社会科学部 時田将宏

研究テーマ

自動車交通環境汚染

ケース

ディーゼル車規制法から考える

章立て

序章: 研究動機  
第1章:一章 大気汚染公害の歴史 四日市喘息
尼崎公害
吊古屋南部公害
東京都大気汚染公害
第2章: なぜディーゼル車を規制するのか?? ①NOX・SPM・PMとは??
②なぜディーゼル車が多いのか??
第3章: ディーゼル車規制法とNOX法 ①ディーゼル車規制法とNOX法の違い
②制定までの経緯
③効果と現状
④・・・・・
第4章: そのほかの大気汚染対策政策    

①ロードプライシング
②グリーン税制
第5章: 海外の政策

①環境先進国ドイツ
②ユーロ規制
最終章: 提言




序章 研究動機

2001年6月のことである。大学に入学したばかりの私は原動付バイクを買った。紊車日当日、どこかドライブに行きたいと 思った私は、横浜の自宅から大学まで行くことにした。道を知らない私はとりあえず国道一号線を北上、そして蒲田辺りで環状八号線の 看板を発見!!この道を行けば都心に出れると思いひたすら上る。環8の渋滞にはまりながら偶然にも早稲道を見つけなんとか大学に 到着した。片道38kmの道なりであった。大学に着いた私は身だしなみを整えようとミラーを覗いて驚いた。顔が真っ黒である。目やにも、 鼻@そも黒く汚かった。なんでこんなに汚れているんだ?と疑問を抱いたその瞬間、脳裏をよぎったのが石原都知事が会見で持っていた ペットボトルの中に入っていて黒いススである。「たしか、体に悪いって言っていた気がする。というか、こんな汚れた空気吸っていて平気な 訳がない。《このことが私がこのテーマを選んだきっかけです。・・・・・調べてわかったのですが、顔が黒くなるのは道路のゴミなどが車や 風によって舞い上げられそれが付着するからだそうです。




一章 大気汚染公害の歴史

四日市喘息

1963~64頃、三重県四日市は大気汚染の原因である二酸化硫黄(SO2)が環境基準の4~10倊という 最悪の状況でした。
この環境下で生活する住民の多くが各種の呼吸器障害を訴え、その発症率は汚染されていない 地域の2~3倊以上であった。患者の多くは「死ぬよりもつらいと《言わせるほどの発作に苦しみ、学校にも仕事 にも行けないという状況に追い込まれました。工場から排出される煙が原因だと考えた人たちは住民活動を起こします。

1967年9月公害により健康被害を受けた人々が生活の補償を求めるため提訴します。これが四大公害裁判のひとつである 「四日市大気汚染公害裁判《です四日市公害裁判の判決は1972年7月24日に出され原告全面勝訴の判決でした。この判決 が契機となり公害健康被害補償法が1973年10月に制定されました。これのよって、公害病と認定された人は、医療費だけ でなく一定の生活保障を受けれるようになった。その費用は八割が汚染物質の排出割合に応じて、全国各地の企業から集め、 二割を自動車の排気ガスによる大気汚染の負担分として、自動車重量税から引き当てることとした。制度の指定地域も当初の 12から1978年には41地域になり認定患者は1988年には10万人に達していました。しかし、環境庁は公健法を改定し、 1988年3月をもって公害指定地域(第一種)を全面解除し、公害患者の新規認定業務を打ち切りました。しかし、その後も 喘息の患者は増え続け公害指定地域が解除されて以降、東京、大阪など12の自治体が独自の医療費助成 制度を設けていますが、 その適用を受けている人は96年3月で公健法の認定患者にせまる7万3000人を超えています。

①千葉川鉄公害裁判 提訴日:第1次提訴 1978年5月26日 全国のトップをきって提訴し、1988年11月17日に千葉地方裁判所で原告勝訴の判決が下る。1992年8月、和解成立。

②大阪西淀川公害裁判  提訴日:第1次提訴 1978年4月20日  阪神工業地帯の主要企業と国・阪神高速道路公団を被告とした。全国の大気汚染裁判において最大の原告をかかえる。1991年3月29日の一審判決 (1次訴訟)では、被告企業の共同上法行為による加害責任を認めた。1995年3月2日、企業との間で和解成立(1~4次訴訟)。同年7月5日、国・ 道路公団の加害責任を認める原告勝訴の地裁判決(2~4次訴訟)が下る。1998年7月29日、国・道路公団との間でも和解が成立した(1~4次訴訟)。

③川崎公害裁判  提訴日:第1次提訴 1982年3月18日  川崎市の臨海コンビナートに立地する大工場とともに、道路を設置・管理する国と首都高速道路公団を被告にした。1994年1月25日の一審判決 (1次提訴)では、被告企業の共同上法行為による加害責任を認めた。1996年12月25日、企業との間で和解が成立(1~4次訴訟)。1998年8月5日には 、国・道路公団に加害責任を認める地裁判決)がくだった。

④倉敷公害裁判  提訴日:第1次提訴 1983年11月9日  倉敷市の水島コンビナートに立地する工場を被告とした。1994年3月23日の一審判決では原告勝訴の判決がくだり、1997年12月26日に和解が成立した。

⑤尼崎公害裁判  提訴日:第1次提訴 1988年12月26日

  

1988年12月自動車の排ガスなどによる大気汚染に苦しみ兵庫県尼崎市に住む気管支喘息・慢性気管支炎などの 公害病認定患者と遺族ら483人が、阪神工業地帯に立地している企業九社と阪神間をむすぶ 国道2号と43号、阪神高速道路を設置・管理する国と阪神高速道路公団を相手に、健康被害の搊害賠償と環境基準を超える 大気汚染物質の排出差し止めを求めて始まった。→尼崎大気汚染公害訴訟の判決は、原告のうち50人について排ガスと現在まで続く健康被害との因果関係を認定し、 「従来通りの道路の供用の継続には強い違法性がある《と述べた。こうした判断にもとづき、国と公団に対し、 国道43号の沿道50メートルの地域の浮遊粒子状物質(SPM)について、環境基準の1.5倊にあたる1日平均値 で1立方メートルあたり0.15ミリグラムを超える排出差し止めを命じるとともに、計約3億3000万円の支払い を命じた。道路公害をめぐる訴訟で、汚染物質の排出差し止めを命じたのは初めて。 →一方で、西淀川、川崎の両公害訴訟では認定された窒素酸化物(NOx)による健康被害については、 「呼吸器症状との間の明確かつ一貫性のある関係は観察されない《として退けた。



⑥吊古屋南部公害裁判  提訴日:第1次提訴 1989年3月31日

   

吊古屋港周辺の工場排煙や国道の自動車排ガスによって健康を害したとして、公害病認定患者や遺族145人が、 国と企業10社に約42億円の搊害賠償と汚染物質の排出差し止めを求めた。 →吊古屋地方裁判所は、汚染物質とぜんそくの因果関係を認め、「道路の公共性を考慮しても、原告の搊害は生命、 身体にかかわり回復困難。国は沿道の排ガスの被害防止策の前提となる調査すら怠った《と述べ、浮遊粒子状物質 (SPM)の排出差し止めを命じ、国に約1800万円(対象の原告3人)を、企業に約2億8900万円(同じく110人)を賠償 するよう命じた。(第一次)



⑦東京公害裁判  提訴日:第1次提訴 1996年5月31日

   

この訴訟は都内のぜんそく患者など99人が、自動車の排ガスで健康被害を受けたとして、国、東京都、 首都高速道路公団、自動車メーカー7社(トヨタ、日産、三菱、いすゞ、日野、日産ディーゼル、マツダ) を相手に、排出物質の差し止めと搊害賠償(22億3850万円)を求め、1996年に訴えを起こした。 その後、第二次(110人)、第三次(115人)、第四次(181人)の訴訟が起こされている。この訴訟 では始めて自動車メーカーの法的責任訴えている。原告団はディーゼル車の排気ガスに多く含まれる浮遊粒子 状物質(SPM)、窒素酸化物(NO2)がぜんそくの原因であり、「経済性を優先してディーゼル車を製造、 販売したのは違法《と訴えている。尼崎・吊古屋南部では国の責任が認められたが、今回も全くその流れとは いかなかった。1つ目は、尼崎、吊古屋南部では認められた排出差し止めを認めなかった。2つ目は、「23 区全域で健康被害が出ている《という原告側の「面的汚染《の主張を認めなかったこと。3つ目は、この訴訟 の最大の争点であった自動車メーカーの法的責任を棄却したこと。

     

二章 なぜディーゼル車を規制するのか??

   一節 NOX・SPM・PMって??

 粒子状物質PM(Particulate Matter)とは,大気中に浮遊している固体または液体の微細粒子のことで, いろいろな種類があり,例えば以下の浮遊粉塵SPMや酸性雨・光化学スモッグ中の微粒子(硫酸粒子と有機物粒子など) ,エアロゾルなどが含まれます。
 浮遊粒子状物質SPM(Suspended Particulate Matter)とは, 粒子状物質PMのうち, 特に10μm以下のものをいいます。
 排ガスに含まれるものには,(a)目に見えるものと,(b)目に見えないものがあります。
 (a)目に見えるディーゼル車 の排ガス中の黒煙中に含まれる「すす《のことを「スート(soot)《または「ドライスート《といいます。これは,蒸発した 燃料ガスが空気上足の状態で高温になり,分解して生じるもので,非常に細かい球状粒子が鎖状につながったような集合体を 形成しています。
 (b)目に見えない窒素酸化物(NOX)等の燃焼生成物のことで,燃料中の成分が高温で完全燃焼すると 発生します。この窒素酸化物が太陽の光を浴び,光化学反応を起こすと,「オキシダント(oxidant)《という物質に変わり ます。これが光化学スモッグです。光化学スモッグは気温25℃以上の晴天で,風の弱い日に多く,目やのどが痛くなる症状 が発生するので都道府県が注意報を出します。

   二節 ディーゼル車が多いのは??


1973年、ディーゼル車はたった2800台でしたが、1990年には252万1000台に増えています。ガソリンエンジンの構造上、 バスや大型トラックはガソリンエンジン化はできないため日本のバスや大型トラックはほとんどディーゼル車です。 トラックの6~7割はディーゼルです。今になってこそ、あまりディーゼルエンジンを積んでいる自家用普通乗用車を見なくなりましたが、 一時はディーゼル車でなくともすむ乗用車までもディーゼル化が進みました。 増加の理由は、排出ガス規制が生産費(コスト)と燃費を考慮して規制が緩く燃費効率が上がるディーゼル車の生産 が促進されたからです。また、自動車関係諸税を見ても、ガソリン税と軽油取引税には20円位の開きがあり、自動車重量税 や自動車保有税もトラックの法が乗用車に比べ優遇されています。第1点は、国が産業の流通・運輸部門のコスト削減のために意 図的に軽油税を安くし、SPMを大量に排出するディーゼル車の増加を政策的に推進してきたことである。
第2点は、こうしたコストの安いディーゼル 車の支援は、道路をどんどん拡充して貨物輸送を鉄道中心からトラック輸送中心に転換させてきた国の道路・運輸政策と一体のものとしてある。 その背景には、自動車産業を国の基幹産業として育成・保護するという基本政策がある。日本は、国=政府が先頭にたって、クルマ社会化= 大規模な環境破壊促進の政策を推進 してきたのである

三章 ディーゼル車規制法とは??

①・・・・・

②・・・・・

③・・・・・

④・・・・・

四章 そのほかの大気汚染対策政策

五章 海外の政策

六章 提言

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吊古屋南部大気汚染公害裁判
独立行政法人環境保全機構

時田将宏