メディアとスポーツの関係を考える
〜メディア・スポーツ・人の三角形の強化のために〜

上沼正明・政策科学ゼミナール
鷺澤正視





本稿では、巨大化したメディアの勢力に対し、スポーツ団体はメディアと如何なる付き合いかたをすべきか考察している。その上で、理想的なスポーツの発展について提言できればと思う。

第一章では、研究にいたった動機と、日本のスポーツメディアが孕む問題点を挙げ、第二章では、日本のスポーツとメディアの関係の歴史を探るため、プロ野球が開催されるまでの経緯を述べる。
第三章・四章では、海外の事例について研究する。三章はヨーロッパにおけるサッカーとメディアの結びつきと、大衆がスポーツを観る権利、「ユニバーサル・アクセス権」 が規定された経緯についての研究である。そして四章では、アメリカでもっとも成功しているスポーツといわれる、アメリカンフットボールのNFLとメディアの関係、及び成功の要因として挙げられる「地域密着」について述べる。


第五章では、これらのことから日本での現状を顧み、日本のスポーツ、およびメディアとの関係に何が足りないのか、理想の関係はどういうものなのか探っていきたい。




第一章:研究動機・現状の問題点


第二章:日本でのスポーツとメディアの歴史


第三章:ヨーロッパでのサッカーとメディアの結びつき


第四章:NFLとメディアの関係、および地域密着型経営について


第五章:スポーツとメディアの理想の関係とは?






第一章: 研究動機・現状の問題点




近代以降の日本において、メディアとスポーツはお互いに協力しあい、発展を続けてきた。
新聞社の部数拡販戦略として開始された高校野球の人気定着は、野球が国民的なスポーツとなるきっかけであったといえる。また、それがいかに新聞社の利益となったかは、現在の日本におけるメディア勢力図を考えてみれば一目瞭然である。
戦後の経済発展を精神的な意味で支えたのもスポーツであり、それを大衆に提供したのはマスメディアだった。プロレスや相撲などの格闘技のテレビ中継は、敗戦によって意気消沈した日本人に再び活力を与えた。そして、復興の最大の象徴が、東京オリンピックであった。



さて、現在、スポーツとメディアは良好な関係を保ち続けているだろうか。


私がこの研究をはじめるに到った一つの契機がある。バレーボールのワールドカップだった。「ワールドカップ」と呼ばれるものが、なぜ毎回日本で開催されているのだろう。そんな疑問である。
バレーボール・ワールドカップは、1977年以降、フジテレビが放映権を独占する形で4年毎に日本で開催されている。これは、当時の日本でのバレーボール人気を背景に、テレビ放映による収入を見込んだ国際バレーボール連盟の決定によるものだ。 これにより連盟の収益は増し、日本においてのバレーボール人気も完全に定着した。しかし、この形式はいくつかの弊害を生んだ。

まず、テレビの中継に合わせた試合運営がおこなわれるようになる。1999年、テレビの中継時間にあわないという理由から、ルール改正が行われた。従来の、サーブ権を得ているチームのみが得点する権利があるという「サイドアウト制」から、サーブ権にかかわらず得点を得られる「ラリーポイント制」に改定されたのである。これは、サイドアウト制ではゲームの終了時刻がわからず、テレビ中継に支障がでるというメディアからの要請に合わせた形だった。
また、日本が常に参加できるという不平等性が大きな問題である。いうまでもなく、日本でのテレビ放映による収入の確保が狙いである。 男女とも、この大会で上位3位以内に入ると翌年の夏季オリンピック出場権が得られる。このような重要な大会に常に日本に出場権が与えられているというのは、果たして健全で公平なスポーツだろうか。


その他のスポーツでも、テレビ中継にあわせたルール改正が議論されている。これらの例を見れば明らかなように、スポーツはマスメディアによって、形をかえつつある。 しかし、宣伝媒体としてのメディアの影響で、各種スポーツはその人気を獲得し、競技人口の増加につながったことも、またひとつの事実である。スポーツ側がメディアを有効につかえれば、そのスポーツの発展につながっていくことはまちがいないだろう。

本稿では、そうした視点からいくつかのスポーツをとりあげながら、メディアとスポーツ団体はどうつきあっていくのがお互いにとって有益であるのか、その理想の関係を考えたい。




 ・現状での問題点


現在、オリンピックをはじめとするほとんど全ての世界的なスポーツイベントは、テレビの放映権料がないと成り立たない。また、各競技団体もそうした資金で競技力向上を計っている。近代以降、各種メディアによるスポーツ報道がスポーツ人口の拡大に貢献してきたことは言うまでもないし、その意味でスポーツが現在の地位を確立するにいたった最大の功労者はマスメディアであると言える。

報道機関が紙媒体に限られていたころも、新聞紙面にスポーツ情報を掲載することで娯楽コンテンツをまかなっていたし、新聞の部数拡販のための宣伝活動にもスポーツは広く利用されてきた。そして、テレビの登場である。
スタジアム外でもリアルタイムにスポーツの興奮を享受できるテレビは、ファンにとってはスポーツを一層身近にするものであった。第二次世界大戦後、サッカーをはじめとする多くのスポーツが世界的な広がりを見せた最大の要因は、テレビ中継であろう。オリンピックやワールドカップなど、世界規模の大会の中継が行われることで、広く市民レベルでスポーツが親しまれ、プロ選手・スター選手に憧れる子供たちは、我さきにボールを手に取った。テレビによって、各種スポーツのピラミッドの底辺は下支えされてきたのである。


一方、メディアがスポーツから得た恩恵もまた、大きなものであった。
というよりも、メディアにとって「スポーツは最高の商品」だという言い方が適切だろう。
スポーツ番組の利点としては、次のような点が挙げられる。


@ テレビ局が自前で番組を製作するわけではないので、商品の作成コストが安い(もしくはかからない)
A プレーそのものが大衆をひきつけるため、その魅力に一般性・大衆性がある
B 二度と同じ試合は行われないため、常に新しい商品を生み出すことができる


Aで挙げたスポーツの魅力の一般性については、テレビの視聴率調査がその根拠となりえる。
野球人気の低迷が叫ばれて久しい今の日本においても、地上波におけるスポーツ中継が占める割合は決して少なくない。特に、もはや年末の恒例となった格闘技番組をはじめとし、サッカーの日本代表戦、野球の日本シリーズや箱根駅伝など、各競技のビッグイベント中継は高視聴率を維持しつづけている。

下表が06年度の視聴率上位の番組である。

 

番組名

放送日

放送局

放送開始時刻

番組平均
世帯視聴率(%)

1

サッカー・FIFAワールドカップ・日本×クロアチア

618日(日)

テレビ朝日

21:35

52.7

2

FIFAワールドカップ・日本×オーストラリア

612日(月)

NHK総合

21:50

49.0

3

World Baseball Classic決勝・日本×キューバ

321日(火)

日本テレビ

10:45

43.4

4

ボクシングWBA世界ライトフライ級タイトルマッチ・亀田興毅×ファン・ランダエタ

82日(水)

TBS

20:25

42.4

5

57NHK紅白歌合戦

1231日(日)

NHK総合

21:30

39.8

6

FIFAワールドカップ・日本×ブラジル

623日(金)

NHK総合

5:00

37.2

7

WORLD BASEBALL CLASSIC・日本代表×韓国代表

319日(日)

TBS

11:50

36.2

8

プロボクシング・亀田兄弟ダブルメイン・55日は亀田の日・第2

55日(金)

TBS

19:55

33.0

9

ゲド戦記・公開記念!金曜特別ロードショー・ハウルの動く城

721日(金)

日本テレビ

21:07

32.9

10

NHKニュースおはよう日本・トリノオリンピック

224日(金)

NHK総合

6:00

31.8

 

 

 

 

 

 

13

NHKニュースおはよう日本・トリノオリンピック

224日(金)

NHK総合

7:00

30.2

14

ボクシングWBA世界ライトフライ級タイトルマッチ・亀田興毅×ファン・ランダエタ

1220日(水)

TBS

19:30

30.1

17

82回東京箱根間往復大学駅伝競走・復路・第2

13日(火)

日本テレビ

7:50

29.1

17

88回全国高校野球選手権大会・決勝

820日(日)

NHK総合

14:09

29.1

20

82回東京箱根間往復大学駅伝競走・往路・第2

12日(月)

日本テレビ

7:50

27.6

21

全日本フィギュアスケート選手権・女子シングルフリー

1229日(金)

フジテレビ

19:00

27.2

27

プロ野球日本シリーズ・日本ハム×中日・第5

1026日(木)

テレビ朝日

18:04

25.5

29

プロボクシング亀田興毅世界前哨戦第2

38日(水)

TBS

21:00

24.8

(ビデオリサーチHPより作成)

これによれば、2006年度のテレビ年間視聴率の上位は、一位のサッカーW杯・クロアチア戦の52.7%をはじめ、上位10位中8番組、30位中でも16番組がスポーツ関連の番組であった。中でもサッカーW杯ブラジル戦(早朝5時中継開始)や、トリノオリンピックでのフィギュアスケート(同6時中継開始)は、テレビ放送に非常に不利な時間帯でありながらも高い視聴率を記録した。(それぞれ37.2%、31.8%)


このように、スポーツは一般大衆から高い関心を集めているが、日本国内のみに視点を絞ってみても、スポーツイベントと主要メディアは深く結びついている。高校野球では、高野連とともに春の選抜大会では毎日新聞が、夏の選手権大会では朝日新聞が主催者に加わる。関西地区以外では、NHKが独占的に全国放送する。また、箱根駅伝では、読売新聞・日本テレビグループが実質的に大会を統括している。
このことがメディアを通して各イベントの人気維持につながっていることは確かだ。しかし、メディアが主体となってスポーツイベントを運営するという構造は、いくつかの歪みを生み出している。
その一例としてマラソンのオリンピック選考を挙げてみよう。


「世界選手権でメダルを獲得した日本人トップは内定、残りの枠は、世界選手権と国内3大会の上位入賞者から本大会(五輪)でメダルを獲得、または入賞が期待できる選手」というのがマラソンの選考方法に関する日本陸上競技連盟の公式見解である。
さて、この上記の国内三大会だが、男子では福岡国際、東京国際、びわ湖毎日マラソンが、女子では東京国際女子、大阪国際女子、名古屋国際女子マラソンのそれぞれ3つのレースがオリンピックの選考レースとして使われている。これらのレースの成績、および過去の実績が加味されて選考がおこなわれるわけだ。
日本では長くこの方式での選考がおこなわれているわけだが、こういった曖昧な基準のために選考は常に物議をかもす。アテネ五輪の時にも、高橋尚子陣営は実績によって彼女が選ばれると考えていたが、結果は落選だった。
どうして、選考レースを一試合にしないのだろうか。
専門家としては、複数回のチャンスの中から選んだレースで結果を残すほうがコンディションも調えやすく、逆に一発選考だと怪我などの影響も考えられ、オリンピックでメダルを狙える選手を選考できないということのようだ。

おそらく、これは一つの事実だろう。

だが、それでも一発選考の方が公平だし、選手達も曖昧な選考基準に煩悶することもない。これがおそらく一般ファンの大勢をしめる意見だろう。しかし、そんな声が多い割には選考方法に対するメディアの批判は及び腰だったように感じる。
なぜか。それは、メディアとしては自分達の首を絞めたくないからだ。

上記のレースの主催者には日本陸連とともに、各メディアグループが加わっている。福岡国際は朝日新聞とテレビ朝日、東京国際は読売新聞と日本テレビ、びわ湖毎日は毎日新聞(NHKが後援)である。女子の3レースの主催者には日本陸連とともに、東京国際女子では朝日新聞とテレビ朝日が、大阪国際女子は産経新聞と関西テレビ(フジテレビ系列)が、名古屋国際女子では中日新聞(後援にフジテレビ系列の東海テレビ)が加わっている。
そして、それぞれのレースは各メディアグループによって大掛かりな事前キャンペーンが展開され、当日は主催(後援)のTV局によって制作された番組が全国で生中継される。
これが、一発選考になればどうなるか。
当然、有力選手は選考レースに集中し、それ以外の大会への参加は回避するだろう。そのことによって選考レース以外の大会の注目度はさがり、これまで協賛してきたメディアは、おそらく持ち回りのような形で選考レースの中継をおこなうことだろう。メディアにとっては利益が三分の一になってしまう。
現在の、男女計6つの選考レースはファンの関心が高く、安定して高い視聴率が期待できる。こんな有料番組を抱えたメディアに、どうして自分達の利益を削ることに直結する五輪選考の批判などできようか。

私が問題視しているのは、選考方法そのものではない。
社会全体の監視システムであるべきマスメディアが、自社・自局の利益のために、その働きを放棄していることが最大の問題なのだ。そして、そのことによってスポーツの公平性、競技性は歪められる。理不尽ともいえるシステムの中で選手は苦しめられ、視聴者は首をかしげるのだ。冒頭であげたバレーボール・W杯の例についても、全く同じことが言える。

スポーツとメディアの黎明期には、お互いがお互いの長所を活かし、相互協力といえる形で発展してきた。現在においてもメディアなくしてはスポーツ業界の経済的な発展はありえないし、お茶の間にスポーツの興奮が届くことはない。
だが、メディアがあまりに強力になりすぎたため、次第にメディアとスポーツの関係は「協力」関係からメディアによるスポーツの「支配」へと形を変えつつある。








第二章:日本でのスポーツとメディアの歴史




この章では、スポーツとメディアの関係がいかなるものであったか、その黎明期からの発展を取り上げることで、スポーツとメディアの共生関係の成り立ちを探っていきたい。

日本において、メディアとの結びつきが最も強いスポーツは野球である。日本テレビによって行われる巨人戦の放送によって今日の野球の人気は定着したといえる。また、特に広く人気を集めている二つの大会、すなわちプロ野球と高校野球の歴史を振り返ってみても、それはメディアとの協力と相互発展の歴史である。


まず、明治時代の最大のメディアである新聞の発行状況を見てみよう。
明治40年には大小さまざまな新聞が全国で発行され、部数の多い新聞に「万朝報」(25万部)、「報知新聞」(30万部)、「東京朝日新聞」(20万部)、「大阪朝日新聞」(30万部)、「大阪毎日新聞」(27万部)などが挙げられる。ほぼ横一線の状態である。


一方の野球はどうだろうか。
野球が最初に日本に導入されたのは、1872(明治5年)のことだった。第一大学区第一番中学(現在の東京大学)のアメリカ人教師、ホーレス・ウィルソンがベースボールを伝えたのがその起源である。以後、明治の発展や学問の啓蒙とともに、野球も精神鍛錬や体育教育の一環として広められ、1903(明治36年)には早慶戦が開始されるなど、その人気は徐々に全国に波及していった。

さて、現在の夏の甲子園大会の前進にあたる、全国中等学校優勝野球大会がスタートしたのは、1915年(大正4年)に箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄)が各大会の優勝校を集めた大会の企画を大阪朝日新聞社に持ちかけたことがきっかけだった。

後述する全国選抜中等学校野球大会(現在の春の甲子園大会、毎日新聞社主催)とあわせ、現在でも親しまれているこの二つの大会が、日本における野球とメディアとの最初の結びつきだといえる。

この朝日新聞社による野球大会を用いた部数拡販戦略は、大阪朝日新聞の発行部数を飛躍させたとともに、東京朝日新聞の部数拡販にも影響をあたえた。以下の表をごらんいただきたい。

 
「東京朝日」新聞部数の伸長
年月 販売部数 府県別ベスト5
大正12年
(11月6日現在)
289,464
大正13年
(4月7日現在)
410,221 東京121000、千葉34000、神奈川28000、長野25000、埼玉23000。
大正14年
(4月7日現在)
422,527 東京140000、神奈川35000、千葉28000、静岡21000、長野20000。
大正15年
(4月7日現在)
431,811 東京153000、神奈川36000、千葉24000、長野20000、静岡20000。
(株式会社朝日オリコミHPより)

もちろん、部数の飛躍的な伸びの原因は野球大会のみの影響ではない。当時は大正デモクラシーと言われ、一般大衆の教養水準が高まっていた時期である。文化レベルが高まった民衆が新聞を手に取るというのは想像に難くない。
しかし、全国中等学校優勝野球大会の記事は読者に娯楽ページとして親しまれ、「野球」というスポーツその地位を確立させるとともに、朝日新聞の宣伝に大いに貢献したといえる。
事実、この大会の大衆の関心は相当なものであったようだ。以下は第十回大会(大正13年)に関するwikipediaの記事の引用である。

前回大会の準決勝で観衆が球場から溢れて試合が中断したことを契機として、阪神電気鉄道専務の三崎省三の尽力により、この年の7月31日に阪神甲子園球場が完成した。また、今大会よりはじめて指定席に限って入場料を徴収した。
大会3日目で甲子園は超満員となり、5万人入るには10年かかると見ていた関係者を驚かせたという。



朝日新聞と夏の甲子園大会の成功をみた毎日新聞社は、朝日から遅れること9年後の1924年に、全国選抜中等学校野球大会(現在の春の甲子園大会)を開催し、こちらも大変な人気を博した。

そして、それから7年後、1931年のの満州事変当時、発行部数のトップを争っていたのは、50 万部台を売り上げていた毎日・朝日である。
結果としては、いち早くスポーツに注目した新聞社が人気・知名度で抜け出したといえる。



 ・読売新聞社と日米野球


現在、野球(もしくはスポーツ全体)との結びつきがもっとも強いメディアは、読売新聞および日本テレビだろう。読売ジャイアンツのテレビ放映を中心に、読売グループは磐石ともいえる野球会との関係を構築してきた。
この両者の関係はどのように築き上げられたのか。

1931年当時、読売新聞の発行部数は22万部にとどまっていた。上述した毎日・朝日新聞の半分足らずだ。
現在、日本でトップを争う大メディアである読売グループだが、この発展にはひとつの契機があった。それが、正力松太郎社長を中心に企画・開催された、日米野球である。

大手新聞社に水を明けられていた読売新聞は、巻き返しのために大衆娯楽の紙面取り入れに積極的だった。その目玉として正力は大リーグに注目した。
当時、先に行われていた高校野球の成功もあり、日本での野球人気は着実に盛り上がっていた。これを見た正力は、現役大リーガーを日本に招聘し、日本代表と試合をさせる構想を企画したのだ。
そして31年11月、大リーグのオールスターチーム来日が実現した。迎え撃つは東京六大学の選手を中心とした日本代表チームであった。この試合では、当時のトッププレイヤーだったベーブ・ルースは来日しなかったものの、大リーグの17戦全勝に終わった。しかし興行的には大成功で、読売新聞はこれで一挙に10万部以上の部数拡大を果たしたのだ。

第一回の成功に気をよくした正力は、さっそく第二回を計画した。ところが、32年3月に文部省から公示された野球統制令によって、学生チームが職業選手と試合をすることが禁止された。第一回での学生選抜という形では大リーガーとの試合は不可能になったのだ。
また、前回の惨敗もあり、正力はプロの全日本選抜チームを組織することを決意し、大学の有名選手を大量にスカウトした。そして34年11月、ベーブ・ルースを含めた全米オールスターの来日を実現させた。第二回日米野球開幕である。この試合における沢村栄治投手(当時17歳)の活躍は見事で、日米野球界でその名を知らしめた。

この大会も興行的には成功し、全国の野球ファンは東京、大阪、名古屋など各地での試合に詰め掛けた。そしてこれをきっかけに、全日本チームの中心メンバーで大日本東京野球倶楽部、のちの読売巨人軍が結成された。その後も正力の呼びかけで阪神を筆頭に球団がつぎつぎと設立され、36年2月に7球団で日本職業野球連盟が結成された。

日米野球を経たプロ野球リーグの結成は、その中心となった読売新聞社の大躍進につながった。第1回日米野球が行われた31年に22万部だった「読売」の発行部数は、日本プロ野球リーグが正式にスタートして3年後の39年には、その4倍以上の120万部へと大躍進した。このときすでに東京一の部数を誇っている。

そして、第二次世界大戦後、テレビ放送が始まってからの読売グループと野球の関係はもはや説明するまでも無い。日本で唯一全国ネットで試合中継を行っていた読売巨人軍を中心にプロ野球の歴史は刻まれていった。

こうした歴史を経て、読売巨人は「球界の盟主」と呼ばれる絶対的な地位を勝ち取り、そのことが巨人軍有利なルール改正、すなわち入団選手の逆指名制度や、フリーエージェント制の導入につながった。現在においても、巨人戦のテレビ放映権料は各球団にとって大きな収入源であり、その権益の取り合いが球界全体のバランスを崩していると揶揄されている。

しかし、歴史を見てのとおり、このような球界の体質が形成されたのは、読売グループの営業努力であることも、また疑いの無い事実である。




第三章:ヨーロッパでのサッカーとメディアの結びつき



この章では、ヨーロッパを中心としたサッカーバブルとその崩壊、及び「ユニバーサル・アクセス権」について取り上げたい。
前者からはメディアがスポーツ界のバランスを崩した端的な例をあげ、後者では「ユニバーサル・アクセス」と呼ばれる「スポーツを観戦する権利」が規定されるに至る経緯を述べる。


 ・ヨーロッパのサッカーバブル


90年代半ば以降、世界中でサッカーの放映権料が一気に跳ねあがっていった、「サッカーバブル」という出来事に触れたい。その契機となったのは、イタリアのサッカーリーグ・セリエAだ。
以下は中田英寿のセリエA移籍に関する記事である。

 それまでセリエAの放映権はリーグが一括管理・販売し、メディアへの露出量を基にクラブに分配していた。当然ACミランやユベントスといった大手にお金は手厚く配られる。これに下位クラブが不満を持つようになった。「放映権収入が膨らんだのは日本選手を抱えた我々のおかげ。それが配分に反映されていない」と。この対立がもとでセリエAの放映権は今ではクラブが個別に売買する形になった。([2006年4月12日/日本経済新聞朝刊)

上記記事にある、セリエAが放映権をリーグ一括管理からチーム個別契約という方式に変更したのが1999年の夏である。以後、フランスのカナル・プリュスをはじめ、各メディアが競うようにクラブとの放映権交渉をおこなった。
また、1995年のボスマン判決によって選手の移籍制度が大きく変わったことで選手の移籍金と年俸が高騰したことも、放映権料の値上げに大きくかかわっている。


※ボスマン判決とは・・・
1995年12月に欧州司法裁判所で出された判決で、ヨーロッパ連合(EU)に加盟する国の国籍を持つプロサッカー選手が以前所属したクラブとの契約を完了した場合、EU域内の他クラブチームへの移籍を自由化(つまり契約が完了した後はクラブが選手の所有権を主張できない)したもの。
(wikipediaより)



イタリアでの放映権高騰を追うように、各国でもテレビ放映権料は跳ね上がり、ワールドカップにも大きな影響をあたえた。
従来、サッカー界最大のイベントであるワールドカップは、「なるべく多くの地域で観戦することができる」よう、放映権は低く抑えられていた。だが、1998年大会後方針を転換し、利益の追求に走り始めたのだ。(注:発展途上国での放映権料は安いまま、もしくは無料)
具体的な数字を挙げると、02年・06年の2大会あわせた放映権を購入したスイスのスポーツマーケティング会社ISLと、独メディア最大手キルヒグループが支払った金額は、1100億円だった。そして、ジャパン・コンソーシアムJC(NHKと民放の連盟)に転売した02年大会の放映権料は170億円前後だった。これは98年大会の6億円から比べると30倍近い価格である。

しかし、この放映権料高騰に歯止めがかかるときがきた。上記のW杯の放映権などを高値で落札し続けたISLとキルヒの経営に無理が生じ、ISLが01年、キルヒは02年に巨額の負債を抱え、倒産した。

特にキルヒグループ全体の負債総額は65億ユーロに及んだうえ、同社はドイツのプロサッカーリーグ「ブンデスリーガ」に00年から四年間で、15億ユーロを提供する契約を結んでおり、この放映権を予定の金額で回収できなくなったブンデスリーガでは、経営危機に直面するクラブが相次いだ。

また、イタリアでも同様に、「サッカーバブルの崩壊」と呼ばれる現象が起きた。
2002年、上記した「カナル・プリュス」の系列会社である、イタリアの有料テレビ会社テレピュが、オーストラリアのメディア王、ルパート・マードック氏に安値で買収された。これもやはり放映権料高騰による経営悪化が原因である。

こうしたスポーツメディア各社の倒産・経営の悪化により、サッカー放映権の高騰はヨーロッパ中で歯止めがかかり、以後放映権は現状維持、または微減を続けた。
このバブル崩壊と前後し、イタリアなどでいくつものビッグクラブが経営危機に陥った。放映権収入の高騰を見込んだオーナーの放漫な経営が最大の原因である。
以降、世界的な人気が高い、即ち資金が潤沢なクラブ以外の弱小チームには、採算に見合わないからという理由で、放映権の値下げ圧力がかかる一方で、強豪クラブの放映権は上昇し続けた。このことがクラブごとの更なる経済格差・戦力格差の広がりを生んだ。弱小クラブはどんどん切り捨てられる一方で、強いクラブにますます富が集まる構造である。



 ・ユニバーサル・アクセス権


ここでは、イギリスでのサッカーとメディアの関係を紐解くことで、「ユニバーサル・アクセス権」について考えたい。

ユニバーサル・アクセスとは、「(スポーツに限らず)世界的に主要なイベントをテレビなどで視聴することは、基本的人権の一部であり、これらのイベントは広く一般大衆に視聴されるよう、無料地上波で放映されなければならない」という概念である。すなわち、有料放送が台頭することにより、富裕層しかテレビでスポーツを楽しめなくなるのを防ぐ目的がある。

イギリスでこの権利が提唱されはじめ、法制化されたことには、メディアとサッカーの結びつきが大きくかかわっている。

ことの起こりは1992年、世界的なメディア企業・ニューズコーポレーションを経営するルパート・マードック氏とイングランドサッカー協会の結託にはじまる。両者は既存のイングランドフットボールリーグから人気チームを引き抜き、イングランド・プレミアリーグを設立した。そしてマードック氏がイギリスで立ち上げた新興テレビ局有料衛星放送のBSkyBがその中継を担当したのだ。

BSkyBはプレミアリーグの全チーム・全試合の独占放送権を高額で取得した。そのことにより、それまで無料放送を続けていた地上派各局がイングランドリーグのサッカー中継から締め出され、イギリス庶民のお茶の間から、無料で見られるサッカーリーグの中継が消えた。
一方、BSkyBの契約者は160万台から500万まで一気に増加し、1992年のリーグ創設の翌年には黒字を達成した。

ちなみに、下図はイングランド・フットボールリーグの放映権の推移である。前後するが、上記したヨーロッパの放映権バブルの先駆けとも呼べる高騰である。そして、その高騰は今も続いている。


("BSkyB investigation: alleged infringement of the Chapter II prohibition", Office of Fair Tradingより)

ともあれ、豊富な資金力とプレミアリーグの成功を背景に、90年代中頃からBSkyBはクリケットなどのイギリスで人気の高いスポーツの独占放映権を次々と購入し、この成功で大企業へ成長していった。


しかし、無料テレビ観戦を望む市民の不満が爆発した。有料放送を見られない労働者階級のサッカーファンはスポーツバーでの観戦を強いられた。「我々のフットボールを返せ」との市民の叫びを社会問題視した英議会では、スポーツの「ユニバーサル・アクセス権」について議論が行われ、法文化された。

以後、ドイツ、イタリア、スペインなどで同様の議論が沸き起こり、各国で法整備がすすんだ。また、オーストラリアでも反サイフォン規則によって同様の権利が定められ、水泳、ゴルフなども含めた11競技、37のイベントのほぼ全試合の無料テレビ中継が規定されている。


参考:
イギリスにおいてはユニバーサル・アクセスの規定により、以下の10大会が無料放送されるべきとされている。

<地上波によって無料放送されるべきイベント>

○オリンピック

○サッカー
  • ワールドカップ本大会
  • イングランドFAカップ決勝戦
  • スコットランドFAカップ決勝戦
  • ヨーロッパ選手権本大会
○競馬
  • グランドナショナル
  • ダービー
○テニス
  • ウインブルドン決勝戦
○ラグビー
  • ワールドカップ決勝戦
  • チャレンジカップ決勝戦


<有料放送可能だが、録画やハイライトによって無料放送されるべきスポーツイベント>

○クリケット
  • イギリスで開催される国際大会全て
  • ワールドカップ決勝、準決勝およびイギリス代表チームの試合
○テニス
  • ウインブルドン(決勝戦以外の試合)
○ラグビー
  • ワールドカップ(決勝トーナメント以外の試合)
  • 六カ国対抗(イギリスが出場する試合)
○陸上
  • 世界陸上選手権
○ゴルフ
  • ライダーカップ
  • 全英オープン
  • コモンウェルスゲーム(英連邦競技会)

これらはすべて、イギリス伝統のスポーツイベントである。伝統を重んじるイギリスの風土、そして伝統的スポーツがもはや生活の一部となっているイギリス国民の姿が浮き彫りになっている。


さて、イングランドのプレミアリーグに話を戻す。

プレミアリーグ発足以降、昨年まではBSkyBの独占放送が続いていた。その間の放映権の値上がりは上記の表のとおりである。

が、06年の夏、EBU(ヨーロッパ放送連合)がBSkyBのプレミアリーグ独占放送を、EU独占禁止法とユニバーサルアクセス権に違反しているとして問題視し、BSkyBに対して放送の分譲を求めた。
結果、07年夏から10年夏までの契約で、BSkyBは全体の2/3にあたる92試合の放映権を獲得、残りはアイルランドの有料放送局「SETANTA」が獲得した。契約総額は約17億ポンド、これまでの契約から66%アップだった。ただし、懸案のひとつであった無料地上波でのプレミアリーグの放送はかなえられなかった。(注)
また、英大手電話会社のBT(British Telecommunications)は、録画中継での放映権を獲得した。この契約の大部分は、試合終了日の22時から50時間経過後の試合放送を認めるものである。(テレビおよびインターネットでのブロードバンド中継を含む。)

こうした経緯をたどっても、プレミアリーグの生中継放映権はいまだ有料放送の手中にあり、一般階級のそれに対する不満は決して払拭されたわけではない。ただ、フットボールが完全に生活の一部となっているイギリス国民にとっては、スポーツバーに出かけ、ビールを片手に同胞ともいえるサポーター仲間と騒ぎながら観戦を楽しむというのも、それはそれで一つの楽しみ方となっている。

私が一年ほどイギリスのマンチェスターに滞在していた時、ここに日本との最大の文化の違いを感じた。スポーツが生活の一部として、一文化としての地位を確立しているのだ。マンチェスターの市街地は、新宿の歌舞伎町ほどの広さしかない小さな町だが、そこに点在するスポーツバーの数は一つや二つではない。あるものはマンチェスターユナイテッド、あるものはマンチェスターシティ、またあるものはリバプールと、贔屓のクラブの応援に、それぞれ声を枯らせていた。
対して東京でスポーツバーを探すとなると、外国人客目当てのバーなど、ごくわずかに限られる。
日本では「飲みニケーション」という言葉のごとく、居酒屋で賑やかに語らうのが社交であるが、イギリスでは社交の道具は、スポーツだ。

「ユニバーサル・アクセス権」が最初に提唱されたのがイギリスであるのも、決して偶然ではない。それほどまでに、特に労働者階級にとっては、サッカーは欠くことのできないものなのだ。こうした事情は多かれ少なかれヨーロッパに共通したものであり、それがスポーツ界の土壌になっている。


また、イギリスでは放映権料の高騰はいまだ天井知らずである。
これが、ヨーロッパ各国で挙げた例のようにバブルの崩壊につながるかどうかはまだわからないが、いずれにせよそういった面も意識したコミッショナーの舵取りがこの先必要になってくるだろう。
これまでこの章でみてきたように、スポーツ界が己の人気を過信し、放っておけばテレビ放映権がどんどん高騰してゆき、それで大もうけできるだろうといった、先行きを見越さない経営は、かならず行き詰まる。メディアの力におんぶにだっこで進もうとするのは甘い。あくまで、スポーツ団体自身が主体的にメディアを利用できるかに、その繁栄はかかっているといえる。

注:数年前から、プレミアリーグとBSkyBの結びつきはカルテルにあたり独禁法にあたるとして多くの裁判がおこされた。2002年のイギリス公正取引委員会(Office of Fair Trading)の調査によれば、「BSkyBが有料スポーツ放送において支配的な地位にあるのは確かだが、独占禁止法によりその地位を放棄させるには不十分だ」と結論づけている。また、プレミアリーグの独占販売について1999年に行われた制限的慣行裁判所の調査において、「プレミアリーグのこうした手法(有料放送に放送を独占させる)は、公共的な興味をそぐものだとは言い切れない」としている。
Wikipedia英語版「FA Premier League」より


※関連記事・資料
「テレグラフ」06年4月27日(英語)

「BBCニュース」06年12月4日(英語)






第四章:NFLとメディアの関係、および地域密着型経営について



第二章では、現在のプロ野球界の読売一極集中と呼ばれる権益の独占にいたるまでの歴史を顧み、第三章ではメディアに頼り切ったスポーツ界がメディアの倒産のあおりを受けて経営危機に陥った、ヨーロッパサッカー界の例を挙げた。
さて、スポーツがメディアと共栄しながらも、ある程度自立した力を持つにはどうすればよいか。この章では、アメリカンフットボール(NFL)の経営システム、メディアとの関わり方をさぐることで、スポーツとメディアの理想の関係を模索したい。



 ・高収益を上げるNFL


NFLは、全米でもっとも経営状態の良いスポーツ団体だといわれている。アメリカの経済誌フォーブスがに2004年発表したアメリカメジャースポーツの各フランチャイズの格付けランキングで、16位のニューヨーク・ヤンキース(MLB)以外は上位33位までをNFL 32チームが占めていることからもそれは見て取れる。

NFLが特に強く掲げる経営理念がある、それは、チームの「共存共栄」である。もっと正しく言えば、リーグ全体の利益の最大化である。
特にNFLでそれは顕著であり、リーグ全体の戦力均衡によるファンの囲い込みを目指し、各チームが公平に利益を分けあういくつかのルールを定めている。その根幹をなすものが「レベニュー・シェアリング」(収益分配)制度である。


NFLのリーグ運営は設立当初から、スポーツの魅力とは最高のレベルで戦力の均衡したチームが繰り広げる競争状態である、という理念のもとに行われています。リーグ全体が継続的に繁栄しアメリカ全土を熱狂させるためには、戦力や資金力が特定のチームにだけ片寄ってしまうことのないシステムを構築することが必要である、という信念がそれを支えています。(NFL JAPAN HPより)
 

NFLはフランチャイズ制を敷き、フランチャイズ地域では独占的な経営が可能である。これはMLB、NPB(日本プロ野球機構)も同様であり、たとえば読売ジャイアンツは阪神タイガースの許可なしに甲子園球場で公式戦は行えないし、兵庫県での野球関連イベントも開催できない。
この制度では、地域マーケットの小さい地方球団は観客動員をはじめとした経営面でどうしても不利に立たされるのだが、「レベニュー・シェアリング」はそうした地域間での有利・不利を無くしてできるだけ対等な条件でのチーム運営を可能とするものである。
以下はNFLにおけるレベニュー・シェアリングの内容である。


NFLでは以下の収益をリーグ全体でプールし、所属する32チームに均等に分配しています。1チームの収入に占めるリーグからの分配金の割合は平均約70%に達しています。

・TV放映権
    NFLではリーグが一括して、レギュラーシーズン(256試合)、スーパーボウルを含めたポストシーズン全試合のTV放映権の交渉を行います。各チームは全国放送のないプレシーズン戦のみ、個別でTV放映権の契約を行うことができます。
・チケット収入
    各試合のチケット収入の40%はリーグ全体の売上としてプールされます。各試合の売上60%は、ホームチームの収入となります。
・ライセンスグッズ収入
    各チームのライセンスグッズの売上から発生するロイヤリティ収入。
・スポンサー収入
    リーグと契約するナショナル、またはグローバルスポンサーからの収入。  各チームはローカルスポンサーからの収入はチームの売上とすることができます。


この中で収益に占める割合が大きいのは、言うまでも無くテレビ放映権だ。優勝を決めるスーパーボウルの全米視聴率は非常に高く、2006年の第40回は41.6%を獲得し、約9070万人が観た計算である。ちなみに2000年以降の番組別視聴者数ランキングの上位7つをスーパーボウル中継が独占している。当然テレビCMの価値も非常に高く、30秒CMを1回放送するだけで260万ドルに達するという。(NHL JAPAN HPより)
また、総試合数が少なく、スタジアムでの観戦チケットは入手が非常に困難なこともあって、レギュラーシーズンの視聴率も安定して高い。そうしたことから、テレビの放映権は、以下のように超高額である。

(早川武彦著「テレビの放映権料高騰と放送・通信業界の再編」より)

こうした高額の収入をリーグ全体で管理することで、米四大スポーツのなかで唯一、NFLでは全球団がほぼ毎年黒字経営を保っている。

レベニュー・シェアリングへの反対論は、「共存共栄など共産主義的であり、経営努力が足りないチームは競争原理によって淘汰されるべきだ」という意見が大半を占めるようだ。しかし、当たり前のことだが、スポーツは一チームだけでは行えない。対戦する相手がいてこそ成り立つのだ。その対戦相手が皆、淘汰とは言わないまでも大きな赤字を抱え、弱体化してしまうと、どうなるか。競争原理により生き残ったチームのみが、その経営基盤を元に戦力を拡張し、毎年同じチームが優勝する事態になろう。 スポーツは、拮抗した戦力のチームが熱戦を繰り広げ、優勝を目指すからこそファンを惹きつける力を持つのだ。それは各リーグ戦において、優勝チーム決定後の消化試合に対するファンの関心の低さを引き合いに出すまでも無い。
突出して強いチームを生み出さないために、そして上述したようにチームの経営努力では埋められない、マーケットの差をカバーするためにレベニュー・シェアリング制度は存在している。

さて、レベニュー・シェアリングを日本のプロ野球などで導入できるだろうか。回答は、間違いなく「否」だ。

日本のプロ野球では、第二章で述べた歴史的な背景もあって、経営的には読売ジャイアンツの独り勝ち状態である。それ自体は読売グループの経営戦略の成功が大きく影響しているので、一概に「悪」だとは言い切れない。ともあれ、既に富を持つものと持たざるものに分かれてしまった以上、レベニュー・シェアリングを実施すれば富の再配分が起こるだけで、それこそただの共産主義と化してしまう。

対して、NFLがこの制度を維持することができるのは、NFL設立当初から「リーグ全体の発展」を旗印に事業を推し進めてきたからである。 コミッショナーが強い権限を持ち、各チームのオーナーには常に「リーグのことを考える」ことが義務付けられている。所有チームの利益にはなるがリーグ全体にとってプラスにならないような経営は認められないのだ。

そうした信念を持ち、NFLというリーグ、アメリカンフットボールという競技全体の発展に努めているからこそ、今日の人気が確立されたのであり、メディアの介入によってリーグのバランスが崩れることも起こらない。結果として、メディアからの高額の収入を得ることができ、メディアとの充実したパートナーシップを築くことが出来るのだ。


 ・TV中継での新技術


NFLが行う、メディアを活かしたファンサービスについて取り上げたい。

毎年、音楽界のビッグスターがライブを行うスーパーボウルのハーフタイムショーをはじめとし、NFLはテレビ中継を利用して、派手な演出を行っている。一方で、メディアの技術を活かした中継システムも注目されている。

NFLの中継で、画面に黄色い線が引かれてあるのをご覧になったことがあるだろうか。 この線は、攻撃開始位置から10ヤード進んだ位置(ファースト・ダウン)を示すものである。アメリカンフットボールでは4回の攻撃の間に10ヤード前進できないと攻守交替となる。しかし、スタジアムではなくテレビで観戦していると、そうした距離感が非常につかみづらい。

そこで考案されたのが、「ヴァーチャル・ファーストダウン・ライン」と呼ばれるシステムである。

(sportvision社HPより)

画面上に表示した黄色や青の線で、テレビ中継でもファーストダウンの位置をわかるようにしているのだ。

現在のNFLではこうした技術を利用して、テレビ観戦をする視聴者にもなるべくわかりやすく、臨場感にあふれる中継を行っている。 これは技術革新とメディアの協力によって可能になった、スポーツファンが受ける大きなメリットである。

また、「ヴァーチャル・ファーストダウン・ライン」にコマーシャルメッセージを組み込むことも検討されている。これによりNFLはスポンサーの広告料を、試合の流れを止めることなく獲得できる。NFL以外でも、テレビ画面にのみ表示される三次元広告(ヴァーチャル・アドバタイジング)は広く活用されている。野球のバックネット裏やサッカースタジアムの看板は、ヴァーチャルのものも多い。

このような新技術により、スポーツとメディアの関係は、またひとつ密接したものになるだろう。


 ・NFLと地域密着


現在のNFLの成功の要因は、設立当初から推し進めてきた「リーグ全体の利益の最大化」であることはこの章の始めで述べた。そうした努力がリーグの価値を高め、メディアから魅力的なコンテンツとして捉えられるようになったのだ。
一方、各NFLチームと地元地区との関係も見逃せない。NFLは、テレビ中継を中心に、全米はおろか全世界にわたるマーケットをもっているが、足元である地元との結びつきも非常につよい。上記したように、レベニューシェアリング制度によってNFL各チームの収益分配はコントロールされている。しかし、チケット収入に関しては、リーグ一括で管理しているのは40%であり、残りの60%はホームチームの収益になる。すなわち、「スタジアムに観客を呼べるか」=「地元にファンがどれだけいるか」がチーム収益の大きなポイントになるのだ。

具体的な例として、グリーンベイ・パッカーズの例がしばしば挙げられる。
パッカーズの本拠地グリーンベイは、人口10万人と、NFLのフランチャイズの中で最小のマーケットである。にもかかわらず、2003年(2004年3月31日期末)の収支報告によると総収入は1億7,910万ドル(約110億円)、利益はNFL32チーム中10位 の2,080万ドル(約21億円)を上げているのだ。球団経営を支えるのは、地域住民だ。
パッカーズでは他のチームとは違い、単独のオーナーは不在である。株券の所有を通じて、グリーンベイ市民ひとりひとりが球団のオーナーになっているのだ。

パッカーズが株券を発行し、市民からの投資を得たのは1923年だ。グリーンベイには大企業がほとんどなく、スポンサー集めに困ったチームは、一株25ドルの株式を販売したのだ。その株券は以降、1935年、1950年、1997年と今までに4回にわたり約4,749,000株が発行された。営利を目的にした株式ではないため、配当金も無く、チケットの優遇があるわけでもない。
それでも株券を持つ市民はグリーンベイ・パッカーズの株主であることに誇りを感じ、ただ純粋にチームを応援しているのだ。

そして、多くの市民によって支えられているパッカーズはそれを地域に還元するために、選手やチアリーダーは学校・病院訪問をはじめ様々なチャリティー活動を行っている。

こうした経営が成り立つのは、親の代、祖父母の代からの徹底した地域密着経営を行っていたからこそであり、パッカーズとアメリカンフットボールはグリーンベイ市民にとって文化以上のもの、生活の一部分となっているのだ。


パッカーズ以外のチームでも地域住民との交流は盛んに行われており、NFLは地域密着型クラブの集まりといえる。地域住民に心から愛されているからこそテレビ中継の視聴率も高く、収益も上げられる。逆説的な言い方だが、地域密着クラブの集合体だからこそ、NFLはアメリカ全土でこれだけの人気を勝ち取ることができているのだ。





第五章:スポーツとメディアの理想の関係とは?



これまで、スポーツとメディアの関係について論じてきたが、スポーツとメディアの理想の関係とはいかなるものであろうか。

結論から述べると、「地域密着」を基盤にしたスポーツクラブが、より広範なファンを獲得するためにメディアを利用する。それがスポーツ団体にとっての理想のメディアの付き合いかたであると考える。それによりスポーツ団体の人気が定着することで、メディア側にとっても、ますます強力で安定したコンテンツを手に入れることができる。

また、このモデルでは、「人」が重要な役割を占める。スポーツと地域との結びつきとは地域「住民」との結びつきであり、「ファン」はメディアによってスポーツを楽しむ機会をより多く得ることができる。「スポーツ」「メディア」「人」の三角形の結びつきを強めることが、スポーツ界にとって不可欠であるのだ。


日本においては、スポーツとメディアの結びつきは強くとも、「人」との結びつきが弱いといえる。スポーツが文化として、地域に定着していないからだ。そこに、欧州やアメリカのスポーツ界との最大の違いがあり、弱点があるといえる。


第三章では、ユニバーサル・アクセス権と呼ばれる「大衆がスポーツを見る権利」が規定された経緯について、第四章では、地域密着によって利益をあげるNFLについて述べた。日本の現状を見ると、いずれの面においても遅れをとっているといわざるを得ない。地域から、大衆から競技が生まれたヨーロッパやアメリカとは違い、日本では富国強兵のためにスポーツが導入された。戦後において、スポーツは復興のシンボルにはなっても、地域に根ざしたものにはならなかった。それは、スポーツクラブを所有した企業が、宣伝効果やテレビ中継の収入獲得のみに腐心してきた結果であるともいえる。


これまで40年にわたり日本でのプロスポーツをリードしてきたのは野球であり、読売ジャイアンツだった。60年代以後、スポーツ人気を独占してきたともいえる。
しかし、1992年のJリーグ開幕後、ジャイアンツは、野球は、徐々にその人気を奪われていった。野球人気にかげりが見え始めた現代、プロ野球界は遂に「地域密着」に真剣に取り組み始めた。日本ハムファイターズの北海道移転に始まり、新球団・楽天ゴールデンイーグルスの本拠地は仙台へ。この両球団の地元での活動、そしてソフトバンク・ホークスを含めたIT企業によるネットでの野球中継の開始など、プロ野球界は大きな変革期を迎えている。

日本ハムファイターズは北海道移転により、2005年に13年ぶりに観客総数100万人を突破、2006年も17.4%増とひとまずの成功を収めた。また、Yahoo!動画で主催試合を全試合ネット中継しており、日本ハムとソフトバンクの対決となったプレーオフ第2ラウンド第1戦では、10万6,000人近く(試合全体)の視聴者を集めた。 また、イーグルスも楽天サイト上でホームゲームを無料中継している。

これらの例は、スポーツのメディア中継の新しい流れである。地域密着によって強固なファン層を獲得し、スタジアムに観戦に訪れることが出来ないファンに対しては、メディアを通じて試合を提供する。こういった努力の積み重ねが、スポーツ文化を定着させていくのだ。

上記2球団の地域密着経営やインターネットでのスポーツ中継はまだ発展途上期であり、評価を下すにはまだはやい。しかし、「野球を地域に根付かせる」という方向そのものは、地域ぐるみで「おらが町」のクラブを支援する海外の事例を見れば、必然性をもったものである。

Jリーグが「スポーツの地域密着」を掲げて15年。短期的には観客動員などの面で伸び悩んでいるが、設立当初から「Jリーグ百年構想」を打ち出している。それによると、サッカーを核に、さまざまなスポーツを地域に根付かせることがJリーグの最大の目標なのだ。
そのため、各クラブでは地元市民に対するさまざまな形でのファンサービスや活動を行っている。その中でも、2005年に浦和レッドダイヤモンズが創設した、「レッズランド」について取り上げたい。

「クラブと地域社会が一体となって実現する、スポーツが生活に溶け込み、人々が心身の健康と生活の楽しみを享受することができる町」をめざす「Jリーグ百年構想」を具現化するため、浦和レッズは総合スポーツクラブを創設した。それが、レッズランドである。現在オープンしているだけでも、サッカー場(天然芝)5面(うち野球場兼用3面)、ミニサッカー場(天然芝)1面、フットサル場(天然芝)3面、ラグビー場(天然芝、サッカー兼用)1面、テニスコート11面(ハード5面、クレー6面)の大型スポーツ施設である。




レッズランド構想(レッズランド公式HPより)


レッズランドを中心に、地区の子供たちから老人まで、皆がスポーツを楽しめるようなヨーロッパ型のスポーツ・コミュニティを形成することが、その理念として掲げられている。 こうした構想が実現できるのは資金の潤沢なクラブに限られるが、おそらくなんらかの形でこうした総合スポーツコミュニティが日本にも増えてくるだろう。


Jリーグが目標としたように、「百年」後、果たしてスポーツ文化は日本に定着しているだろうか。
それには、スポーツが地域、すなわち「人」との結びつきを強め、また、メディアとのパートナーシップをより一層強め、ファンにスポーツの素晴らしさをアピールしてゆけるかどうかにかかっている。








参考文献

ロバート・ホワイティング著、松井みどり訳「野球はベースボールを超えたのか」(ちくまプリマー新書)

海老塚修「スポーツマーケッティングの世紀」(電通スポーツマーケッティング局)

佐伯聰夫「スポーツイベントの展開と地域社会形成」(不味堂出版)

スティーブン・アリス著、河田芳子訳「スポーツ・ビズ」(ダイヤモンド社)



参考HP

早川武彦:「現代スポーツ考」

コブス・オンライン

及び本文で引用した各ホームページ