2004 卒業論文 waseda univ. school of social sciences.

早稲田大学 社会科学部 社会科学科 上沼ゼミ 島村佐代子

(C)2004 shimamura sayoko. All rights reserved.

■■theme:セクシャル・マイノリティの人権

■■case: 東京都の[人権施策推進のための指針]



■■一章 はじめに
■■1:研究動機

■■2:セクシャル・マイノリティに関する定義
■  1.セクシャリティの基礎知識
■   _「性」、四つの要素
■   _トランスジェンダー(TG)
■   _半陰陽(インターセックス)

■  2.セクシャル・マイノリティーの割合
■  3. セクシャル・マイノリティ関連語


■■二章 セクシャル・マイノリティの今
■■1:セクシャル・マイノリティとカルチャー
■   _映画
■   _ドラマ
■   _小説・まんが
■   _まとめ

■■2:セクシャル・マイノリティに関する動き
■  1.近年の動向
■  2.ゲイ・レズビアンパレード


■■三章 東京都の「人権施策」とセクシャル・マイノリティの問題
■■1:東京都「人権施策推進のための指針」問題
■  1.指針の策定のための組織
■  2.問題の発端

■■2:問題の原因
■  1.骨子発表前の都政モニターアンケート結果
■  2.骨子から削除した東京都の理由
■  3.「削る」までの道
■  4.骨子における記述

■■3:指針に加えられた経緯

■■4:「削った」理由、「加えた」理由
■   _当時の世界的背景
■   _都知事サイドの意向


■■四章 セクシャル・マイノリティのための人権政策
■■1:世界の政策・制度
■   _北米
■   _ヨーロッパ
■   _北欧諸国
■   _アジア
■   _その他

■■2:政策・制度のこれから

■■3:まとめ


■■参考資料




■■一章 はじめに
■:1 研究動機

わたしは、幸せなことに日常生活で人権を侵害されることは(感じてないだけなのかも知れないが、)まずないといっていいだろう。しかし、海外に行くと、黄 色人種だからという理由で人種差別をされることがある。例えば、道を聞こうと話しかけているのに、全く反応をしてもらえなかったり、逆に何も関わっていな いのに差別的な言葉をあびせられたり。こういった事態に遭遇したとき、いろんな怒りといろんな悲しみが一緒にこみ上げてくる。 でも、だいたいはそれ以上コミュニケーションをするのも面倒なので、その場を去っておしまい。しかし、その場を去れない人達もいる。日々、人権が侵害さ れている、つまり社会的マイノリティーの人達だ。 彼らは、当然のことながら自ら進んでマイノリティーになったわけではない。わたしが、黄色人種であるのもたまたま両親とも黄色人種だったから。

肌が黄色で悪い?外国人で悪い?体が不自由で悪い?同性を愛して悪い?差別というのはそもそも、自分とは異質なものを認めないこと、ひいていは排除しようとすることである。見慣れぬもの・異質なもの=strangeを、変なもの・奇妙なもの=strangeとして寛容に受け入れようとしない閉じた心だ。

日本においては、国際化、多様化によって、以前に比べいろんな方向へ社会は窓を開くようになったし、二代目戦後生まれが社会を担いはじ める年齢となり、ある特定の人々への偏見や差別意識というものの中には、ほとんど消えていまいそうなものもある。 しかし、人権というもの人の数だけあるものだし、人から成る社会が変われば変わるだけ、消える偏見あれば生まれる偏見がある。

数ある人権問題の中で、どうして東京をケースにセクシャル・マイノリティの人権というテーマを選んだのか。大きな理由は、わたしは東京生まれ東京育ちで、世界的の主要都市で もあるこの都市にに愛着を感じていて、この街ならではの、問題を取り上げたかったから。おすぎさんとピーコさんをはじめ、テレビでゲイ・レズビアンをカミングアウトして活躍しているタレントを見ない日はないくらいである。身近な知り合いなどではなくても、日々、テレビでセクシャル・マイノリティの人々の活躍を視聴して、その存在は“珍しい”というものからはずいぶんとかわってきたようにおもう。以前に比べ偏見や、強い差別意識をもつ人も減ってはきている。しかし、いまだ差別をつけたり、制度上守られていないセクシャル・マイノリティに人たちに対し、何らかの政策でその権利がセクシャル・マジョリティと同じように保障されねばならないと思う。将来的には国で取り組んでもらいたいが、まずは新宿二丁目をかかえる東京がこの問題に対してどういった認識を持っているのか、そしてこれからどう取り組むべきかを研究したい。

そして、これをふまえてセクシャル・マイノリティの人権について、考えていきたいと思う。

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■:2「性」に関する定義
■ 1.セクシャリティの基礎知識

「セクシャリティ」とは19世紀にはいってから登場した言葉で、もともとは「有性生殖と言う生物学的現象を指示する」意味の学術用語だった。それが、19世紀の後半から「生殖」という意味を離れ、「性的欲求」や「性的能力」を指すような言葉へと変化をしていった。そして現在、「セクシャリティ」という観念は、しだいに一般の人も耳にするようになってきたのではあるが、それがさす領域はどこまであるのかについて定義づけできるほど、観念自体がまだ確固としていない段階なのではないかといわれ、社会学ではその定義が問われている。 しかし、ここでは、セクシャリティについて、単純に、下記にあげる性の4つの要素を包括する概念として考えていこうと思う。近年、一般的につかわれている範囲では、これでもほとんど差し障りはないと思われる。つまり、ジェンダー、ジェンダーアイデンティティ、セックス、セクシュアル・オリエンテーションをその領域とする観念として定義しよう。 また、セクシャル・マイノリティとは、社会において、「性的な少数者」を指す言葉である。性同一性障害(トランスジェンダー、トランスセクシュアル)、ゲイ、レズビアン、バイセクシュアル、エイセクシュアル、インターセックス(半陰陽)などが、それにあたる。

■「性」、4つの要素

_文化的性=gender role

ジェンダー。社会的に期待される「性」役割のことである。「男らしい」「女っぽい」といった言葉に含まれる、社会生活を行ううちに慣習的に持った性別役割の概念である。

_体の性=sex
生物学的な性。よって、生殖器によって判断される性別のこと。

_心の性=gender identity
精神的に適合する性別のこと。自認することのできる性別。

_性的指向としての性=sexual orientation
性的な欲求についての性。これについては、以下の四つの場合がある。
     >異性を好きになる人=ヘテロセクシュアル
     >同姓を好きになる人=ホモセクシュアル(レズビアン・ゲイ)
     >両性とも好きになる人=バイセクシュアル
     >性的欲求を持たない人=エイセクシュアル

■トランスジェンダー(TG)
性同一性障害のこと。性(ジェンダー)を移行(トランス)するという意味で、「体の性」が「心の性」や「性的志向」と異なる人のことを指す。広い意味では、自分の性別に違和感を持つ人の総称である。トランスジェンダーの中でも自分の肉体への強い違和感があり、その解消のために性別適合手術を必要とする人は、トランスセクシュアル(TS)と呼ばれている。性別適合手術とは、性別再判定手術ともいわれ、いままで多くの場合使われてきた「性転換手術」と同じ手術をさす。しかし、「性自認」が転換するわけではないため現在、「性転換手術」という言葉は使用されない方向になっている。

■インターセックス
体の性が男性と女性の間に位置する性で、外性器が男女の区別のつきにくく生まれた人々のことで、半陰陽ともよばれる。内性器の検査などを行って、インターセックスであることを証明できた場合には、戸籍の届け出の続柄の部分(つまり男女を記すスペース)を空白にしておくことは可能である。しかし、現実的には、どちらかの性で生きることが強制されている。


■ 2.セクシャル・マイノリティの割合

■ 体の性の少数者
インターセックス(半陰陽)で、生まれてくる人は1500〜2000人に1人の割合。

■ 心の性の少数者
トランスジェンダー(性同一性障害)は「体の性」によって、その割合は違ってくる。アメリカの調査によると、”男性から女性へ”が1万人に1人。”女性から男性へ”は、3〜4万人に1人という結果が出たと報告されている。

■性的指向の少数者
ゲイ、レズビアン、バイセクシュアルは、人口の2〜10%いるだろうとされている。性的指向とはとても抽象的な概念なので、行為をもって性的指向とするか、意識を持って性的指向とするかでかなり調査の結果に差が出る。1948年に、発表された「キンゼイ報告」では10%とされ、それまででもっとも高い数値を出したのだけれど、のちに彼のサンプリングがかたよっていたことがわかり、いまでは信憑性にかける報告とされている。しかし、1993年にシカゴ大学とニューヨーク州立大学の研究チームによる調査では2.8%と報告されている。99年にマサチューセッツ州教育局が高校生に対して行った調査でも、2.8%の生徒が自らをゲイ、レズビアン、バイセクシュアルのどれかであることを認めた。このことから、おそらく人口の約3%がゲイ、レズビアン、もしくはバイセクシュアルであると考えて良いだろう。


■ 3.セクシャル・マイノリティ関連語

人権を扱う上で、言葉の表現は注意しようと思うわけだが、セクシャル・マイノリティに関してはいろいろな俗語がある。俗語なだけに意味も曖昧のまま、差別的なのかどうかもよくわからずに多くの人が使っていたりもする。そこで、以下、頻繁に耳にするであろう用語とそのもつ意味を「VIVID セクシュアリティ を考える会」の発表している用語集から引用しようと思う。

■ゲイ
男性の同性愛者を指して使われる場合が多い。同性愛者が誇りを持って使える自称として、アメリカを中心に日本でも定着した。

■レズビアン
女性の同性愛者。略した「レズ」は第三者による差別的な文脈で使われることが多いため、当事者の不快感を招くことがあり注意が必要。

■オカマ
男らしくない男性に対する俗称で、男性の同性愛者を指して使われることも多い。当事者が自称で使うこともあるが、第三者による差別的な文脈で使われることが多いため、当事者の不快感を招くことがあり注意が必要。

■ニューハーフ
女装した男性、または男性から「性転換」した女性であることを明らかにして、バーでの接客業などの従事する人。性同一性障害を持つ者も多いが、男性の同性愛者が職業的2女性性を演じている場合もある。

■オナベ
男装した女性であることを明らかにして、バーでの接客業などの従事する人。ニューハーフの対語に近い。

■ドラッグクィーン
男性の同性愛者による女装であり、クラブなどで行われる風刺的な表現行為という側面も強い。日常性を超越した派手な衣装やメイクが特徴。

■トランスヴェスタイト
異性装者。一般的に言われる「女装者」「男装者」のこと。性同一性障害とは区別されるが、実際には性別違和を持つ人もいる。もとは医学的な表現で、当事者はクロスドレッサーと言う言い方を好む場合もある。
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■■二章 セクシャル・マイノリティの今
■■:1 セクシャル・マイノリティとカルチャー

ゲイやレズビアンをはじめとするセクシャルマイノリティの人たちを描いた作品は、ゲイの夫をもつ妻が語り続ける谷崎潤一郎の「卍」(1928年)やゲイで あることに気が付きいた青年の姿を描いた三島由紀夫の「仮面の告白」(1948年)のように、かれらの姿を切々と描いた有名な作品もいくつかあったけれ ど、全体的には、90年代から急速に増え出した。これまで、(そして未だに)ハリウッド映画やその他のドラマ、書籍においても、みんなの笑いの種にされた り、または狡猾な人や悪者として描かれるなど、彼らに対して否定的な作品が多かった。列挙すると切りがないが、ここではセクシャルマイノリティを比較的肯定して扱い、話題になった作品の中から、私が見たもの読んだものを中心に、いくつかあげることにする。

■映画
『フィラデルフィア』というエイズ問題を描いた作品は、トム・ハンクスがゲイの役を演じ、1993年アカデミー賞主演男優賞を受賞した。 また、1997年に制作されたウォン・カーワイ監督の「ブエノスアイレス」は当時、最も注目されていたスタッフや役者によって手掛けられたこともあり、上 映前から非常に話題となった。南米のブエノスアイレスを舞台に、さすらう男二人の恋愛を鮮烈に綴った作品で、第50回カンヌ映画祭最優秀監督賞を受賞し た。
そして、2001年、橋口亮輔監督が「ハッシュ!」を制作。この監督は、前作も同性愛をテーマにした作品をつくっているのだが、この作品では子供が欲しい 女性とゲイのカップル、この三人の人生の選択を描き、第54回カンヌ映画祭の招待作品になった。

東京国際レズビアン&ゲイ映画祭についてもふれておこう。1992年から、「自分たちの手で自分たちのありのままの姿を表現した映画を上映できる場を作ろ う」という有志の人たちによって、東京国際レズビアン&ゲイ映画祭は開かれるようになり、今に至るまで毎年開催されている。上映されるのは、「題材や製作 規模、知名度などの点で、日本では商業ルートに乗りにくいインディペンデント映画や短編、ドキュメンタリー、そして日本のレズビアン・ゲイ・トランスジェ ンダー・トランスセクシャルなど、セクシュアル・マイノリティの映像作家の作品」など、その時々の話題作を上映している。また、映画祭期間中は、セクシャ ルマイノリティに関連したあらゆる分野の見識者をまじえたディスカションなどもおこなわれており、セクシャル・マイノリティの存在をアピールし、世の中の理 解や正しい認識を得る活動も行っている。

■ドラマ
ドラマにおいても、セクシュアル・マイノリティが描かれることは増えてきた。 もはや世界中で放送されているアメリカの大人気ドラマ「フレンズ」では、人気女優のウィノナ・ライダーがゲスト出演した回で、彼女はレズビアン役で登場し た。また、同じく世界的にヒットしているアメリカHBO制作のドラマ「sex and the city」では主人公(サラ・ジェシカ・パーカー)の親友 はゲイという設定で、しばしばゲイやレズビアンなどが登場する。ニューヨークに暮らしている、主人公を含め4人の女性の恋愛模様を中心に描くドラマ なのだけれど、ゲイの親友の恋愛が描かれるストーリーや、4人のうちの一人がレズビアンと恋愛をするストーリーなどが、他の恋愛エピソードと変わりなくえ がかれている。決して「良く」はえがかれてはいないけれど、恋愛はそれぞれ違うし、好きになったらみんな同じようにトキメいたり、切なくなったりするのだなと思わされる。
日本では、人気ドラマ「3年B組金八先生」で2002年に放送されたシリーズにおいて、性同一性障害に苦しむ少女が登場し、話題になった。この番組の BBSは非常に盛り上がり、BBS上でカミングアウトする人もいた。性同一性障害という病気の認知を高めたとともに、人々がセクシュアル・マイノリティに ついて考える契機をつくったこのドラマの功績は大きい。

■現代小説・まんが
少女漫画家でありながら、少女漫画の域を超え、文学や音楽などいろいろな方向へ影響を及ぼした漫画家、大島弓子氏は1970年代にして、しばしば同性愛を テーマの漫画をかいていた。1977年頃に発表した代表作「バナナブレッドのプティング」は、世間にうしろめたさを感じているゲイの男性とつきあいたい少 女と、男になって男の子を愛したい少女、ストレートの人を好きになったゲイの男の子の話である。ゲイという言葉が定着していなかったせいか「男色」という言葉が使われて いる。
2004年に直木賞を受賞した江國香織氏。美しい日本語をつかったみずみずしく詩的で少し切ない作品を創作し、絵本作家としても活躍している彼女が 1991年に発表した作品「きらきらひかる」は、男の恋人のいる男性と結婚したアル中の女性という二人を描いた恋愛小説で、彼女の代表作の一つとなってい る。
自らがトランスセクシャルであることを発表している藤野千夜氏は、「夏の約束」という作品で1999年に第122回芥川賞を受賞した。この作品では、ゲイ のカップルを中心に、女性に性転換したトランスセクシャルも登場する。しかし、あくまで登場人物達の日常をたんたん描いた若者達の話である。
また、2002年に芥川賞を受賞した吉田修一。時代の”空気感”をぴしゃりとつかむ彼のデビュー作「最後の息子」(1997年)は、彼女もいながら、新宿 で閻魔ちゃんという名の”オカマ”と同棲している若者の話で、第84回文学界新人賞を受賞した。

■「生身の人間」
以上、話題性の高かった作品を列挙してみたが、これらに共通しているのは、登場するセクシャル・マイノリティの人たちが「特別」に描かれていないことだ。 マイノリティなのだから、その時点で「特別」ではないのかといわれるかもしれないが、(適切かどうかはわからないが)卑近な言葉でいうなら、「変な人」と して描かれていないのだ。きちんと人格が与えられ、「生身の人間」として描かれている。これまで、幾度、ステレオタイプの「キャラクター」としてだけ描か れてきたことか。
しかし、未だにテレビのお笑い番組やバラエティ番組ではそのような「キャラクター」で扱われることが多いのは本当に残念なことである。残念というか、怒り がわく。夜7時から10時、所謂ゴールデンタイムあたりの時間に放送される番組は、視聴率も高く、その分影響力も高いというのに、差別的な言動がそのままの映像の多いこ と。たまに日本でも発生しているゲイを対象にした暴力事件。これは主に10代〜20代前半までの若い男子によって行われている。そのような年代が見る番組 において、例えばゲイの男が変態として描写され、笑いをとるような差別的なシーンが見られるのである。ドラマ「三年B組金八先生」が、性同一性障害につい て取り上げたことの影響力は、先に述べたが、その全く逆の負の影響力がこういった番組にある。上記した作品より明らかに多くの人が、場合によっては好む好 まざるに関わらず、目にするテレビ。そのようなメディアで、こういった理解なき番組を放送してしまっているデリカシーのなさに私は辟易する。学校教育で、 セクシャル・マイノリティについて学ぶのも必要なことだけれど、それよりもまず、刺激を求める青少年にとって身近なテレビは、その立場をもっと重く受け止 め、セクシャル・マイノリティも当然のこと「生身の人間」であるという理解を促すよう努力しなければならない。
先述した吉田修一の「最後の息子」のなかに、つぎのようなくだりがある。

結局、苦しみにも二通りあって、それは認めてもらえない者と、認めなければならない者とが、それぞれ一つづつ持っているのだろうと思う。その点でいえ ば、僕の母に男言葉で話してやる閻魔ちゃんは、母が持つべき苦しみと自分自身との苦しみとを、一手に引き受けていることになる。

私は、今の日本の制度や人々の意識からいって、この二通りの苦しみはゲイに限ったことでなく、 セクシャル・マイノリティの人たち全員がもっていることのように思う。 そして、セクシャル・マイノリティが二通りの苦しみから逃れる日がくるのには、正直まだ時間はかかるであろう。しかし、なるべく早くそんな日が到来するよ うに、セクシャル・マイノリティの人たちをありのままに描いたよい作品、よい番組が生まれ続けることを願う。


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■■:2セクシャル・マイノリティに関する動き
■■ 1.近年の動向

カルチャーにおいては90年代から変化がみられたのだとすれば、政治や司法においては2000年代に入ってからセクシャル・マイノリティが市民権を得はじ める動きが活発になってきたといえる。世界では各地で、同性カップルへの権利が容認され、セクシャル・マイノリティへの差別となっていた法律や条例は撤廃 されはじめている。03年、国連の審査委員会も国際的な同性愛者の人権について討議をはじめた。セクシャル・マイノリティの婚姻制度及びパートナー制につ いては、 4章で述べようと思う。ここでは、それ以外の注目すべきトピックスを国別にあげることとする。

■日本
日本において最も大きな躍進と考えられるのは、03年7月に「性同一性障害者の性別取り扱い特例法」が衆議院で可決され、戸籍の性別が変更可能になったこ とではないだろうか。これによって、性同一性障害の人は結婚することが可能になったのだ。その他にも、日常のさまざまな場面での問題がこれによってクリア されるようになる。例えば、女性として生活をしているのに、戸籍が男性であるがゆえに、入院の際、男性病棟に入れられてしまうことも、これまではあったと いう。しかし、戸籍の変更には以下の5つの条件があげられている。

(1)20歳以上である
(2)現在、婚姻していない
(3)子どもがいない
(4)生殖腺がないか、生殖不能な状態である
(5)外性器が、移行する性別に近似した外観をもつ

ここで、問題視されているのは「(3)子どもがいない」という条件である。法案審議では、「親の性別が変わると子どもが混乱するのではないか」という懸念 によってこの条件が付加されたのだが、スウェーデンやフランスなど性同一性障害者の性別変更を認めている国々では、この条件はないという。子供の視点に 立った時、親の戸籍が変わってはたして混乱するだろうか。戸籍に関係なく、親の多くはすでに自分に合う性で生活をしているのだから。この法案は施行から三年後 に見直しを行うことになっている。
同年4月には、東京都世田谷区議選で、性同一性障害を公表し、戸籍とは異なる女性として立候補した上川あや氏が当選。また同月、大阪府議戦でセクシャル・ マイノリティへの政策を掲げた尾辻かな子氏も当選した。 徐々に、自治体単位でも、セクシャル・マイノリティに関する人権保護の動きがはじまってきている。法務省人権擁護局も年一度開かれる「人権週間」の提起の 強調事項の中で、「性的指向による差別」を明記した。「性的指向を理由とする差別をなくそう」と。具体的には、「同性愛者など、少数派の性的指向の人に対 する偏見は根強く、社会生活の様々な場面で人権に関する問題が発生しています。性的指向による差別は不当であるという認識を持ち、偏見を解消することが求 められます。」「性的指向を理由とする差別的取扱いについては、現在では、世界各国において禁止法が制定されるなど、不当なことであるという認識が広がっ ていますが、特に同性愛者については、いまだ偏見や差別を受けているのが現状であり、その人権擁護に資する啓発活動を行う必要があります。法務省の人権擁 護機関としても、性的指向を理由とする差別をなくすため、各種啓発活動を行っていきます。」と記された。

■アメリカ
アメリカでは同性カップルへの権利があちらこちらの州で認められはじめている。と同時にセクシャル・マイノリティの人権保護の動きも活発化し、ディズニー やリーバイスをはじめとするゲイフレンドリーな企業も増加中である。しかし、差別はなかなか消えない。学校内でのいじめも未だ絶えないようだ。 ノースカロライナ州ではゲイやレズビアンの権利を擁護するグループがゲイに対する学校でのいじめ防止を宣伝する野外広告を出した。ニューヨークではゲイや レズビアンの若者のための高校を拡大することになった。その流れで、1984年に設立されたハーヴェイ・ミルク高校は、これまでニューヨークし教育委員会 の認可を得て、ゲイやレズビアンの若者のためにカウンセリングや他のサービスを行う非営利機関によって運営されていたが、03年、正式に「公立高校」とし て認定されることになった。
また、アメリカにおける同性愛差別を助長したともいわれている法律、「ソドミー法」が03年、最高裁によってとうとう違憲の判決をうけたことは重要であ る。この法律は、不自然・異常とされる性交(獣姦、オーラルセックス、アナルセックス、同性間のセックスなど)を禁止する刑事犯罪法で、1960年まで全 ての州に存在した。当時、13州でソドミー法は有効が、この判決によってすべてが無効になることが決まった。判決では次のように言われた。「プライベート な性行為を犯罪化することによって彼らの人権を侵害したり、生活を管理したりすることはできない。」と。ソドミー法は同性愛自体を禁じているわけではな い。しかし、同性愛を苦しめてきた法律にはやはり他ならない。 また、カリフォルニア州では03年、性的指向・性同一性(gender identity/性自認)・HIV/AIDSを含むさまざまな要因に基づく差別 から養子を保護するという内容の「フォスターケア法案(里親制度法案)」が成立した。

■イギリス
03年、イギリスでも、同性愛差別を助長する法案が撤廃された。セクション28とよばれる法案で、その内容は「公立学校での同性愛の助長・促進を禁止す る」という、同性愛に対して完全に否定的なものである。1988年にサッチャー政権の時代に制定され、実際に訴訟で適用された例はない。しかし、イギリス においてゲイ・レズビアンが市民権を得ようと戦うなかでは、常に大きな論点とされてきた。サッチャー、メージャーと続いた保守党政権が終わり、ブレア労働 党になったからこそ、セクション28も撤廃に行き着いたという声は高い。

■ドイツ
ドイツでは、98年ザクセン・アンハルト州で男性として当選した村長が女性への性転換を希望したことにより、リコール投票で辞職に追い込まれた。しかし、 その後この元村長は女性への性別適合手術を経て、1999年ベルリンの区議に当選した。ベルリンでは、2001年に就任した市長が同性愛者であることをカ ミングアウトした。

■ニュージーランド
ニュージーランドでは、99年、世界で初めてトランスジェンダーの国会議員が当選した。労働党のジョルジナ・ベイヤー氏は、1984年に性転換手術を受 け、女性になった。1995年にワイララパという地区のカータートン市長選で当選し、当時も史上初の性転換市長として話題になった。

■タイ
99年ムエタイの選手として有名なノーントゥム選手が性転換手術をしたというニュースは日本でも大きく取り上げられた。タイは男性から女性への性転換手術 をするのに医者の腕もよく、安価だという理由で、日本からたくさんのトランスジェンダーが手術をうけに行く。 また、タイでは国民的に同性愛が多いという意見も聞かれるところだが、タイ王国精神健康省は長い間、「同性愛を精神病」だとしてきた。しかし、01年、健 康省がようやく「同性愛は精神病ではない」と公式に認めることとなった。

■中国
中国も「同性愛を精神病」としてきた国の一つであった。そして、中国精神科連盟はその見解を改め、同性愛は病気ではないとし、2001年4月に発表された 『中国精神障害の分類と診断基準』の第三版からはそのことが明記され、同性愛に関する病理的な記述も削除された。 今では香港を中心に、同性愛差別禁止法案の制定をめぐる議論も広がってきている。

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■■ 2.ゲイ・レズビアンパレード

NYのゲイパレードやオーストラリアの「マルディグラ」などは、エンターテイメントとしても有名で、多くの人が集まる。そして、原宿渋谷間をパレードする 東京のゲイ・レズビアンパレードも人々を幸せな気分で振り向かせるような、そんな華やかな空気を持つ。彼らの人権を訴える方法は、デモではなく、パレード なのだ。

■「プライド」イベント
セクシャルマイノリティたちが出場するパレードの名称でしばしば目にする言葉、 「プライド」についてまず説明することにする。「プライド」とはカタカナ日本語の通り 、英語の「誇り」を意味する単語である。ゲイ・レズビアンたちをはじめとするセクシャル マイノリティが出場するイベントがしばしば「プライドパレード」や「プライドイベント」と 命名されているので、かれらの人権活動のための用語のようにも思ってる人もいるかもしれないが、 特にかれらに限定したイベントを指すのではない。人種などが理由で、 社会的マイノリティとされる人たちが集まるためのイベントのことをいうのにも用いられる。 今のところ、現実には、圧倒的にセクシャルマイノリティたちのイベントで用いられるのだけれど。InterPrideというサイトでは世界中のプライドイベントを 網羅していて、各地のイベントを検索できるほか、それぞれのイベントのサイトへのリンクが 貼られていたりと、プライド関連の情報サイトとして充実していると思う。このサイトによると 2003年度に世界でおこなわれたプライドイベントは約30カ国で170。英語とスペイン語の サイトであることもあってか、アジア地域の情報はなく、ヨーロッパや北欧の国の情報が中心 とはなっているものの、それだけでも単純計算で二日に一度といえる数のイベントがおこなわれて いるのは確かである。そして、さらにここに掲載されていないアジア地域などのイベントのことも 考えると、年間で非常に多くのプライドイベントが世界中で開催されていることがわかるだろう。

■パレードの始まり
ゲイ・レズビアン解放運動の始まりとして有名なのは、ストーンウォール事件である。 1969年6月28日、ニューヨークのグリニッチ・ビレッジにある「ストーンウォール・イン」というゲイバーに、警察の一隊が手入れに入ってコトは起き た。これ以前にも、警察はよく弾圧的な手入れを行っていたのだけれど、この日はゲイ側が反撃に出たのである。警官隊に缶や小石を投げ付け、バーに閉じ込 め、火をつける程に。さらに、他の警官隊と路上で争いも繰り広げられるなど、その抵抗は激しいものとなった。ストーンウォール事件以降、ゲイ・レズビアン 解放運動は勢いをつけ、一気に米国全土へと広がっていき、この事件から一年後には、記念日として、ニューヨークや、シカゴ、ロサンゼルスで何千人もがあつ まり、デモ(行進)が行われた。この記念日のデモ(行進)は、その後も行われるようになって、さらにサンフランシスコやボストンなどへも広がっていくこと になった。これが、現在、世界中に広がるセクシュアル・マイノリティのパレードの始まりといってもよいだろう。そのため、今でもアメリカやその他の国で行 われるバレードは年一回6月に行われるところが多いのだ。 しかし、ストーンウォール以前にも、ゲイやレズビアンの団体が活動を行いたのがわかっている。1950年代から市民権を得るための運動は始まってはいた が、しかし、1960年代末期になっても、世間の反ゲイ・レズビアンの風潮は強く、少数者である彼等は、迫害や弾圧を恐れ、大きく活動することができな かった。そんなおり、1965年の独立記念日(7月4日)にフィラデルフィアにあるインディペンデンス・ホールの前で行われた抗議行進が行われた。これは ホモセクシュアルに同等の権利を要求するもので、数十名の勇気あるゲイやレズビアンがこれに参加したといわれている。この抗議行進は、ストーンウォール事 件がおきるまで、毎年開催されていたので、これがパレードの始まりとされることもある。今や、テレビをはじめとする各メディアをとおして、または直接にホ モセクシュアルの人々を目にすることは多くなったけれど、当時、ほとんどの人が初めて、この行進でゲイやレズビアンの人たちを目にしたのであった。

■世界への広がり
1965年のフィラデルフィアもしくは、1969年のストーンウォールからはじまったパレードは、そのまま1970〜1980年代にかけて、欧米地域に広 がっていき、着実に規模を拡大させ、さらに定着していった。1978年にオーストラリアのシドニーで初めて行われたパレードは、現在、「マルディグラ (Mardi Gras)」の名で知られるプライドイベントのルーツである。今や南半球最大のプライドイベントに育って、重要な観光資源にもなっており、 政府による後援や大企業からの寄付も多くされているが、その名を初めて使った第2回目のパレード参加者は3000人だったという記録が残っている。 1990年代は、欧米から他の地域へも広がっていき、90年に南アフリカのヨハネスブルク、92年にアルゼンチン、94年にはフィリピンのマニラで行われ た。カトリックの影響の強い国なだけあって、参加者は100前後と小規模であったが、これがアジア初上陸となる。そして、2ヶ月後の同じく94年に東京 で、日本初のパレードが行われた。

■日本のパレード
日本の第一回のゲイ・レズビアンパレードは、1994年8月28日に東京で行われた。これは、当時、、ILGA (International Lesbian & Gay Association)の日本の窓口として活動していた南定四郎氏の発案で、パレード開催の背景には同年8月に横浜でひら かれた「国際エイズ会議」があった。というのも、エイズ・アクティビストでもある南氏は、海外から多くのエイズ・アクティビスト(その多くはゲイ・アク ティビストでもある)が来日するのに合わせて、パレードの開催を発案したのだ。参加者は1134人。翌年には約2倍の2156人が参加した。しかし、96 年の第三回目のパレードの開催にあたって、実行委員内外でその運営方法などの食い違いが起き、それ以降、パレードは縮小してしまうことに。告知もあまりし なくなったため、ほぼ主催者の身内だけのような状態の数十人規模にまで縮小することになった。
かたや、同じ年の96年札幌で新たにパレードが開催された。「第1回レズビアン・ゲイ プライドマーチin 札幌」である。参加人数は300人弱と、さす がに東京よりも一段と小規模ではあるものの、これは地方での開催することの意味や可能性があることを伝えるに十分な数であろう。また同時に、東京のパレー ドが縮小している間も、着実に日本でのパレードの必要性に関心をひきとめる役割も果たしていたと思う。
東京でのパレードは主催者を変えて、2000年に大規模復活を遂げた。そして、01、02年と順調に開催を続けていたが、運営体制の見直しをするために 03年は不開催。毎年人が入れ替わる実行委員体制では、もう規模も大きくなってやりきれないということらしい。
日本ではパレードの文化があまり根付いていないから、通りがかりに仮装行列とみまごう人がいるかもしれない。また、ある人は「どうしてパレードするの か?」とその必要性をとうかもしれない。だけど、このゲイ・レズビアンパレードは、本当にお祭りなのだ。マイノリティとして社会から見落とされたり、無視 や差別をうけていたりする彼らが自分達の存在を世にアピールする日であり、また、恋人同士が太陽のもと大通りを堂々と手を繋いで歩ける一年に一度の日で あったりするわけなのだ。当人達と、かれらのプライドを支援する人たちにとってのお祭りの日なのである。

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■■■三章 東京都の「人権施策」とセクシャル・マイノリティ
■■■:1 東京都「人権施策推進のための指針」問題

東京都「人権施策推進のための指針」とは、都が、21世紀を展望して総合的に人権施策を推進するために策定した指針で、 2000年11月21日に発表さ れたものである。

■指針の策定のための組織
1998年11月、当時の青島幸男都知事が定例都議会で 「東京都の行政内部で『人権施策推進指針』を策定する」と表明、同月13日には東京都内部に知事 が本部長を務める人権施策推進本部(以下、本部)が設置された。これに呼応する形で、翌月の12月には指針の策定に関して、民間当事者団体が連携して対応 するために、東京都人権施策推進指針対策連絡会(以下、連絡会)が発足した。 99年2月、「人権施策推進指針」策定のための専門的な提言を得ることを目的とした専門懇談会 (座長:戸松秀典・学習院大学法学部長)が招集され、以後 12月まで、専門懇談会や民間当事者団体(主に連絡会)への ヒアリングなどを数回繰り返し、提言の中身の議論が行われた。

■問題の発端
99年6月18日、国の人権擁護推進審議会が中間報告を発表。翌月の7月にその答申を発表した。8月6日、連絡会が専門懇談会に、『当事者からの報告書』 という要望書提出。 11月には「提言」案に当事者の意見を入れるよう求める要望書を提出。12月22日、専門家懇談会は連絡会の「東京都の今後の人権施策のあり方について」 と題する提言を確認した。翌月(00年1月)、連絡会が同じく「東京都の今後の人権施策のあり方について」の提言を石原都知事に提出。同月24日に、連絡 会は専門懇談会に呼びかけ、「差別を許さない人権指針を求める東京集会」がひらかれる。 4日後、「東京都人権施策推進指針に対する要望書」を東京都に提 出。このなかで、セクシャリティについて、 次のようなことが要望として盛り込まれた。

レズビアン、ゲイ、インターセックス、性同一性障害の当事者や自己の性別に不快感を伴う人々
  _1.労働、学校教育、社会教育、警察、青少年対策、DV等の暴力対策の各機関において専門相談員の設置を含め、同性愛者の相談に対応する体制をつくること。

  _2.学校、職場、公務員、図書館や女性会館等の社会教育施設などで、啓発・教育の具体的計画を作成・実施するとともに、啓発・教育の拠点整備をおこなこと。

  _3.同性間パートナーシップ登録制度の導入などにより、異性間と同性間のパートナーシップの間に存在する格差を解消すること。例えば、同性間パートナーや性同一性障害の当事者等を含むパートナーに都営住宅の入居資格を付与すること。

  _4.同性愛者に対する差別を解消し、平等化を促進するため当事者団体との恒常的な協議期間、及び各部署との協議・調整の場を設置すること。

  _5.性に関する自己決定権を奪われがちなインターセックスに対して、当事者との協議のもとに医療ガイドラインを作成すること。

6月19日、東京都行政内部で「指針」の骨子がとりまとめられ発表される。 この際、専門家懇談会提言にもりこまれていた「同性愛者の課題」が削られていた。

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■■■:2 問題の原因

■骨子発表前の都政モニターアンケート
2000年6月19日に人権施策指針の骨子が発表されたわけだが、その約四ヶ月前に都政モニターを対象に、 骨子作成の参考にするため、人権施策の推進に ついて各種質問がされていた。これは、専門懇談会を設置後に 知事あてに出された提言をうけてのアンケートだった。 ちなみに、都政モニターとは、いったいどのような人たちなのか。 都政モニターアンケートとは生活文化局広報広聴部広聴課の管轄の機関で、 都内に居住す る人及び都外に居住し都内に通勤・通学する人から、都政に関する意見・要望等を組織的・継続的に把握するために実施するもの。モニターは、公募により性 別、年代、地域などを考慮して、500人が選出されている。

4月24日に発表されたアンケート結果によると、 以下の個別の人権の尊重について、現時点で尊重されているか・尊重されていないかどう思うかという質問 に対して、 次のようなパーセンテージになった。

   


『尊重されている』 『尊重されていない』
_1 女性の人権 57.4% 41.7%
_2 子どもの人権 57.0% 41.5%
_3 高齢者の人権 50.1% 48.1%
_4 障害者の人権 37.0% 59.0%
_5 同和地区(被差別部落)出身者の人権 29.5% 35.9%
_6 アイヌの人々の人権 24.9% 32.9%
_7 外国人の人権 31.5% 56.5%
_8 エイズ患者・HIV感染者やハンセン病患者等の人権 15.5% 66.9%
_9 同性愛者や性同一性障害者等の人権 8.2% 69.1%
_10 医療機関における患者の人権 31.1% 62.5%
_11 刑を終えて出所した人の人権 15.3% 54.5%
_12 犯罪被害者や家族の人権 8.0% 81.5%
_13 犯罪容疑者や家族の人権 20.6% 61.6%

アンケートにかけられた13種類のうち、現時点で人権が尊重されていないと50%以上が考えている人権をワーストランキングとして、 作成したのが下図である。

          
no.1 犯罪被害者や家族の人権 81.5 %
no.2 同性愛者や性同一性障害者等の人権 69.1%
no.3 エイズ患者・HIV感染者やハンセン病患者等の人権 66.9%
no.4 医療機関における患者の人権 62.5%
no.5 犯罪容疑者や家族の人権 61.6%
no.6 障害者の人権 59.0%
no.7 刑を終えて出所した人の人権 54.5%

驚くことに、同性愛者や性同一性障害等、つまりセクシャルマイノリティの人権に対し、現時点で問題があると考えた人は69.1%。 アンケート結果の中でも、ワースト2位を占めた。都民およびその近郊に住む人の意識として、 このような数字になったことを、この先を読むにあたって心にとめておいていただきたい。

ここで日付の整理をしよう。

アンケートの実施は、2000年2月7日から2月21日まで。
アンケートの発表は、同年4月24日。
     ↓
   約二ヶ月後
     ↓
指針の骨子発表は、同年6月19日・・・・提言にあった「同性愛者の人権」の明記が削られていた。
 

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■指針から同性愛者の人権がはずされた理由
先に述べたように、都政モニターアンケートでも同性愛者及び性同一性障害者などの人権を考えなくてはならないことがわかったなかで、 都はなぜ「同性愛者」の明記を骨子から削除したのか。 モニターアンケートの発表からの二ヶ月の間でいったいどうしてこのような判断になったのだろうか。

削除が発覚した直後、同性愛者の人権運動グループらの問い合わせに対する都の回答は以下のような内容だったらしい。

_1.同性愛者の人権を含めることには、都民の理解が得られていない。
(毎日新聞が96年に行った世論調査でも、都民の70%が「同性愛を容認できない」と述べている)

_2.ニューヨークで行われた「国連女性会議」でも、同性愛者の人権が文書に盛り込まれなかったなど、国際的に評価が固まっていない。

しかし、この都の回答は決して納得できるものではない。
まず、都民の理解が得られていないとのことだけれど、 先述した都政アンケートで、同性愛者及び性同一性障害者などの人権について 「尊重されていない」という70%近くの認識がある。このことで十分、都が都民の理解の心配をする必要はないと思われる。 都は96年に行われた朝日新聞の世論調査では、 都民の同じく70%が「同性愛を容認できない」としたことが引き合いに出したようだけれど、 同性愛に関してここ4年における国民の理解度はマスコミの影響などにより激変したと思われるし、 もし、70%もの人が「同性愛を容認できない」とするのならば、なおさら都は人権保護を考えなくてはならないのではないか。 「容認できないという人が多いので、人権を守るに値しない」とするでは、何のための人権政策だかわからない。

また、国連女性会議についてだが、この会議における日本の立場は同性愛者を支持する方だった。 国連女性会議とは1975 年のメキシコに始まり、コペンハーゲン、ナイロビ、北京。そして2000年に、 第五回の開催地としてNYが選ばれ開かれたのである。この会議への参加者は、 約180カ国の政府代表のほか世界中の非政府組織(NGO)メンバーら1万人であった。 そして、この国連女性会議の中、同性愛についてどのような議論がされたのかというと、多様な性を認める「性的指向」 (セクシャル・オリエンテーション)という表現を「合意文書」に盛り込むようか否かについてだ。
盛り込むよう主張したのは、日本や米国、欧州連合(EU)など。これに対し、反対をしたのはバチカン市国(ローマ法王)や イスラム教国などの宗教的に同性愛を認めることができないとする国だった。結果、会議自体もかなり長引いていたこともあり、 この件については先送りにされた。たしかに、文書に盛り込まれるにはいたらなかったが、 先進諸国間では、盛り込むことで合意はできていたわけであり、 都が「国際的に評価が・・・」というほどコンセンサスが取れていなかったのではない。むしろ、 宗教的問題のない国の間での評価は固まっているのである。

つまり、都がはじめに回答した「骨子からの削った」の理由は、あまり説明になっていなかったといえる。
それでは、本当の理由とは、いったいなんだったのだろう。「削る」に至る道を整理してみることとする。

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■「削る」への道
_.「提言」がまとまった当初は、担当部署は同性愛者の人権を積極的に入れる予定だった。


_.ところが、当初の骨子案に知事サイドから多くの問題提起があり、知事や副知事など都の幹部を交えた会議で、同性愛者の人権を骨子に含めるかについてかなりの議論があった。

_.結局、こうした知事サイドの意向や、それを受けた各局が同性愛を人権施策の対象とすることへ消極姿勢になり、最終的に「同性愛者の人権」を骨子に含まないことが決定。


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■骨子における記述
2000年6月19日に発表された骨子では、セクシャル・マイノリティに関しては以下のように記述している。以下、参照部分を抜粋。

_その他の人権問題
(このほかにも、次のような問題が人権問題とされている。) 性同一性障害のある人々などに対する偏見があり、 嫌がらせや侮べつ的な言動、 雇用面における制限や差別、 性の区分を前提にした社会生活上の制約などの問題がある。


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■■■:3 指針に加えられた経緯

00年6月に発表された、骨子では「都民の理解を得られない」などの理由で同性愛者の人権について「削られ」ていた。東京都は発表後から7月21日までの約一ヶ月強、ホームページ上などで「指針」の骨子についてパブリックコメントの受付した。

骨子発表後、ゲイ・レズビアンの団体などからはすぐさまに批判の声が上がった。連絡会は、骨子を受けて、6月30日に声明を発表。7月3日には、都議会各党派に人権指針に関して要請行動をした。これを受けてか同月7日、都議会総務委員会では、骨子についての質疑がなされ、公明・民主・共産の各党が質問。「同性愛者の課題」が削除された問題をはじめ被差別当事者の意見が十分に反映されていないのではと言う指摘がされた。東京都総務局長と人権部長がこれに答弁をした。

7月21日締め切りのパブリックコメントは、実際のところそれ以降にとどけられたものもある程度集計の対象にされ、指針骨子に対して計746通の意見が寄せられた。そのうち、同性愛者の問題を盛り込むよう求める意見は520件ほどもあった。このような大きな数字がでた背景には、NPO法人・動くゲイとレズビアンの会(OCCUR)などが、パブリックコメントへの投稿をつのったことも影響している。この意見を得て、都は記述の見直しを検討することにした。

9月、連絡会にも参加するNPO法人・動くゲイとレズビアンの会(OCCUR)は、東京とに対して、指針に関して「同性愛者の人権の公的認知に関する要請 」を提出。 29の賛同団体の名をふくめ、同性愛差別の現状、骨子までの経緯、「性的指向」に関する機会の平等の保障 などについて申し入れた。

11月、東京都は人権施策推進の指針を発表。人権問題の現状に関する「その他の人権問題」の記述の中で、
「近年、同性愛者をめぐって、さまざまな問題が提起されています。今後、論議を深める必要があります」
と同性愛者について明記がされた。

04年2月現在、東京都は公式HP上で、”東京都人権施策推進指針をふまえ、さまざまな人権問題のうち、「人権教育のための国連10年」に関する国内行動計画において重要課題とされているものを中心に取り上げています。”と前置きをし、セクシャル・マイノリティについては、以下の様に書いている。

■ 性同一性障害者
_自分の性別に違和感を持ち、受け入れられない人がいます。自分が男性であるか、女性であるかという意識と肉体的な性別とが、気持ちの中でしっくりいっていない状態、あるいは受け入れられない状態にあることを性同一性障害といい、近年、医学的治療も始められています。
_しかし、外見と保険証の性別が異なることなどから、就職や住居の賃借を断られるなどの差別や偏見があります。こうしたことから2003(平成15)年に性同一性障害者性別特例法が制定され、2004(平成16)年7月からは一定の法的要件を満たした場合には戸籍上の性別が変更できることとなりました。
_性に対する理解を深め、差別や偏見をなくしていきたいものです。

■性的指向
_人間の性愛については、異性を愛する人が多数ですが、同性愛・両性愛の人もいます。人が誰を愛するのか、決まった答えはありません。世界には、同性同士の結婚を合法としている国もあります。
_人間の性のありかたについて、理解を深めることも必要なのではないでしょうか。


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■■■:4 「削った」理由、「加えた」理由

東京都が数回ヒアリングをおこなった専門家懇談会の提言には盛り込まれていたものの、都が発表したその後の「骨子」では、セクシャル・マイノリティについては性同一性障害にふれるにとどまり、明記されることのなかった同性愛者についての人権。都民、ゲイ・レズビアン団体をはじめとする人々の、パプリック・コメントや申し入れによって、正式な「指針」においては加えられたのだけれど、それではなぜ東京都は「骨子」において、その明記をしなかったのか。「知事サイドの意向」(三章:3.「削る」までの道、参照)とはどういうものだったのかについて、また、その背景を考えてみることとする。

■当時の世界的背景
2000年、世界的にはヨーロッパ諸国を中心として同性愛者を含むセクシャルマイノリティの権利について議論は、まさに盛り上がっていたといえるだろう。すでに、デンマーク (89年)、ノルウェー(93年)、スウェーデン(94年)、オランダ(98年)、フランス(99年)では、パートナー法が成立しており、同性カップルの権利をみとめる動きは、北欧からその他のヨーロッパ諸国、アメリカへと広がりはじめていた。00年4月には、アメリカで初めて事実上の同性婚ともいえるバーモント州の「シビル・ユニオン法が議会で可決されている。しかし、この骨子が発表された6月には、「同性婚」合法化にまで至っている国はまだなく、世界で初めて「同性婚」を合法化したオランダもその法案が議会で可決されたのは、同年12月のこと。

日本以外のG7諸国(フランス、アメリカ、イギリス、ドイツ、イタリア、カナダ、ロシア)で考えてみると、フランスは先述の通り、アメリカではゲイ・レズビアンのコミュニティがあることで有名なサンフランシスコのあるカリフォルニア州でパートナーシップ制度が99年に制定されている。また、ニューヨーク市は、86年に市の人権条例を改正し、「性的指向」に関する条項が加えられた。カナダでは、トロントのあるオンタリオ州とバンクーバーのあるブリティッシュコロンビア州で99年からパートナーシップ制度をとりいれている。

セクシャル・マイノリティの問題について対応の遅れているアジア諸となると、タイなどで性別適合手術は行われていたものの、人権のための政策をこうじているところはあまりみられていなかった。


■都知事サイドの意向
「人権施策推進指針」の策定を表明した当時の都知事は青島幸男氏であったが、骨子から発表にいたるにあたっての都知事は、石原慎太郎氏であった。よって、「知事サイドの意向」とは石原氏を中心とした意向のことである。 同氏はしばしば、いろいろな事柄・場面で差別的な発言をして、そのつど問題になっているが、セクシャル・マイノリティについても、差別的な発言をしていたことがわかっている。それは、骨子発表の数カ月前、00年1月に発表になった芥川賞で選ばれた作品、藤野千夜氏の「夏の約束」についての書評のなかにあった。その書評は”芥川賞発表特別号”と題された『文藝春秋』 (00年3月号)に掲載されている。(この作品の内容については、二章の1「セクシャル・マイノリティとカルチャー」を参照していただきたい。)以下は、その書評の部分抜粋である。

藤野千夜氏の「夏の約束」は ホモという異常な世界 を余儀なくする主人公たちのスケッチだが、これがまともなヘテロの人間世界だったら何の劇性もありはしまい。という批評は偏見に依るものだといわれても、私にはあくまで一人の読者として何の感興も湧いてこない。平凡な出来事の中で描いてホモを定着させることが新しい文学の所産とも一向に思わない。私にはただただ退屈でしかなかった。

書評としての作品への評価はここでは問題にはしない。(この作品の内容については、二章の1「セクシャル・マイノリティとカルチャー」を参照していただきたい。)しかし、差別的な用語として使われることの多い「ホモ」という言葉を用い、そのうえそれを「異常な世界」だといっている石原氏は明らかにセクシャル・マイノリティへの理解が足りていないといえる。また「偏見の依るもの」と自らもその偏見を認めている。

また、骨子案を検討する中で、都の幹部らが次のような発言をしたともされている。

_.同性愛者の中には、好みでなっているものもいる。好みでなっているものにまで人権施策を拡張する訳にはいかない。
_.都の人権施策とする以上、人間の存在と尊厳に関わる問題でなければならない。同性愛者の問題が果たして、そういう問題だといえるのか。

どのような文脈でこのような発言がされたのかはわからならいが、こういった内容が検討された結果、骨子から「削った」ことに変わりはない。人権に関わることを扱う行政責任者たちが、セクシャル・マイノリティについてきちんとした認識をもっていたか、または北欧諸国やヨーロッパですでに実行されていたセクシャル・マイノリティに関係する政策について詳しく把握していたか、いささか疑問である。骨子から削るに至った「都知事サイドの意向」とは、かれらのセクシャル・マイノリティへの理解と認識の不足によって固められた強い偏見にすぎなかったのだ。よって、500を越えるパブリックコメントがよせられたり、ゲイ・レズビアンの団体などから要請を受けるなどして、骨子発表から5ヶ月間ののち、そのままさほどもめることもなく、指針への「同性愛者」の明記に至ったのだと私は考える。

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■■■■四章 セクシャル・マイノリティのための人権政策
■■■■:1 世界の制度・政策

同性カップルを認める制度・法律には、大きく分けて2種類ある。
一つは、法的に男女の「結婚」と全く同じ、同性の「結婚」を認めるもの。
もう一つは、同性カップルに「結婚」に準ずる権利を与える「パートナーシップ制度(パートナー法)」である。
現在、「結婚」を認める国は、オランダ、ベルギー、カナダ。台湾は検討中。
「パートナーシップ制度」をとっているのは、 アメリカの一部の州、ドイツ、フランス、北欧諸国、オーストラリアの一部の州、 ブラジル、アイスランド、グリ−ンランド、などがある。
「パートナーシップ制度」をとる国の中でも、「結婚」ではないとはいえ、 セクシュアルマイノリティの「婚姻」は認めているところは多く、 2004年現在ドイツ、フランス、スイス、ポルトガル、ノルウェー、スウェーデン、 デンマーク、アイスランド、などの国々がそれにあたる。
同性カップルの権利を認める法はヨーロッパ諸国を中心に2000年代に入ってから、 加速するように各地で法整備されて始めている。このような勢いの中、 世界で初めて同性婚が認められたオランダのレズビアン・ゲイ団体では、 世界中のセクシャルマイノリティの団体に向け、同性の結婚を政府に認めてもらうためのマニュアルを発表している。

■北米
_アメリカ
 「自由の国」と呼ばれるアメリカであるが、2004年現在、事実上、同姓婚を認めているのはバーモント州とカルフォルニア州のみ。だが、両州とも「結 婚」同等の権利を与えるパートナー法であって、正式な「結婚」ではない。バーモント州は2000年に同性カップル結婚を事実上認める法、「シビル・ユニオ ン法」が施行された。同性のカップルにも相続や医療などの面で男女の結婚と同等の扱いが受けられる全米初の州法である。 そしてカルフォルニア州は、2003年にドメスティック・パートナー(非婚のカップル)の権利と義務についての条例「AB205法」が成立。施行は 2005年からの予定である。同州では1999年にすでにドメスティックパートナー制は成立していた。同性カップルのみを対象にしているではなく、「結 婚」することを望まない異性カップル、例えば高齢者カップルなども登録をしている。しかし、今回の条例はバーモント州同様、より「結婚」と同等のさまざま な権利が認められるようになり、法的な責任はより重たくなった。子どもやパートナーを扶養する義務、パートナーが死亡した際に葬儀を行う権利、遺産相続税 や贈与税の免除、家庭裁判所を利用する権利、裁判の際パートナーが法廷でパートナーに不利な証言を拒否できる権利、カップルになった学生が家族と住むため に利用できる住居の使用の権利、パートナーの債務を負う責任がなどである。ドメスティック・パートナー制よりも責任が大きくなったために、それらを終えな いと判断した場合、登録を解除できるようと成立から施行まで2年間の期間がおかれることとなった。 マサチューセッツ州でも同姓婚を認める法律が成立しそうな動きがある。03年11月に同州で同性愛者同士の結婚を容認する判決を州の最高裁がだしたのだ。 その内容というのは、「180日以内に、同州内で同性愛者同士でも結婚許可証の取得が可能になるような措置をとるよう」にするもの。よって、2004年5 月には何らかの条例などができることだろう。 このほか、結婚はみとめていないものの、同性カップルの権利を認めるパートナーシップ制度などをとりいれている州は、ニューヨーク州、ニュージャージー 州、ハワイ州など。

ハワイ州では、90年代に入ってから同性結婚を支持する判決がこれまで何度か出されたにもかかわらず、「同性どうしの結婚は認めない」という法制化を可能 にする州憲法修正案が住民投票となり、98年同性の結婚を禁止する法律が成立することとなった。ハワイ州では州憲法修正に先立って“内縁関係”にある同性 カップルに介護や遺産に関する権利を認める法律を制定させているので、制度としての「結婚」は禁止されたが、同性カップルの事実上の権利拡大は進んでい る。 同性カップルの権利を認めようとする動きは各州でみられるが、その反面、「結婚」については認めまいとする動きも見られ、同性カップルの結婚を禁じる法律 はユタ州にはじまりハワイ州やアラスカ州など、計35州で成立している。

_カナダ
カナダでは、03年に首相が同性カップルの結婚を合法化する方針を発表しており、すでに法案は可決している。これによって「パートナーシップ制度」ではな く、正式な「結婚」が認められる。世論調査では半数以上のカナダ人が同性婚を支持しており、その値も調査が行われるごとに上がっている。同国では、小学校 からセクシュアル・マイノリティの存在を教えるなどしており、同性愛をはじめとするセクシュアル・マイノリティへの差別や偏見は少ない。 またカナダ最大の都市トロントのあるオンタリオ州や、日本人留学生も多いバンクーバーのあるブリティッシュコロンビア州では、すでに同性カップルの結婚を 禁じることは違法だとし、同性のカップルがそれらの州で直ちに結婚することができるようになっている。 オンタリオ州、ブリティッシュコロンビア州はともに99年以降からパートナーシップ制度を取り入れていた。 また、ケベック州は1982年に州議会によって同性カップルを承認する「法案86」が可決されている。これは、同性の関係は異性愛の関係と同等だとして、 法的地位、種々の被雇用者利益、労働補償、私的・公的機関の平等な扱いを求めることをできるようにした一種のパートナー法である。

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■ヨーロッパ
世界的に見ても、同性カップルへの権利を認める動きが活発なヨーロッパ諸国。 結婚を認めるのは、オランダ(00)、ベルギー(01)。

_EU
EUでは、さまざまな分野を統一する動きの中、家族法の分野でも統一する試みがはじまっている。03年10月に提出された法案は、「EU内の一国でパート ナーとして認知済みの関係を、EU内の他国でも認めるようする」との案である。ここでのパートナーは、事実婚などのカップルを異性・同性とわずさしてい る。

_オランダ
2000年、オランダは世界で初めて同性の結婚を合法化し、民法を改正。2001年4月より同性婚、異惟婚の差が無くなった。同国では、94年に同性愛者 の権利が合法化され、96年には同性愛差別を法律で禁止するなど、”同性愛先進国”とよばれるほど、他国に対して先駆的な働きをしている。 「結婚」を合法化する前の98年には、同性カップルの「登録パ−トナ−シップ」の制度ができ、社会保障や相続の面で男女の夫婦と同じ権利を得ており、事実 上の結婚は認められていた。しかし、同性カップルからは、“法制度上の平等だけでなく、「結婚」にはシンボリックな意味もある。それを得る権利はないの か”との声が高まり、「結婚」の合法化にいたった。 2001年から施行される新しい民法では、相続権、年金授受、税金の配偶者控除、離婚等も、全て男女の結婚と同じ扱いとされる。3年間、夫婦が同居すれば 養子を引き取ることもできる。しかし、同性夫婦が海外から養子を迎えることだけはできず、養子縁組は国内に限定される。また、永住権を持たない外国人はオ ランダで結婚できない。

_ドイツ
ドイツでは、2001年から「生涯のパートナー法(同性共同生活差別撤廃法)」という連邦法が施行され、同性同士の婚姻が、男女の婚姻と同様にできるよう になり、同性のカップルの事実上の結婚が認められた。同性カップルも役場でパートナー登録をすれば、同じ姓を名乗り、配偶者手当、健康保険や医療介護保 険、財産の相続などの男女の「結婚」と同等の扱いを受けられるようになった。ただし、納税に関しては夫婦の扱いにはならず、個別に納めなければならない。 また、オランダとは違って、養子はみとめられていない。また、相手が連れてきた子どもの親権は得られないものの、教育権や監督権は認められる。

_べルギー
ヨーロッパの中では比較的、同性カップルの権利に関して遅れをとっていたベルギーだったが、2002年、オランダに続き世界で2番目に、同性カップルの結 婚を合法化した。98年に同性愛者の社会福祉や税制上の優遇措置が認められてはいたものの、それまでパートナーシップ制度の導入もされていなかった。 この法では、民法上の権利や義務などについて、同性間の結婚を異性間の結婚と同様に扱うように定めているが、ドイツと同様、養子はみとめられていない。 カップルのうち、どちらかが養子をもらうことはできるが、もう一方との間の親子関係は認められない。 しかし、04年に入って、養子縁組を可能にする動き がでている。議会には反対意見もあるものの、連立与党の賛成勢力の方がつよく、04年養子縁組を認める法案は通るだろうとみられている。

_イギリス
イギリスでは、セクシャルマイノリティへの政策がまだそれほど考えられていない。02年には欧州人権裁判所から、トランスセクシュアルの法的地位を見直さ ない英国を批判をされている。しかし、2003年、男性から女性への性別適合手術を受けたトランスセクシャルと男性との婚姻をめぐる裁判で、イギリスの最 終審である貴族院はこれを認めないとの判決を出した。 同性カップルについては、2001年、ロンドン市で婚姻届に準じた「届け出」を認める制度が始まった。この「届け出」には、男女の「夫婦」のような法的権 利は認められていない。しかし、この届け出が市の各機関で認められれば、遺言や財産、相続権などをめぐる問題で、同性カップルも夫婦に準じた権利が得られ るというものである。

_フランス
フランスでは99年に、同性・異性を問わず、共同生活を送るカップルに、夫婦と同様の法的権利を与える「連帯のための市民協約(PACS)」が成立してい る。1年以上同居をしていることが条件で、「カップル」であることを裁判所に届け出れば、、「物心両面での相互扶助」を義務とした上で、民法上は独身者扱 いから、結婚に準じた扱いを受けることとなる。相続や税金・社会保険の支払い、住宅の賃貸契約などで結婚に準じた権利が与えられる。共働き公務員の場合、 一方が遠隔地に転勤させられるといった不都合が少なくなるなど、生活上の不安や不便が軽減される。ただし、ドイツや同様、養子は認められていない。 こういったパートナー法はヨーロッパでは89年にデンマークで同様の権利が認められて以来、ノルウェー(93年)、スウェーデン(94年)、オランダ (98年)などすでに広がっていたが、カトリックの伝統が強い国としては画期的であった。 また、2001年には、同性愛者の政治家がパリ市長選で当選。同性愛をカミングアウトしてる政治家が、フランスの政界では初めて主要なポストに就いた。

_スペイン
スペインもセクシャルマイノリティへの政策があまりすすんでいない国ではあるが、議論は盛り上がってきている。04年3月に行われる国政選挙、そのキャン ペーンで、各政党とも「同性カップルに与える権利」が争点となっている。しかし、連邦政府は同性カップルの権利を認めるのを強く反対しているため、実際、 権利が与えられるかはわからない。一方、自治体単位では、パートナー法を採用する地域が登場した。北西部に位置する、ガリシア地方である。法律が改正さ れ、同性・異性問わず「カップル」に、結婚している「夫婦」と同等の経済的・社会的な権利が与えられるようになった。

_スイス
02年チューリッヒで行われた、同性カップルに関する 国民投票では63:37の割合で同性結婚を支持する という結果がでた。 同年、チューリッヒとジュネーブで認められている同性カップルの権利を全国に拡大するための法律が承認された。これにより、スイスも、同性カップルの結婚 を導入することになった。しかし、この法律でも養子をとる権利は認められていない。

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■北欧諸国
_デンマーク
デンマーク89年に世界で初めて同性カップルの登録制度を認める法案が施行された国であり、事実上の「同性婚」は法律的に定着している。デンマークのパー トナーシップ制度では、同性カップルもパートナーシップとして登録することで、相続・扶養・財産権・社会保障・税金など「夫婦」と同様の扱いを受ける。し かし、養子や教会での挙式などは認められていない。

_ノルウェー
ノルウェーは、93年パートナーシップ制度が発足。内容は、デンマークと同様。 同国では、00年に元司法大臣が、02年に財務相が同性パートナーと結婚している。

_スウェーデン
オランダと同じくらい、同性愛への政策が進んでいるといわれるスウェーデンは、78年に同性愛者に対する差別をなくすための議会の調査委員会が設けられ、 87年に同性愛者の同棲に関する特別法が制定された。94年には、同性カップルの婚姻も可能 になり、95年に 「パートナーシップ」登録制度を採用。しかし、登録には資格審査や、立会人が必要で、これはオランダに比べ、厳しいものにはなっている。養子縁組について は、制度が始まった頃は許されていなかったが、02年、養子を認める改革法案が可決。オランダのように同性カップルも養子をもつことができるようになっ た。

_フィンランド
フィンランドは02年、同姓カップルのパートナーシップ制度が導入された。これによって、北欧では全ての国で、同性カップルが男女のカップルと同等の権利 を有することになった。同国では、2000年に初の女性大統領が就任し、彼女は同性愛者団体の代表を務めた経験もあり、同姓カップルのパートナーシップ制 度の導入が積極的に議会で検討されることになったのだった。

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■アジア
アジア地域では、セクシャルマイノリティへの政策が遅れている。WHOは、93年に「同性愛はいかなる意味でも治療の対象とはならない」という宣言を行っ ているが、日本がそれを尊重する見解をだしたのは、95年のこと。タイや中国では、01年に「同性愛は精神病ではない」と公式に承認した。(参照:2章の2)

_台湾
そんなアジア諸国の中なか、台湾では03年から同性婚を公認する内容を含む人権法案にとりかかりはじめている。人権擁護法の一部で、この提案が議会で承認 されれば、台湾はアジア初の同性愛者の結婚を認める地域となる。その内容は、養子をとる権利も含めて、「結婚」に関する権利と同じものが全て、同性カップ ルにも与えられるというもの。つまり、オランダやベルギー、カナダと同じ権利である。法案は順調に成立される見通しとの見方がされている。

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■その他
_オーストラリア
南半球最大のプライド・パレード「マリディグラ」を行う、オーストラリアの制度はどうなっているだろうか。オーストラリアでは、一般的に事実婚が認められ ており、ディファクト関係と呼ばれている。結婚はしていなくても、事実そうであれば配偶者として認められるのだ。条件は、同棲期間が1年以上で、二人の関 係が真実であるという多数の証拠があること。 この制度によって、同性カップルも二人の関係に法的根拠を持たせることができる。 さらに04年、オーストラリアのタスマニア州では、同性カップルのパートナーシップを認める法律が施行された。これは、同性カップルに「結婚」とほぼ同等 の権利を与えるもの。法案では、同性のパートナーが身体的ハンディキャップを負った場合に 後見人になることや、パートナーの年金の受け取りについて「結 婚」と同等の権利を認めるものとなっている。 養子については、血のつながった子どもしか認められないという制限がある。

_南アフリカ共和国
南アフリカは97年、世界で初めて、「性的指向(セクシュアルオリエンテーション)の自由」を憲法で保障した国である。その後、次々とレズビアン・ゲイの 権利が裁判や立法で認められて、03年アフリカで、初めて同性のカップルでも養子を持てる国になった。しかし、同性カップルの「結婚」は法制化されていな いため、「結婚」と同等の権利などは保障されていない。

_アルゼンチン
02年、首都ブエノスアイレスでは、同性カップルの婚姻を認め、「結婚」とほぼ同等の権利を与える ドメスティック・パートナーシップ法が州議会で可決し た。これはラテンアメリカで初のパートナー法。 同性カップルでも健康保険や公的年金などが受けられるようになり、 病院などの公的機関でも配偶者として 取り扱われることになる。しかし、養子や相続に関する権利はこれには含まれていない。 アルゼンチンは国民の92%もがカトリック系という国で、法案には教会からの根強い反発があった。

_チリ
同じく全人口の90%がカトリック教徒というチリ共和国では、隣国アルゼンチンのブレノスアイレスではじまったパートナー法をうけ、同性カップルに正当な 地位を与える法案の策定に着手した。 チリでは75年間にわたって家族法が変わっておらず、 男女夫婦の離婚も非合法になっている。 この法案は同性愛者に差別的な取り扱いがされている現在の法律を見直しそうというもの。 内容は、2年間同居した同性カップルに年金や財産の相続権を認め るといったドメスティック・パートナーシップ法になるだろう。

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■■■■:2 政策・制度のこれから

世界では、一部の国で同性婚もみとめられはじめ、国によって名称やその内容には違いはあるものの、パートナー法は普及の一途をたどっている。しかし、いくら認められているといっても国内やその自治体での話であって、例えばオランダで結婚した同性のカップルが日本で住むことになったとしても、同性カップルへ権利保障のない日本では、オランダで合法的に結婚したカップルへ、「結婚」と同等の権利を与えると言うことはないわけだ。世界の大半の地域で認められるまでは、国際的な人の流れも激しい現代社会で、法律上の権利だにしても本当に「同じ権利」は獲得することはできない。
また、同性カップルに男女と同等の権利を与える動きが高まる中、アメリカを始め、同性婚を禁止する動きも高まっている。同性婚はどうしていけないのか。何が一番の問題とされているかと言うと、それは子供についてである。パートナーシップ制度をすでにとっている国でも、養子については許されていないところが多数であるのをみてわかるように、「同性カップルによって育てられることで子供に影響はないのか。」について懸念されているのだ。しかし、男女間の結婚のみが認められている今の日本でも、離婚や病死、またはシングルマザーなど、実に様々な理由で男女どちらかの親一人で育てられた人はごく一般的にいるし、「どちらかの親の不在」で育った人に対する差別や偏見も、この多様化する家族という枠の中、しだいになくなってきているのも事実である。また、「同性カップルは、異性カップルと同じように、健康で、落ち着いた、愛にあふれた子どもたちを育てられる」ことを証明する研究結果もアメリカで出されている。性別や血縁に関係なく、愛情に溢れた育て方をされれば、人と言うのは愛情を理解し身に付け、自らもまた自然と人に愛情を持って接することができるというものではないだろうか。

日本では、ようやく性同一性障害の人達への戸籍変更が認められたが、レズビアン・ゲイ当事者や関連団体ら によって、パートナー法の導入に向けての活動もすでに始まっている。人権施策に「同性愛者」について明記をした東京都だが、その後都のホームページにも性同一性障害と性的指向について掲載されている他に具体的なアクションはみられない。国単位、自治体単位の差はあるもの、パリ、ロンドン、ニューヨークといった他の国際都市では、なんらかの同性カップルを認めるたぐいの政策がとられていることを考えると、日本は国際的に遅れをとっていることを認めなくてならない。国単位ではフットワークが重くなるのであれば、やはり日本中、世界中から人が集まる東京、セクシャル・マイノリティのコミュニティが発達している新宿の2丁目をもつ東京は、国に先駆けてパートナーシップ制度など、同性カップルに保障や権利を与える政策を今すぐにでもとってしかるべしだろう。世界の状況を考えれば、もう機を待つ必要はない。
またテレビのセクシャル・マイノリティをネタにした見たり聞いたりするだけで心の痛むような番組などは規制されるべきだと思う。テレビ局の判断にまかせているだけでは、今のような番組ができてしまうのなら、政策が必要だろう。人権を侵害する表現に「表現の自由」は許されてはならない。テレビに出て活躍するセクシャル・マイノリティのタレントなどが増えていることについては、彼らの仕事としての「役づくり」によって物議もあるが、私はいいことだと思う。パレードをするのと同様、セクシャル・マイノリティの存在がセクシャル・マジョリティに対してヴィジュアルで伝わることに価値があると思う。しかし、セクシャル・マイノリティに関する知識がまだ全然十分に世の中に広まっていない今、タレントとして活躍する人たちは世論への影響が大きいので、セクシャル・マイノリティが市民権を得る日が少しでも早くなるような活躍を期待したい。
人権というのは「人が人らしく生きることのできる権利」であるのは、言うまでもないが、人権の侵害、差別と言うのは経済的な格差まで生み出す。セクシャル・マイノリティの人は、職場で理解されないことを懸念してカミングアウトできない人も多い。トランスジェンダーの男性が、ある日職場に女性の装いで行ったところ解雇されたというのを問題に裁判も行われている。現状、日本では、セクシャル・マイノリティの多くは、自らをカミングアウトしてのびのびと働くことが許されている環境は、限られているといえよう。よって、それが保障されているバーといった接客業につくことが多いのだ。偏見や差別をおそれ、職業選択肢がせまくなっているかれら。そのような構造をつくりだしているセクシャル・マジョリティ。一人一人が、つまらない偏見を捨てること。誰もが「生身の人間」であることを知ること。そして、それをふまえて他者と接すること。制度や政策と言うのは、ダイレクトに権利を保障するものだけれど、社会への啓蒙力も大きい。しかしそれでも補いきれない、社会の構造をかえるためのおおきな力は、個人の考え方の構造であったりする。そこを動かすには、セクシャル・マイノリティの問題について議論のできるような土台づくりも必要である。

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■■■■:3 まとめ

セクシャル・マイノリティが差別や偏見をもたれてしまう理由の一つに私は次のことがおおきく作用している様に思う。それは、多くの人が他の人間とコミュニケーションをとる場合、知らず知らずまず相手のセクシュアリティをふまえようとすること。セクシュアリティというのは、相手の一つの情報である訳だし、セクシュアリティに限らず、相手の情報をつかみそれによって自分の態度の取り方を考えようとするのは、社会生活を行う上でやむ終えないことであるとは思う。それは恋愛関係、上下関係、利害関係など人間関係にまつわるいろいろをうまく乗り切っていく社会性とよばれるものなのかもしれない。
しかし、セクシュアリティなどを超え「人」として他の人間とコミュニケーションをとることは、きわめて大切なことであると私は思う。「人」と言うのは、言わずもがな誰もが「生身の人間」であり、心をもって生きている。それぞれが、それぞれの過去を持ち、現在や未来のことを考え、好きなことがあって、好きなものがあって、好きな人がいる。それは中には自分には想像もできないような過去を持つ人や、自分の嫌いなものが好きな人もいて、”理解しかねる”と感じることもあるだろう。しかし、誰もが男であり、女であり、社会人であり、学生であり、若者であり、高齢者である以前に「生身の人間」なのである。

私は、94年〜00年までの中高時代を海外交流と性教育がさかんな私立の女子校で過ごした。そこでの性教育はどのようなものであったかと言うと、週に一度、ヒューマンセクソロジー(性科学)の授業があり、ジェンダーやセックスなど各方面から「性」について学んだ。このことが、今回のこの卒業論文のテーマを決めるにあたっても大きく影響したとおもう。女子校と言うのは、当然ながら先生以外は同性しかしないので、その6年間、「女の子同士」のつきあいが「人」つきあいの大半を占めていた。つまり、女子校では「女の子だから」が、社会一般のそれにくらべて、ほとんどないのである。重たいものもみんなで運ぶし、走る時でも「女の子だから足が遅い」というは通用しない。足が速いか、遅いか、それだけである。また、きれいな子はきれいだとみんなに言われていたし、みんなの目の保養にされていた。しかし、そのようにほとんどジェンダーに支配されない環境は、逆にそれぞれに役割が分担されていたようにも思う。その人の適正に従って、”得意な人がする”という分担が自ずとあった。一般的にはみんな「女の子」と言われるのだとしても、それぞれに個性や魅力があり、違いがあって、理解できたりできなかったり、本当にいろいろな「人」がいた。そして、理解できない「人」に対しても”違い”には寛容だった。それは、中学高校における人間関係には、ほとんど利害関係と呼べる程のものはなかったからかもしれないのだけど。

でも、この”違い”への寛容さというのは、まさに多様性を認める行為であり、あらゆる人の権利や自由を尊重する世の中をめざすのに、最も必要とされるポイントだ。セクシャル・マイノリティについて興味をもち、その人権に関して、覚束無いながら研究をしたわけだけれど、そこで最終的に自分はこの研究をとおして何を知りたかったか。何を言いたかったのか。冒頭で述べるには、言葉の気障さだけが目立ってしまいそうで気が引けたので、さいごに述べて終わりにしようと思う。
私は、「愛」について考えたかった。愛にも、恋愛、愛情、友愛、自己愛、家族愛など様々な種類があるけれど、愛がなければ、人にコミュニケーションはいらないかもしれない。けれど、私はいろんな人とコミュニケーションするのが好きだ。程度は違えど、いろいろな人に興味がある。何を考えているか知りたいし、どうしてそう考えるのか知りたい。相手への興味・関心・好奇心、すべてをささえているのは愛なのだと思う。

社会学者の土場学氏は「ポストジェンダーの社会理論」の中で、 ジェンダーからの解放は解放の言説の場ではなく、理解の実践の場のみで起こりえるだろうとするなかで、次の様に記している。

わたしが「男」ないし「女」という意味づけでは決して理解し得ないあなたを理解しようという契機があって初めて、私自身を「男」ないし「女」という意味付けでは決して理解しえない存在として理解していくことができるようになるからである。

人は、何かに共感して感動をして、それを刺激にさらなる思考を生みながら生きてゆく。見たこともない風景の写真や絵画を美しいと思ったり、自分には関わりあいのない世界が描かれている小説に共感するところがであったりするのは、それに接している時間は対象にむかって、その”違い”に対して寛容になりながら、それらを理解しようと興味・関心・好奇心、つまり、愛を向けているからなんだと思う。

原点回帰になるけれど、人が愛し合っている世の中に差別や偏見など存在できる訳もない。律儀に私の論文をさいごまで読んで下さった方だけでもいいからわかってもらいたい。そして、自分にも肝にめいじさせるためにここに書いておこうと思った。人っていうのは、みんな違くって、本当はマジョリティとかマイノリティなんていってる場合じゃないんだ。ただ、人はみんな「人」であるという共通点をもってして、共感できる可能性はいくらでもある。そこに、愛があれば。

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■■■■■参考資料
朝日新聞

読売新聞

毎日新聞

“人間と性”教育研究所『同性愛・多様なセクシュアリティ 人権と共生を学ぶ授業』子供の未来社(2002)

セクシャルマイノリティ教職員ネットワーク編『セクシャルマイノリティ』明石書店(2003)

エリック・マーカス『Q&A 同性愛を知るための基礎知識』明石書店(1997)

土場学『ポスト・ジェンダーの社会理論』青弓社(1999)

サイモン・ルベイ『クィア・サイエンス』勁草書房(2002)

虎井まさ衛『女から男になったワタシ』青弓社(1996)

ギルバート・ハート『同性愛のカルチャー研究』現代書館(2002)

モートン・ハント『ゲイー新しき隣人たちー』河出書房新社(1992)

井上俊、上野千鶴子、大澤真幸、見田宗介、吉見俊哉『セクシュアリティの社会学』岩波書店(1996)

吉田修一『最後の息子』文芸春秋(1999)

東京都公式HP
http://www.metro.tokyo.jp/

InterPride
http://www.interpride.org/

すこたん企画HP
http://www.sukotan.com/

VIVID セクシュアリティを考える会 http://mucho.girly.jp/vivid/profile.html

東京国際レズビアン&ゲイ映画祭 公式HP
http://www.tokyo-lgff.org/

東京メトロポリタン ゲイフォーラムHP
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/5937/index.html

市民政治文化フォーラム・アクエリアス公式HP
http://members.aol.com/rainbowfrontier/index.htm

東京レズビアン&ゲイパレード2002公式HP
http://www.tlgp.org/frames.html

milk HP
http://www.milkjapan.com/

動くゲイとレスビアンの会・アカー HP
http://www.occur.or.jp/index.htm

"INNOCENT KINGDOM"HP
http://sumomo.sakura.ne.jp/~lilith/ik/

pesfis HP
http://home3.highway.ne.jp/pesfis/

以上、順不同



THANK YOU VERY MUCH!!