などのリスクは非喫煙者に比べると依然高率です。

低タールたばこは、1964(昭和39)年に米国で初めて開発されました。紙巻たばこの害が公衆衛生総監報告書により認められた年で、「より安全な」たばこへの銘柄変更が促されました。喫煙本数が同じならタール含量の多いたばこより肺がんなどの危険性は下がりますが、非喫煙者よりは依然危険性は高いのです。しかし低タールたばこはニコチン含量も低いため、喫煙者は本数を増やしたり吸い方を工夫してニコチン摂取量を調節する傾向があるので、低タール表示は危険性の低減と必ずしも結びつきません。特に心筋梗塞に対して、低タールたばこは一酸化炭素摂取量が増えるため害が少ないとはいえません。

厚生労働省の「たばこ情報ホームページより

 たばこによる体への影響(害)は、テレビや新聞などを通して広く知られるようになってはいるものの、具体的な知識に欠けるものが多い。単純に「体に悪い」という認識のみが広まり、「どう体に悪いのか」「どのような影響が予想されるのか」といったことまではあまり知られていない。
 たばこの箱に記載されている注意文(上記参照)からも、その曖昧さはうかがえる。海外ではたばこの箱に記載される警告文には様々なものがある。たとえば、カナダの警告文の例を挙げてみよう。

  •  「喫煙は胎児を傷つける」
  •  「たばこ煙は赤ん坊に害を与える」
  •  「僕達に毒をもらないで」
  •  「たばこは卒中の原因になる」
  •  「たばこでインポテンツになる可能性がある」
  •  「喫煙は歯周病や口内の病気を引き起こす」
  •  「たばこ煙のあるところに、青酸ガスがある」
  •  「喫煙はあなたを呼吸困難にする」
  •  「毎年たばこによって小都市の人口に匹敵する人数が死亡する」
    ※画像は「無煙環境ホームページ」より頂きました。(承諾済み)

     日本の警告文に比べて具体性を伴っており、警告文としての役割を果たしているように思える。ではなぜ、日本ではこのような警告文にとどまるのだろうか。
     JTは「たばこと病気の直接的な因果関係は、認められていない」と述べている。しかし、日本も海外も同じ研究データを用いているのに、カナダで販売されているJTのたばこには上記の具体的な警告文が記述されているのである。カナダ人よりも日本人の方がたばこに対する免疫力があるという研究結果などは、あるわけないのであるから、JTの不可解な見解であると言えよう。
     しかも、病気との因果関係に関しては疫学調査の結果も出ており、海外のたばこ会社ではその因果関係を認める会社も出てきている。

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    第2節 たばこを吸う理由

     たばこ問題は、これまで見てきたように、様々な問題をはらんでいる。しかしながら、最大の問題として挙げられるのが、この節で研究する事柄であると言える。つまり、たばこを吸う理由である。たばこは、合法ドラッグとしての位置付けをされている。事実、興奮剤の一種であり、その有効成分であるニコチンは致死性の毒物であるし、生命活動の維持に必須なものではない。こうした特質はまさに、一般的に言われる「麻薬」の定義である。
    つまり、たばこの規制をするという事は、「麻薬追放運動」であるのだ。この点から考えると、たばこの規制は正当な規制であると言える。しかし残念ながら、現実にはたばこの規制をめぐって様々な論争や訴訟が繰り返されており、簡単にはにそのような位置付けを定義づけできないのである。
     このたばこ問題のパラドックスの鍵を握っているのが、「たばこは他の非合法の薬物とは異なり、現状では一定の国家の承認を得ている合法ドラッグの一つである」ということだ。この一見矛盾したたばこの位置付けは、たばこの規制において、「撲滅」という用語を使えなくしている。なぜなら、たばこの合法性と社会的承認とが、そうした言説戦略の有効性を奪っているからである。この為たばこの規制は、「個人の自由」を前面に押し出した「棲み分け」の結論に行き着くのである。つまり、たばこが合法である限りたばこの規制は逆に制約を受け続けるという、パラドックスが生み出されるのである。
     果たして、たばこの問題は「吸う自由」対「吸わない自由」という二極化された問題として扱われていいのだろうか?改めて、たばこの存在そのものに対する法的な見解を見直す必要があるように思われる。  

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    第3節 間接喫煙の意味付け

    環境中たばこ煙(ETS, Environmental Tobacco Smoke)
    ―室内において喫煙者の吐き出す呼出煙とたばこの点火部から立ち上る副流煙が混じり合った総称で、室内空気汚染物質の主たるもの―

    これが間接喫煙の定義である。

     間接喫煙が健康に影響を与えるということは、調査から判明しており、分類上では発癌物質として位置付けられている。この間接喫煙の意味付けこそが、たばこの規制を語る上で必要不可欠であることは間違いない。なぜなら、たばこを規制したがる人(=たばこ規制論者)の大半は、非喫煙者であり、この間接喫煙の被害を被っているからだ。
     間接喫煙がどの程度の悪影響を及ぼすかなどのデータは表やグラフで表すことにして、ここではその間接喫煙の意味付けを中心に、「喫煙する」ということについて考えてみたい。
     間接喫煙のたばこ規制における意味は
     @公的な喫煙規制の導入における役割
     A喫煙者に対して、負のレッテルを貼る役割
    がある。
     喫煙自体に対しての規制は難しくても、この間接喫煙における被害を武器にすれば、たばこ規制論者は話を進めやすいというのが、@における意味である。つまり反たばこ規制論者からすれば、喫煙を規制するということが反論の余地のない明白なたばこ問題になるのである。最近では喫茶店やレストランにおいて、当然のように禁煙席が増えてきた。これは喫煙することを禁止するという意味合い以上に、間接喫煙の影響を考慮した上での対策である。したがって間接喫煙をたばこ問題に持ってくると、論理的な解決への糸口になるのである。そして、喫煙者の喫煙するという行為そのものが反社会的な、迷惑な行為とみなされるようになるのが、Aにおける意味である。上記の間接喫煙の定義において、たばこの煙を環境汚染物質として特定している。したがって喫煙者は環境の汚染源であり、公共場所でも、職場でも、その汚染を規制して清浄な環境を維持しなければならない必然性が生まれるのである。
     こうした分煙・禁煙の徹底は、間接喫煙を表立った理由にすることで、喫煙するということに対しての規制を行う好都合な手段なのである。
     だがこうした規制は、喫煙率の数字をある程度考慮して行っていくべきであると私は考える。なぜなら喫煙率が50%を超えていれば、「喫煙者が大半を占める」という自体であり、民主的観点や産業的観点から考えてみても、マイナスの効果が出てくる恐れがあるからである。したがって、喫煙率がある程度下降した後に行えば、絶大な効果を発揮できるものであると言えよう。


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    第5章 たばこと政治


     これまで、たばこの歴史・たばこの経済における影響・たばこの健康における影響を調べてきた。その結果、たばこを規制するという事は単純な抑制策ではないということがわかった。なぜなら様々な要因が絡み合うことで、不思議なパラドックスが生まれているからだ。たばこを吸うという行為自体を「悪」としても、その行為を止められないという矛盾、そしてたばこ会社とのつながりを断ち切れない政府の矛盾、そのいずれもがたばこ規制において、負の作用をしているという悪循環に陥っている。
     たばこの規制策を考えるには、国内的な側面と国際的側面を考慮せねばならない。なぜならこれまで見てきたように、たばこ市場は国のレベルを超えて発展してきているからだ。しかしながら、具体的なたばこ(特に喫煙するということ)への規制策は一国の政府、もしくは一つの自治体を中心に行っているものが多く、世界全体の政策としての動きは見えにくい。
     まず国内的な側面を見た後で、世界全体ではたばこの規制に向けてどのような動きがなされているのかを見ていきたい。

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    第1節 国内的側面から見たたばこ規制策

     国内におけるたばこの規制策について具体的な政策を挙げてみる。

    1. たばこ税の増税
    2. 広告や宣伝の禁止・規制
    3. パッケージの警告
    4. テレビや雑誌などメディアにおける反たばこキャンペーン
    5. 自販機の撤去など、若者のたばこへのアクセスを統制
    6. 公共の場における禁煙・分煙化の促進

     1と3についてはこれまでの研究の中で触れてきた。特に1は現在増税案が進められている。しかし、前章で述べたように増税による規制はある程度喫煙率が減少してから行う方が効果的であるように思われる。したがって、2〜4の規制策を中心に、たばこへのイメージ転換を図った上で、1や6のような喫煙者に対して実質的なディスアドバンテージが含まれるような項目の規制策を実施していくべきであると私は考える。(詳しくは次章)

     では、実際に一つ一つのたばこ規制策としての意味や効果・問題点について調べてみたい。

    @たばこ税の増税
     この政策は、人々に禁煙を促し、喫煙を始めたり再開したりしないようにすることによって消費を抑制するように企図されている。特に所得の少ない若者に対しては顕著な効果を期待できる。たばこが1箱¥300に値上げされると喫煙者の1割強がたばこを止めると言われており、¥1000に値上げすると6割強が禁煙するという調査結果が厚生労働省のまとめで分かっている。1箱¥1000に値上げすると肺ガン患者の減少による医療費削減に加え、税収増も1兆円を超え、一石二鳥の効果が期待できるという。また、第3章で述べたたばこによる経済の”赤字”は、一箱およそ660円で解消される計算になる。日本におけるたばこ一箱の値段は、先進諸国の中でも低いことを考えれば、増税による値上げはある程度致し方ないことであると思われる。ただし、たばこが中毒的要素をもつことを考えると、徐々に増税していくことは、税収の増加の期待はできるが、喫煙に対する規制の意味合いは薄れてしまうだろう。しかも日本では、たばこが嗜好品であるという位置付けから、たばこ税単独の増税という決定は難しいものとなっている。酒税と共に値上げを実施しているので、なかなか思い切った値上げができないというのが、日本のこの政策における現状である。

    A広告や宣伝の禁止・規制
     この研究の軸であるEUたばこ規制法に、最も近い規制策である。多くの国々で、テレビやラジオなどの電波媒体や印刷媒体、看板、電車の中吊り広告などでのたばこの宣伝は禁止されている。最も早く電波のたばこCMを禁止したのはイギリス(1965年)。それから、アメリカやノルウェーなどの先進諸国が1970年代の半ばごろまでに法律によってたばこCMを禁じた。
     この流れによって、日本では1998年4月1日からたばこ業界の「自主規制」によって電波媒体によるたばこの銘柄広告はストップされた。しかしながら、看板や雑誌などの印刷媒体での広告は増えているというのが現状である。また、ドラマやトーク番組内で人気俳優や人気タレントの喫煙シーンがあるなど、日本ではまだまだ喫煙に関する表示の規制は甘いようだ。
     この規制策については、たばこ会社によるマーケット戦略の意味合いが絡んでくるので、第3節で述べたい。

    Bパッケージの警告
     前章でも述べたように、日本のたばこの箱における警告文は非常に甘いものとなっている。健康への影響を曖昧に伝えているものにすぎず、たばこ会社(JT)の経営上の思惑が顕著に表れていると言えよう。たばこの警告文に対する規制は、私が主張する「たばこの銘柄規制」及び「たばこパッケージのデザイン規制」に直接的につながるものと私は考える。なぜなら、たばこの警告文はたばこの包装に書かれているものであり、たばこの「見た目」に多大な影響を与えるものであるからである。前章で提示したカナダの警告文に至っては、図も入っており、如何にも「この商品は体に悪いですよ」というメッセージが伝わってくるものである。日本でも、警告文に対する指示をもっと徹底すべきであると思われる。

    Cメディアにおける反たばこキャンペーン
     テレビや雑誌などのメディアが人々に与える影響は大きい。これまで喫煙率を増加させる原因を作ったのは、文化的な影響が大きいからだ(第2章参照)。したがって、喫煙率を減少させる力もメディアは持っているのではないだろうか。
     今日、男性の喫煙率が減少傾向を示しているのに対して、女性の喫煙率が増加している背景にあるものは、一つには社会的に女性の地位が向上しているという事が考えられるが、その他にも魅惑的な広告が増えているということが挙げられよう。女性はファッションを気にする事が多い。たばこを吸うという行為(喫煙)が、メディアなどで好意的に取り上げられれば、その行為がいつのまにか正当化されてしまい、一つの流行的な側面を持ってしまうのである。一時的な流行のように喫煙という行為を受け止めてしまえば、喫煙に伴う危険性さえも流行になってしまうのである。しかしながら、たばこは依存性のある物であり、決して一時的な思いだけで始めてはいけないものなのである。
     メディアはこうしたこれまでの経緯を充分に受け止め、社会倫理を保つ役割を果たすべく、反たばこキャンペーンを実施するべきであると私は思う。

    D若者のたばこへのアクセスの規制
     青森県深浦町では、2001年3月12日に「自動販売機の適正な設置及び管理に関する条例」が制定された。これは、青少年の健康被害の防止と健全育成を目的に、たばこなどの自販機の屋外設置を禁じる条例である。罰則規定はないが、撤去しない設置者には、町長が必要な勧告を行い、正当な理由がなく従わない場合は、氏名を公表することにしている。
     しかし、深浦町ではこの条例が施行された後も、屋外に自動販売機が設置されているという状況は変わっていない。むしろ、商店街の人々はこの条例に対して反発しているというのが実状である。
    この事からも分かるように、日本におけるたばこへの経済の依存度は非常に大きい(第3章参照)。特にこれだけ自動販売機が乱立する社会(日本には約50万台の自動販売機があると言われる)で、何の補償も無しに自動販売機の撤去を指示する事は難しいだろう。  しかしながら、若者のたばこへのアクセスを規制する事は、長期的観測からすれば、喫煙率の減少につながる。無理な規制を強制して、喫煙者の反発を買うよりは、新たな喫煙者を作らせないようにする事のほうが、現実的には効果的な問題対処法と言えるからだ。(もちろん、全国民の健康を考えるべく、喫煙者に対しての規制を考える必要もある)
     したがって、自動販売機の撤去が社会的にできないのであれば、せめて設置場所に対する規制などを実施していくべきである。

    E禁煙・分煙化の促進
     私が通う早稲田大学は昨年(2002年)から分煙化された。喫煙者は白線で囲まれた区間でのみ、喫煙することができる。キャンパス内では歩きたばこは禁止され、喫煙者にとっては居場所が狭くなったと言って良いだろう。学校だけでなく、レストランや喫茶店・駅や空港などの公共施設でも、禁煙や分煙は進んでいる。自治体によっては、歩きたばこやポイ捨てに対して罰金を課すところも急激に増えている。社会全体を見渡すと、喫煙者の行動範囲はかなり狭くなった。
     だがこうした規制策は、あくまで喫煙者と非喫煙者を分ける政策であり、環境への配慮が主だった目的である(第4章参照)。直接的に喫煙を規制するという効果はあまり無い。だが、社会全体でこうした傾向を示せば、自然と喫煙者は生活空間の狭さに息苦しさを覚え、喫煙を自粛する可能性があるだろう。
     ただし、経済的な影響を考慮する必要もある。禁煙・分煙化したお店は、客層が変わることで、売上の低下が懸念される。自治体や商店街が一丸となって取り組まなければ、継続的な実施は難しいかもしれない。また条例などによる歩きたばこの禁止も、法的な拘束力は無いので、国全体での統一的な規制策が実施されることが望まれる。


     以上の6項目が、たばこを規制するに当たって考えられる主要な項目である。その内容・効果を考えると、6項目同時に実施する事は難しいものであるし、同時に実施する意味もあまり見受けられない。その国の実状や習慣を考慮して、段階的に実施されるのが望ましいだろう。日本におけるたばこ規制策のあり方は最終章(次章)に委ねるとして、現在の日本におけるたばこ規制の問題点について考えたい。


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    第2節 現在の日本におけるたばこ規制の問題点

     これまで見てきたように、日本では政策は「指導」「自発的コンセンサス」が求められており、強制というやり方はあまり見受けられない。もちろん、強制的に政策が行われれば、喫煙者やたばこ会社からの猛反発が予想される。しかし、アメリカのいくつかの州やEUの現状は、法的な強制力を持つ規制策が実施されており、日本も、そのような強い規制策が必要となってくるだろう。
     ではなぜ日本では、強い強制力を持った規制策が実施されないのだろうか?
     これは、第2章と第3章で見たように、政府とたばこ会社のつながりが原因ではないだろうか。政府はJT株を三分の二以上保有しており、筆頭株主である。つまり、たばこ会社の背後には政府がいるのである。
     また、たばこ会社は様々な文化的組織や大衆雑誌に支援をしており、たばこ規制策に対するバリケードを作っているのである。

      もう一つの問題点として、日本では他国以上にたばこの健康への影響を懸念する意識が低いということが挙げられる。教育によって、たばこが体に悪影響を与えるものであるという認識はあるものの、危機感は抱いていないというのが日本における喫煙者の実状である。その証拠に日本では、医師の喫煙率が高いと言われている。この点に関しては、第2章で取り上げた、たばこの文化的側面が深く絡んでくる。また、「健康に悪いから吸う」という自虐的な意識も働いているのだろう。こうした文化的側面に対する規制を行うのは非常に難しいと言える。実際、オーストラリアでは強い規制を実施しているにも関わらず、成人のほぼ30%がまだ喫煙をしているのだ。つまり文化的要因は、たばこ規制策の根本にある最重要問題点なのである。

     結論として、たばこの規制を非常に難しくしている大きな要因は、「たばこ会社の存在」と「文化的側面」であると言えよう。



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    第3節 国際的な側面から見たたばこ規制策

     たばこ会社は世界的な巨大多国籍企業であるという事を第3章第3節で述べたが、実際、中国市場を除く世界のほとんどの市場を支配しているのは、アメリカ合衆国(フィリップモリスやRJR)や日本の日本たばこ産業などの10足らずの企業(以下TTC)なのである。TTCは、果敢なマーケティングと非常に目立つ広告活動で他国−特に共産主義国や後進国など規制の進んでいない国々−に参入している。
     教育と喫煙の関係から、多くの国々で共通の喫煙パターンが見られる。それは、国が裕福になるに連れて、男性が喫煙を始め、間もなくジェンダー間に大きな差が生じる。次に少数の女性が喫煙し始める。その後、男性の喫煙率が低下すると同時に、女性の喫煙率が上昇する。つまり、「成熟した」市場では、ジェンダー差は完全に消滅すると言える。
     この点から考えると、日本ではジェンダー差はまだ非常に大きいと言えよう。
     そして、たばこが関係する疾病は潜伏期間が長いため、死亡率の大きな増加は、かなりの割合の国民が30年以上喫煙して初めて起こるというデータがある。合衆国では1950〜60年代にその頂点に達した。日本では1980年代後半にその頂点がようやく現れたと言える(現在では肺癌による死亡数は、胃癌よりも多い)。
     こうした喫煙率と疾病率の関係を見てみると、見事なまでにTTCによるマーケティング戦略の意図がうかがえるだろう。つまり、「成熟した市場」である先進国でのマーケティングは現在では収束に向かっており、後進国へと矛先を向けているのである。事実、間もなく世界における喫煙による死亡数の三分の二は発展途上国と言われる地域で生じるというデータが出ているのである。

     私は「日本における規制策」をテーマに研究をしているわけだが、こうしたTTCによる戦略への規制、つまり国際的な側面を持った規制策というものも、今後の規制策には必要であると考える。なぜなら、TTCによるマーケティング戦略の結果、更なる強大な力をTTCが持ったならば、自国における規制策にも影響が出るであろうし、何よりも禁煙・分煙社会こそが現代のグローバルスタンダード、もしくはデファクトスタンダードであるからだ。もちろん、喫煙自体の蔓延化を抑止するための直接的な規制策として認識してはいけないだろうが、長期的な観測からは効果が期待できると思われる。

     それでは、国際的な側面を持った規制策とは一体どのようなものがあるのだろうか?WHOによる国際規制を中心に見ていきたい。
     たばこにおける国際問題は3つある。第一に「密輸」、第二に「広告」、そして第三に「警告文」である。
     第一の「密輸」に関しては、国によって課せられている税金が違うために、税の軽い国々から税の重い国々へと出荷される問題である。
     「広告」と「警告文」に関しては、自国での販売における製品の表示や広告の規制が、他国にたばこが輸出されると同時に軽くなったり重くなったりするという問題である。つまり世界標準の規制が無い為、結果的に矛盾した広告や表示が出回ってしまっているのである。具体的な事案としてはたとえば、JTがハワイになどで販売する日本と同一の製品には合衆国におけるより強い警告を記載しているのに、国内市場では強い警告を記載していないということが挙げられる。

       こうした国際問題に対してWHOは、TTCに対して「本国」が領土外規制を課すことを国際規制の代替案として提案している。しかしながらこのような規制は、自国の規制が強くなければ何の意味も持たない事は明白であるし、TTCは多国籍企業であるから本社を他国へ移しかねないという危惧もある。したがって、これらの問題の解決のためにはなんらかの国際協力が必要となってくるだろう。


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    最終章 日本のたばこ規制策のあり方について


     さて、これまでEUたばこ規制法をケースにし、歴史・経済・健康という3つの観点からたばことその周りの動きを調べ、そしてたばこ規制策について見てきたわけだが、この最終章において、現在の日本におけるたばこ規制策のあり方を述べて、私のこの研究の考察としてまとめようと思う。
     たばこに関して研究して分かった事は、たばこ自体の性格をはじめ、たばこ規制策をめぐる動きには、矛盾とも言えるようなパラドックスが含まれているという事である。これこそが正にたばこの規制を難しくしていると言える。
     まず、歴史的な観点から見ると、たばこは癒しの効果としての性格を持ち、長らく人々に愛されつづけてきた。それは嗜好品としての立場を超え、時には文化にも影響を与え、歴史の表舞台に登場してきたのである。それにも関わらず、たばこは迫害の歴史も同時に歩んできたのである。つまり、たばこは迫害される運命にあると言っても過言ではないかもしれない。常に反発勢力がいるからこそ、たばこの存在が光と影のように照らされ、文化的にもその対比を映し出す事で、重要な役割を果たしたのかもしれない。
     次に、経済的な観点から考えると、たばこは経済にとってプラスかマイナスかという単純な図式で語ることができないということがわかった。たばこ税の収入の裏には政府とたばこ会社の思惑があると同時に、たばこの支出には医療費以外にも労働力や火事などの損害が含まれている。そしてそれだけでなく、喫煙率の問題を考慮すると、たばこの規制は経済にとって大きな影響を与えるという事も考えられるのだ。
     健康の観点からは、たばこが麻薬性の嗜好品であることがわかったが、ただ単純に「体に悪い」という結論に持っていけば済むというものでもないことも同時にわかった。それは、法律的に合法ドラッグとしての位置付けを与えられているという事から、たばこを単純に「悪」とし扱えないのである。
     このようにたばこの存在そのものが、単純には言い表すことのできない性格であるので、たばこの規制は一筋縄にはいかないというのが現状なのである。

     この3要素を踏まえた上で、EUのたばこ規制法は日本において通用するのかどうかということを考えてみたい。
     EUの加盟国のほとんどは喫煙率が30%前後を推移しており、日本よりも低い。そして、たばこへの意識(たばこは体に悪いという意識)は日本よりも高いのが実状である。EU規制法における「たばこの銘柄規制」は、こうしたEUの現状があった上での政策であると思われる。したがって、もちろんEUでのこの政策の効果もまだ未知数ではあるが、仮に現在の日本において実施されても、効果的な規制策とは言えないかもしれない。禁煙・分煙が進み、たばこ規制への意識が次第に根付いてはいるものの、喫煙率が50%を超えている現状には、あまり効果は期待できないというのが私の見解である。

     それでは、日本ではどのような規制策を実施すべきなのであろうか?
     とりあえず、喫煙率を50%未満にすることが重要であろう。しかし、この50%の壁というのが厄介なもので、過半数以上が喫煙しているという世の中の流れはなかなか変わるものではない。なぜなら、他人の行動に影響されやすいのが人間の(特に日本人の)特徴であるからだ。したがって、50%台を切るための政策として、若者のたばこへのアクセスを絶つという政策が重要になってくる。それと同時にメディアによる「反たばこキャンペーン」を実施し、人々が持つたばこへのイメージを変えていく必要性があるだろう。
     たばこを吸う若者が減れば、次第に喫煙率は下がる。つまり、新たな喫煙者を生みださない為の政策が何よりも必要となるのである。
     ある程度喫煙率が減少傾向を見せたところで、はじめて喫煙自体の規制を実施していけば、効果的な規制ができるであろう。それはたとえば禁煙や分煙などや、広告などの規制である。

     このように、たばこに対する規制策は様々なものがあるが、たばこ自体の性格を考慮した上で、その規制策自体の性格もしっかりと把握し、喫煙率や社会背景などを踏まえて、的確な規制策を段階的に実施していく必要性がある
     日本の規制策は増税案やポイ捨て禁止などの、喫煙者に対する短絡的な規制ばかりで、たとえばたばこ会社やメディアに対しての規制やつながりのある規制策はあまり実施されていない。これは政府が、規制策の効果や意味合いをしっかりと理解していない為であると思われる。
     結論としてまとめると、たばこの規制策は単純なものではなく、様々な要素を考慮して段階的・連携的に実施していくべきである。



     と、このようにたばこの規制策を研究してきたわけだが、実際のところ喫煙者である私にとって、この研究は非常に意味深いものであった。「たばこは大人の嗜好品」という言葉がよく使われているわけだが、これは決して20歳以上になれば吸えるということを意味しているのではなく、本当に人間的に大人な人物にのみ許される物ということであり、(たとえ20歳以上でも)子供のように興味本位で責任を持たずに吸うものでは決してないということである。つまり喫煙マナーを守れないような人は、大人とは呼べず、たばこを吸う資格はないのである。その為には、日本の教育でしっかりとした人間の育成をしていく必要がある。「大人な人間」が増えれば、たばこに対する反発は減り、私が研究したような「規制策」は必要なくなるのだ。そうすれば喫煙者も安心して「嗜好品」を楽しむ事ができるのではないだろうか。

     喫煙をする人にはいまいちど、自分と自分のまわりを見渡してもらいたい。そこに乳幼児はいないだろうか?病人はいないだろうか?誰にも迷惑をかけていないだろうか?あなたは責任のある大人だろうか?

     
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    参考文献

    • ティム.ヒューワット著/大和久泰太郎訳 
       『現代の死の商人』(1993 保健同人社)

    • (株)コネスール編著 
       『たばこの謎を解く』(2001 河出書房新社)

    • フィリップ.J.ヘルツ著/小林薫訳 
       『タバコ・ウォーズ〜米タバコ帝国の栄光と崩壊』(1998 早川書房)

    • 前屋毅著 
       『知られざるJTの底力』(1994 実業之日本社)

    • A.L.フリッチュラー著/二宮陸雄・今福素子訳 
       『タバコの政治学』(1995 勁草書房)

    • 上野堅實著 
       『タバコの歴史』(1998 大修館書店)

    • 粉川宏著 
       『たかが、煙草 されどたばこ』(イーハトーヴ出版)

    • 棚瀬孝雄編
       『たばこ訴訟の法社会学〜現代の法と裁判の解読に向けて』(2000 世界思想社)

    • 大川俊博著
       『たばこに続く道』(1991 有斐閣)

    • 通木俊逸編
       『禁煙指導テキスト』(1995 星雲社)

    • 早稲田大学編
       『早稲田ウィークリー』(2002 早稲田大学学生部発行)

    • ひまわり編集委員会編
       『消費者だより ひまわり NO.143』(2002 豊島区消費生活センター発行)

    • 日本嗜好品アカデミー編
       文春新書『煙草おもしろ意外史』(2002 文藝春秋)



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