現代社会諸問題に対応する都市計画の考察

ケース---東京圏衛星都市におけるコンパクトシティの導入

勝部元気


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序章 研究動機

T章 都市政策の現状とコンパクトシティ

U章 各自治体におけるコンパクトシティ導入の動き

V章 コンパクトシティの法制化の動き

W章 纏めと政策提言


序章 研究動機


 私の近所には狭山丘陵というある程度の広さのある丘陵がある。 その丘陵は別名を「トトロの森」と呼ばれ、 スタジオジブリによる宮崎駿監督の大ヒット作品である、 映画「となりのトトロ」の舞台となったところである。 東京近郊20キロメートル範囲内にありながら雑木林が茂り、 湿地帯も存在する貴重な自然地域だ。 この丘陵には多くの野生生物が存在し、貴重な絶滅危惧種も存在する。 休日には多くの家族連れが自然を満喫したり、 バードウォッチングをするためにウォッチャーなどが集まる。 著者も小学五年生から財団法人日本野鳥の会に所属しており、 しばしばこの丘陵に足を運んでは、 生態系とそこに生息する動植物の希少性及び重要性を認識・実感してきた。

《出所:さいたま緑の森博物館ホームページより》

 話は変わるが、高度経済成長の時代も終わり、 2005年度の国勢調査では初めて日本の人口が自然減に転じた。 少子高齢化時代の到来である。 この現象は歴史上、異様な光景である。 とゆうのも、人間が飢饉や戦争等の天災・人災とは無関係に人口を減らすことは、有史以来初めてであるからだ。 中には「今の日本の人口は多過ぎるから、減って丁度いいのではないか」と考える人もいるだろうが、 人口が減るとゆうことは数字以上に様々な意味を持つので、そう簡単に人口減少を肯定することはできない。 少子高齢化は、産業革命以降、日本においては明治維新以降続いてきた拡大生産的な消費活動・開発活動と、 それに基づく社会構造に、大きな変革をもたらすのである。 それは都市構造も例外では無い。 利用する側が減るということは、必要とされる土地や建物の数も減っていくのである。 つまり人口が減ることで、これ以上の居住地の拡大は必要性を失い、開発はしなくてもすむようになったはず、 そう考えるのが自然と思われる。

 ところが、土地や建物の利用が減少していく現象は見当たらないどころか、 日本のいたるところで居住地の横への拡大は進んでいる。 もちろんそれは狭山丘陵でも同じである。 現在も西武資本による開発が進み、狭山丘陵の面積は着実に減少しているのだ。 このような現象は、横浜の丘でも、多摩丘陵でも見ることができる。 高度経済成長期に企画立案されたニュータウン計画が完了せず、 今なお終身雇用を前提とした住宅ローンでマイホームを郊外に購入し、 電車で通勤するという戦後日本型生活の受け皿整備が続いているのである。 確かに開発のスピードは相当遅くなった。 しかし開発そのものは全く終わっていないことが、郊外に足を運んだ者ならわかるだろう。

 現代の環境問題と言えば、地球温暖化や越境酸性降下物、砂漠化問題やオゾン層の減少などの地球環境問題が中心である。 メディアでも学者の間でも、一昔前の公害型環境問題は、ほぼ解決したかのような口調で論じられる。 果たして本当にそうなのだろうか。 確かに大半の汚染は回復したように思われる。 狭山丘陵近くを流れる不老川という川は、最も汚い川の一つとされていた川であるが、今では順調な回復を見せている。 狭山丘陵にある多摩湖から荒川へと流れる柳瀬川も、NPOによる水質改善が行われている川として有名である。 また、車の排ガスで真っ黒になった空は、排ガス規制が進んだ現在では写真の中でしか見ることができない。 このように一昔前の環境問題は解決を見せている中、 森林破壊という問題はどうだろうか。果たして森林の面積は高度経済成長期以前の水準に回復したのであろうか。 答えはNOだ。 前述のように森林面積は回復するどころか、 継続する開発によって高度経済成長期より少なくなっているのである。 この問題は一昔前の環境問題の中でも例外的に現在進行中の問題である。

 このような森林減少問題への対策として、様々な対策が行われている。 狭山丘陵でもいくつかの私的な団体が保護活動を行っている。 例えば、財団法人トトロのふるさと財団と呼ばれる地元の団体は、 募金等で収集した基金(ファンド)を設立し、 「トトロの森 1号〜5号」と呼ばれる森を設置するなどのナショナルトラスト活動を行っている。(下記の写真参照) また宮崎氏自身も近くの森林を自己資産から買い取ったりしてはいる。 しかし、そのような開発そのものを抑えることには至ってはいないのである。

《出所:財団法人 トトロのふるさと財団ホームページより》

 どうして人口の伸びが止まった現在でも森林破壊は止まらないのだろうか。 言い換えれば、どうしてこのような人口減少に反比例をして居住地が拡大するという現象が起きるのだろうか。 開発需要が存在するという前提で、開発を続けるための余剰の土地が中心街に無くなり、 町が拡大していった結果、郊外に土地を求めていったのか。 つまり不可避的に町が広がったのだろうか。

 ところがそうでもないことが、中心街に行けばわかる。 多くの都市で、中心商店街の通りのシャッター通り化は進み(写真参照)、 町の中心地として君臨したはずの駅前大型GMS(General Merchandise Store)も、 郊外の大型ショッピングセンター等に顧客を奪われ収益率が低下し、中心街から撤退を余儀なくされている。 狭山丘陵の周辺にある都市で最大の都市である所沢市でも2007年1月末に丸井が20年以上の営業を終了し、撤退した。 その他にも、ダイエーの相次ぐ閉鎖はそれぞれの地域経済に大きな影響を及ぼしたこと、 それを恐れて各自治体の首長や商工会長が産業再生機構に陳述を行ったのは記憶に新しい。 とにかく、このような郊外型の社会は、 車の運転できない交通弱者である高齢者がとても不便な暮らしを強いられることは言うまでもない。 今までは徒歩や自転車で行ける距離に商店街や駅前のスーパーがあったが、 撤退や閉店を余儀なくされ、高齢者が今まで通りの生活を送れなくなっているのである。 これがいわゆる郊外化の問題である。

 更にもう少しミクロなところに視点を当てて見てみると、 何故か人が集まるはずの駅前に空き地が存在したりしているのがわかる。 埼京線沿いがそれが最も見易い地域であろう。 埼京線は首都圏でも最も混雑する路線の一つで、多くの通勤客が沿線に住んでいるにもかかわらず、 駅前は土地が余っていたりして意外と閑散としているのである。 つまり単なるスプロール現象には留まらず、 中心地の空き地が埋まる前に、人やインフラといった資源が郊外に流出しているのである。

【青森県三沢市900mシャッター通り】

《出所:シャッター通り消店街振興組合ホームページより》

 では、このような「郊外化の問題」と「飽和以前の段階での資源の流出問題」はどのような原因があるのだろうか。 また、何か良い解決方法はあるのだろうか。

 前者の問題の原因は有名な2000年における大規模店舗立地法の改正である。 郊外型のビジネスモデルを得意とするアメリカ企業が、 日本政府に圧力をかけ規制緩和させたことをきっかけに、 郊外型ショッピング施設が数多く建設され、 それに伴い、都市中心部が地盤沈下していった。 では後者の問題のはいかなる原因があったか。 私は、この問題の原因は、土地が効率良く利用できていないからだと考えた。 総合的な計画性の欠如が、効率的な土地の利用を妨げていると思われる。 ただ、必ずしも市場原理にのみ任せて開発が行われてきたわけではない。 日本固有のゾーニングは行われてきたのである。 市街化区域と市街化調整区域とに分け、開発を行うのは前者のみとしたのである。 しかしこれはあくまで土地利用のレベルであり、 総合的な都市計画のレベルでの一貫したプランは最近まで存在しなかった。 海外ではそれが多く存在し、都市計画マスタープランと呼ばれている。 日本には最近になるまで、このマスタープランのようなものが存在しなかったため、 土地の利用が非効率的になってしまったのではなかろうか。

 もちろん、それに反省して、多くの自治体がこのマスタープランを作成し始めている。 しかしマスタープランのみが存在すればいいものではない。 私がここで問題にしているのは、少子高齢化と人口減という社会においてなお、 森林破壊を伴う開発型の都市計画が志向されていることであるから、 それらの問題に対して解決策を提示し得るマスタープランでなければならない。 ではどのようなコンセプトのマスタープランがいいのであろうか。

 少子高齢化時代における都市計画のモデルとして、 効率的な土地利用のためのモデルとして私が注目したのが、「コンパクトシティ」という概念だ。 都市のスケールを小さくし、移動エネルギー量の低い生活圏を捉え、 コミュニティの再生や住みやすいまちづくりを目指そうとするのがコンパクトシティの発想である。 開発、再開発や再生などの事業を通して、ヒューマンスケールな職住近接型まちづくりを目指している。 概念図は下に示したとおりである。

《出所:街なか居住研究会ホームページより》

 次章で詳述するが、少しこのコンパクトシティについての簡単な説明をする。 コンパクトシティは、主にヨーロッパで発生した都市設計の動きで、アメリカではニューアーバニズム、 イギリスではアーバンビレッジが同様の概念にあたる。  日本おいては、青森市、仙台市、稚内市、神戸市などが政策に取り入れている。 更には国土交通省も、コンパクトシティを目指すべく政策転換を決め、 まちづくり三法(都市計画法、大規模店舗立地法、中心市街地活性化法)の改正が2006年度に行われた。 (この話は第3章で詳述する。)

 このコンパクトシティの導入と実現こそが、 郊外の自然破壊を食い止めに繋がるばかりでなく、 少子高齢化社会に最も適した都市開発の概念であると私は考えたのである。 よって、この論文では、コンパクトシティの導入=現代社会諸問題に対応する都市計画概念として進めていく。 つまり、コンパクトシティの導入が私の望む郊外森林破壊への解決策であるとして話を進めていく。 政策形成過程の研究であるので、 コンパクトシティというモデルが本当に少子高齢化社会に対応できるのかの検証は特に行わないが、ご了承いただきたい。

  しかし、上記のコンパクトシティ導入自治体を見ていただいてもわかるだろうが、 それらは全て地方都市である。 前述したように、シャッター通りや郊外化の問題は何も地方都市だけの問題では無く、 東京圏の衛星都市にも見られる現象なのである。 そこで、私はコンパクトシティーという概念を東京圏への導入に繋げられないものか、と考えた。 よって、地方の動きだけでなく、東京圏の動きや国政の動きを中心に研究していきたいと思う。 コンパクトシティーという政策の導入に向けて行動をしているアクターはどのような人々がいるのか。 また、東京圏に適合したコンパクトシティーのモデルは地方都市のモデルとは異なるのか。 そして、そのモデルの導入の方法と手段は何が適切か。 その上で、結果的に、郊外化と資源の分散・流出問題は解決されるのであろうか。 以上のようなことを研究し、最終的には東京圏におけるコンパクトシティーの実現を目指した政策提言に繋げていきたいと思う。


T章 都市政策の現状とコンパクトシティ

第一節 問題の現状把握

第二節 少子高齢化と都市政策

第三節 コンパクトシティの概念

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第一節 問題の現状把握

事例都市の選定

 まずこの章では、この都市計画問題についての問題意識を読者に共有していただくためにも、 序章で記述した内容を更に深めることで、より詳しい問題の現状把握を行っていくこととする。

 しかし都市問題を扱うといっても、 だが東京圏は広く、いくつもの都市の複合体であるため、それらの都市を個々に見ていては、時間的に全てを見ることができない。 更に、百花繚乱的に個々の事例を載せていっては軸が定まらないので、 ある程度導入の対象となるべき自治体を絞らなければならない。 ではどのように絞っていけばよいのであろうか。

 まず基本中の基本であるが、都市の類型についてどのようなものがあるのだろうかを見たいと思う。 政令および地方自治法には都市の関して以下のような規定がなされている。 @政令指定都市、A中核市、B特例市、C一般市、D特別区、の五区分である。以下の説明は三省堂提供「デイリー 新語辞典」から抜粋したものを独自に修正した。

 @政令指定都市とは、人口50万以上の市で、政令によって指定された都市。 市民生活と直結した事務や権限が都道府県から委譲され、また行政区を設けられるなど、普通の都市とは異なった取り扱いが認められる。 東京圏では、次の四市がある。

 A中核市とは、地方自治法に基づく、地域の中核的都市機能を備えた都市。 人口30万人以上、面積100km2以上などを要件とする。 指定を受けると、保健衛生や都市計画など政令指定都市なみの権限が都道府県より委譲される。 東京圏では以下の十六市がある。 (ただし、都市機能としての面に着目したので、規定されているか否かということよりも、 指定されていないが特例市の要件を満たしている市も含めた。)

 B特例市とは、人口20万人以上の市で、地方自治法に基づいて指定を受けた市。 都市計画、土地区画整理など中核市なみの権限が都道府県より委譲される。

 C一般市とは、上記の3つ以外の全ての市。

 D特別区とは、東京都23区をいう。特別地方公共団体の一種で、原則として市に関する規定が適用される。

 ではこの中からどの都市をサンプルとして抽出すればよいか。 ここではコンパクトシティーを問題としているので、事例とするには、一定の経済的中心地を擁する都市圏の市でなければならない。 よって特例市や一般市は除外する。 衛星都市型コンパクトシティが研究の対象であるため、東京の中心地である特別区も除外する。 残りの2つの都市形態の中から、1つづつ選んで行きたいと思う。

 次に中核都市を選考していこうと思うが、 やはり研究動機から考えれば狭山丘陵周辺の土地を見るのが最も適切のように思われる。 そうなるとやはり所沢市以外に選べる都市は無いだろう。 また、筆者自身も所沢市在住であるため、アクセスのし易さから考えても、所沢市は最適だと考えられる。

 序章のところで、三沢市のシャッター通りの写真を示したように、 日本全国においてシャッター通りが見られることは周知の事実である。 もちろん、それは東北を中心として地方都市に多いが、東京圏においても例外ではない。 下の写真を見ていただきたい。ここは私の家の近所で駅から徒歩3分くらいのところにある商店街だが、 数年前までは一応商店街の様相を示していて、七月の第一日曜には七夕祭りが行われ、人々が集まるはずの商店街であった。

 しかしこの祭りも、実は昔からあったものではなかった。 せっかくしっかりとした商店街が町内にあるのに、祭りが無いのは少し寂しいと、私の友人が中心となり、 私も含めた小学生数名が保護者や町内に呼びかけ、祭りを実行させた。 PTAや町内の各地区が出店を出したりして、祭りは数年間盛り上がりを見せたが、私や友人が中学生高校生となり現場から退くと、 祭り自体も弱体化の様相を呈し、今ではもう行われなくなったようである。

 この商店街にあった地元型のスーパーが店じまいをしたのをきっかけに、酒屋、肉屋、飲み屋と、瞬く間に店をたたんで行った。 相次ぐ撤退が起き、写真のように現在では住宅しかなくなっていた。

 また、序章でも前述したが、丸井所沢店は、2006年月の川越店に続き、2007年1月末に閉鎖をした。 駅周辺にあるダイエー所沢店も、規模はそれなりの大きさを誇ってはいるものの、 筆者が小さい頃訪れていた時、日曜はかなりの人だかりであったのに比べれば、 やはり客足は減り、閑散とした様子であることは否めない。 実際ダイエーが産業再生機構による再建が行われている段階では、 閉鎖はほぼ確定的とされていた。 その後、市長と地元商工会議所による猛烈な陳情と、 賃料の値下げによって閉鎖は免れたものの、 経営状態が完全に改善したとはいえないままである。

 私の地元、埼玉県所沢市は人口は33万人。半径十数キロ以内に目立った大都市は無く、 埼玉県西地区と東京都多摩地区北部の中心都市で、西武本社があることなどからも、一定の通学通勤圏・そして都市圏を構成している。 このような東京近郊の主要都市でさえ今やシャッター通り化は避けられない運命である。 シャッターが下りているならまだしも、このように土地を手放さなければならず、宅地化されるケースは地方でも特にひどく、 もはやシャッター通りが地方だけの問題では済まなくなってきた状況が伺い知れるだろう。


郊外型GMSの歴史

 一方で、郊外では開発が進んでいる。下のグラフは、近年大規模小売店舗の立地がどのように推移しているかを示したグラフであるが、郊外化しているのは一目瞭然である。

 ただしここで一つ疑問に思うことがある。 商店街が衰退し、郊外型GMSが盛況する現象は、本当に懸念すべき問題なのであろうか、ということである。 つまり、「郊外型GMSは消費者の味方ではないのか?」ということだ。 実際に郊外型GMSは良い商品を安く提供しているからこそ、建設が進められているのであって、 それは市場経済において、より消費者が便利と思うからこそ選ばれ、供給する側の淘汰を生んでいる結果で、 資本主義社会では必然的なことではないのか、という論理である。 確かに商店街よりか幾分値段も安い。 もちろん品揃えは桁違いに良い。 どう考えても、郊外型のほうが消費者のニーズに合っているように考えられる。 近年では三越や高島屋などの東京都心型デパートも郊外型GMSに出店している。

 では歴史のどのような流れの中でこの現象があるのだろうか。以下、日経BP社のホームページの2004年8月30日の記事より抜粋したものを筆者が独自に加筆修正しながら説明していきたい。

 1956年に中小小売業の経営を保護する目的で「百貨店法」が制定され(1937年から1941年まで同名の法律があったため「第2次百貨店法」などとも呼ばれる)、百貨店の新規出店が強く規制される中、ダイエーなどのスーパーがGMS化して台頭していった。 しかし1973年、百貨店法に代わる形で売り場面積500平方メートル以上の出店を規制する「大規模小売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法律」──いわゆる「大店法」が制定されたことにより、 街道沿いに500平方メートル未満の店舗(郊外型ロードサイド店)が建ち並ぶようになった。

 その後、米国からの要求や国内的な流れもあり、大店法は数度にわたって規制緩和されていった。 その象徴とも言えるのが玩具や育児用品、衣料など子ども向け商品全般を扱う「トイザらス」の日本進出である。 1991年12月、茨城県稲敷郡に国内第1号店となる「トイザらス荒川沖店」が開店し、 翌月の1992年1月には奈良県橿原市に第2号店「トイザらス橿原店」が誕生した。 トイザらス橿原店のオープニングセレモニーには、なんと米国のジョージ・ブッシュ大統領(当時)が出席し、 そのスピーチでは「これまでの成果を喜んではいるが、満足はしていない。 トイザらスを先陣として米国の小売業が日本に進出することを望む」(1992年1月8日付け日本経済新聞朝刊)とコメント。 日本の小売業・流通業の参入障壁が低くなったことを評価しつつも、さらなる市場開放を求めた。

 2000年には「中小小売業の経営を守る」名目の大店法が撤廃され、代わりに「周辺環境の保全」などを目的とする「大規模小売店舗立地法」、いわゆる「大店立地法」がスタートした。大店法は店舗面積から営業時間、休日日数まで調整することができる強い規制であったが、 大店立地法は都道府県や政令指定都市に届出するだけで、ほぼ自由に出店できるようになった。 もっとも「自由」とはいっても、24時間365日営業のスーパーセンターといった大型店舗を新規出店する場合、 以前から営んでいる近隣の小売業に配慮して、事前に説明会などを複数回開催するのが一般的となっている。

 これと軌を一にして2000年12月、千葉県千葉市を皮切りに世界第2位の小売業である仏カルフールが日本に進出。 当時は“黒船来航”などと言われて騒がれたのも記憶に新しい。 2002年5月には世界第1位の米ウォルマート・ストアーズが西友と資本提携し、 日本進出の端緒に着いたことで、総合小売業(および流通業)における本格的な“戦国時代”に突入した。

 外資のグローバル・メガリテーラーの日本進出が本格化する以前、実は総合小売業はバブル崩壊の余波などによる“大淘汰時代”が始まっていた。 1997年のヤオハンから始まり、2000年には長崎屋やそごう、2001年にはダイエーやマイカル、壽屋(ことぶきや)、2002年にはニコニコ堂と、経営破たんが相次いだ。バブル時代の土地取得による出店攻勢や、バブル後の消費の冷え込みなどが、その大きな理由として挙げられるが、百貨店やGMSという業態がその存在意義を問われる時期でもあった。

 百貨店の「百貨」も、GMSの「General」も、いわば「何でも扱う」と同義語である。他店との差別化や品ぞろえのコンセプトを確立することなく、多くの商品カテゴリーを扱っていた百貨店やGMSは、家電製品や玩具などの各カテゴリーの売り上げををいわゆる「カテゴリーキラー」に奪われていった。 カテゴリーキラーとは、特定のカテゴリーに限定して豊富な商品をそろえ、低価格かつ大量に販売する業態のこと。先に紹介したトイザらスのほか、家電量販店のヨドバシカメラやビックカメラ、カジュアル衣料のユニクロ(ファーストリテイリング)などが挙げられる。

 そのほか、西友を足がかりにした米ウォルマートの進出によって、「スーパーセンター」という業態が大きな注目を浴びている。 スーパーセンターとは、広大な敷地にワンフロア(単層階)型店舗を構成し、食料品スーパーマーケットと日用品全般を扱うディスカウントストアを融合させたもので、ウォルマートがもっとも得意とする業態である。その特徴から、都市部ではなく地方を中心に出店が広がりつつある。

 これ以外の動きとして注目できるのが、衣料品を中心にSPA(製造小売業)業態が急増していることだ。 「オゾック」ほか様々なブランドを持つワールド(本社・兵庫県神戸市)や「ユニクロ」のファーストリテイリング(本社・山口県山口市)、「コムサデモード」など多数のブランドを持つファイブフォックス(本社・東京都渋谷区)などが積極的に取り組んでいる。 SPAとは「Speciality store retailer of Private label Apparel」の略で、元々製造から小売りまで一貫して行うアパレル業のことを指していたが、現在では製造から小売りまでを行う業態のことを一般的に「SPA業態」、もしくは単に「SPA」などと呼んでいる。流行が次々と移り変わるアパレル業界において生き残るためには、生産から販売まで一貫して管理できるSPAが業態の中心になると言えるだろう。

 また、家具や寝具・リネン類、調理雑貨まで取りそろえる「ホームファッション ニトリ」を運営するニトリ(本社・北海道札幌市)も、シンガポールやベトナムなどで生産・調達を行うSPA企業だ。家具店から出発した同社だが、従来型の家具店とは異なるのが、ベッドカバーやシーツ、テーブルクロスなどのリネン類が非常に充実している点である。そのほか、食器や調理器具などのキッチンウエアも扱うなど、生活空間をトータルコーディネートできるカテゴリーキラーとしての側面も持つ。同社は1996年末から2003年末までに33店舗から100店舗まで増やしており、急成長を果たしている。

 ここで見逃せないのが、アパレル業界が東南アジアや中国での現地生産を行うSPA化を進めていったように、製造業も工場の海外移転や閉鎖などを推し進めていったことを受けての新たな小売・流通の業態が登場したことだ。具体的には、閉鎖された大きな工場跡地などを再開発する格好で、ショッピングセンター(SC)の建設が一気に進んできた。 ショッピングセンターとは、百貨店や大型スーパーマーケット単体ではなく、核となる大型小売店に加えて、専門店や飲食店、サービス業などのテナントが入った複合商業施設のことを指す。百貨店や大型スーパーマーケットなどの核店舗を持たない施設もショッピングセンターと呼ばれる。

 上で示した表のように、ここ最近オープンした、もしくはオープン予定のショッピングセンターを見ると、その多くが工場跡地を利用していることが分かる。  特に全国各地への進出が目立つのがイオンだ。単独店舗としての進出はもちろん、イオンと三菱商事が共同出資して設立したSCデベロッパー、ダイヤモンドシティ(本社・大阪府大阪市)やイオン子会社のSCデベロッパー、イオンモール(本社・千葉県千葉市)を通して、積極的な出店攻勢に打って出ている。  例えば、イオンは関西国際空港を臨む大阪府泉南市に「イオン泉南ショッピングセンター(仮称)」を2004年11月にオープンする予定だ。ここは工場跡地ではなく、大阪府が開発・造成した分譲型工業用地りんくうタウン南地区を商業用地に転換した場所である。「イオン泉南ショッピングセンター(仮称)」は敷地面積が約14万平方メートル、商業施設面積が約7万7000平方メートル、駐車台数はなんと約4300台という広大なもの。商圏人口は約50万人(約16万世帯)を見込んでいる。  今後もしばらくは、日用品からファッションまでの“ワンストップ・ショッピング”を実現するためのショッピングセンターの建設ラッシュは続いていくのが趨勢になっていくことだろうと考えられる。


郊外化の弊害

 これが郊外型GMSの最近の流れであるが、 アメリカの小売業がそのビジネスモデルの日本への導入と、それに消費者ニーズが呼応し、 規制緩和が行われていったように見れる。 しかしこれは郊外型のビジネスモデルを展開する企業と消費者のニーズには一致しているものの、 外部不経済の問題は起こっていなのであろうか。 このような現象がより進んで行くとどのような現象が副次的に生じるか、 筆者が思いつく限り列挙してみた。

 一つ一つ見て行く時間は無いので、代表的なものだけを見ていこうと思う。 まず第一にスプロール現象が挙げられるだろう。スプロール現象(Urban sprawl or suburban sprawl)とは、 都市が無秩序に拡大してゆく現象を指す。スプロールとはむやみに広がるといった意味。 都市計画の一貫性が欠けることが原因である。 しかし、スプロール現象そのものが問題なわけでは無い。 それに伴う付随現象が問題なのである。 まず、インフラ整備費が増加することである。 郊外に施設が出た分、自治体は上下水道や電気・ガスの配管を行わなければならない。 もちろんそれらは税金から捻出されているのである。 スプロール化が一層進めば進むだけ、それらを整備しなければならない距離は長くなり、 自治体財政への影響は大きくなっていくのである。

 市街地の拡大は、道路や下水道などのインフラ整備の必要量を増大させることになる。 1969年の都市計画決定量を1とした場合、1995年の決定量は道路で約2倍公園で約4倍、下水道幹線では、約7倍となった。

 このような公共事業の中でも最も有名なのが道路や橋梁であろう。 新たに道路を敷設しなけらばならないし、 そこに川があれば橋梁を築かなければならない。 更に洪水の問題を考えれば、堤防も設置する必要があるだろう。 もちろんこれらを建設するのには地方債が発行されるわけであるが、 それが積み重なり、借金として後世に残っていくのである。 また、借金の問題だけではなく、交通そのものにも影響が出る。 下の表を見ていただければ分かると思うが、幹線道路の走行速度の低下と朝夕の交通渋滞が郊外の住宅地と都心、 あるいは都市間の時間距離をさらに遠くし、車による移動の燃料や時間を浪費させる。 沿道規制や道路構造(立体交差など)による幹線道路の走行性の確保が必要なのである。

 第二に、商店街の衰退とそれに伴う地域社会の衰退が挙げられるだろう。 何度も言及しているが、商店街が衰退すれば高齢者に不憫は街になる。 高齢者はあまり車を使わないため、 徒歩、もしくは自転車で近くの商店街に買い物に行くことが多い。 ところが商店街が消滅することで、 高齢者は買い物できる場所はなくなり、 その土地が住みずらくなってしまうのである。

 商店街が活気に満ち溢れていたというのは、もちろん街にも活気が満ち溢れていたこということにもなる。 実際、そのような商店街が存在した地域はコミュニティーがしっかりとしていたし、 そこには地域の絆が根付いていた。 ところが商店街という街の中枢が消えれば、 地域コミュニティーが崩壊するのは当然である。 それぞれの土地にはそれぞれの文化があるが、 郊外型は効率化のもとに、モノカルチャーを推進してしまうのは言うまでもない。

 地域コミュニティーが破壊されれば治安も悪化する。 事実、下町というのはあまり犯罪が起きない。 それは周りの人々が知り合いであるからであるし、 地域の目が監視の役割を果たしているのである。

 第三に、格差の拡大が、地域の住み分けに直結してしまうことである。 駅が無くなった地域には高校に通えないから、子供を持つ家庭は出ていくかもしれない。 高齢者のうち、金銭的にも精神的にも引っ越せる余裕がある人は商店街が残る土地に引っ越すだろう。 車を持つ裕福な家庭は郊外に家を構えることができるが、 車を持たないような家庭が駅周辺に集中して、 この状態を放置すれば、中心地がスラム化することもありえないとも言い切れない。

 郊外化の弊害は以上の3点でとどめておくが、図に示したように他にもまだある。 確かに、郊外化は消費者の利益にはなっているかもしれない。 しかし人間は消費のみが生活の全てではない。 学習・コミュニケーション・余暇・治安安全など、様々な生活の側面があるが、 郊外型はこの生活者としての生活に様々な弊害をもたらしてしまうのである。 つまり、郊外化は消費者の利益にはなっているが、生活者の利益には必ずしもなっていないのである。 市場原理に基づく自由競争開発のために生じるスプロール現象を放置しておけば、副作用が多数生じて、都市の持続可能性を衰弱させてしまう可能性がある。

 これに危機感を覚えた自治体や行政機関、そして政治家が対策を進めていくことになる。 その動きはU章とV章で扱う。


第二節 少子高齢化と都市政策

 次に、少子高齢化という問題にもう少し切り込んでいこうと思う。 まずは下の表を見ていただきたい。 これは合計特殊出生率のグラフである。合計特殊出生率とは、人口統計上の指標で、一人の女性が一生に生む子どもの数を示す。 この数値によって、将来の人口の自然増減を推測することができるのであるが、 2005年現在の合計特殊出生率は1.25。 2006年に多少持ち直したものの、全体的な下降傾向には変わりはないだろうとされている。 ちなみに、人口が現在の状態を維持し続けるには合計特殊出生率2.04を保たなければならない。 日本の人口減少はこの合計特殊出生率からも、かなりのスピードで進むことが予測できるだろう。

 次のグラフは、誰もが一度は目にしたことがあるであろう人口ピラミッドである。 この人口ピラミッドからはいろいろなことが読み取れる。 多少数値が古く、2000年のものではあるが、 すでに人口ピラミッドと言われるようなピラミッド型はしていない。 奇妙にも横から人の顔のように見える。 いわゆる団塊の世代が鼻の部分で、ひのえうまの生まれが口、団塊ジュニアの世代が顎の部分である。

 注目して欲しいのは顎から首の部分である。 顎の部分はいわゆる団塊の世代の団塊ジュニア世代、ベビーブーマー世代である。 それに綺麗なカーブ描いて規則的に人口は減り続けている。 これから分かるところは、 たとえば顎の地点で100の売り上げがあった玩具産業は、 ノド仏の部分になればその売り上げが半分になってしまうということである。 これが少子高齢化に伴う産業の縮小である。 最後に次の人口の流れのグラフを見ていただきたい。

 日本は2005年を境に、人口が減少に転じた。 いよいよ本格的な少子高齢化時代に突入したのである。 さて以上の3つグラフをもとに今後の都市政策について多少論じていくわけであるが、 先ほどの人口ピラミッドのグラフのところで示したように、確実に衰退に追い込まれる分野がある。 都市もその一つだろう。 都市というのは人口そのものであるから、 人口減少は直接的に影響を及ぼす。

 ありえないことではあるが、もし全国から均等に人が減っていったと仮定しよう。 そうすると社会はどうなるのだろうか。 今まで密集していた部分は人口密度が減り、渋滞などの諸問題は解消されるかもしれない。 しかしその一方で過疎化がこれまで深刻であった山地や農村だけでなく、地方都市にまで及ぶ可能性がある。 小学校や中学校は生徒数が減れば維持できないところも現れ、それらの町はいずれ限界集落へと向かうだろう。

 つまり何が言いたいのかと言えば、我々は「選択」をしなければいかないということだ。 人口の流入と流出が一定で、今までのような人口規模が維持できるような都市は、 その都市機能を存続させることができるだろう。 しかし人口には限りがある。 その都市が流入によって成り立っているとすれば、流出をする側の自治体は衰退が必然的になる。 これを自然な流れと考えるのであれば、効率的に人が住む場所を選択していくことが求められているのである。

 そのような時代に、必要な都市政策は何か。 そう考えた時に、やはり多くの学者や知識人や地方の政治家が唱えているのがコンパクトシティである。 あまりに広がり過ぎた街をコンパクトに納め、交通弱者である高齢者が暮らしやすいまちにする。 人口が自然のままに減っていけば、人口分布が疎らになってしまうので、様々な施設が維持できなくなる。 このような傾向を抑えるためにも、人口分布を散らばせたままにしておくのではなく、集約させる。 やはりコンパクトシティは人口減少・少子高齢化の時代に最も適した都市のあり方であるといえるのではないだろうか。


第三節 コンパクトシティの概念

 この章の最後に、もう少し補足的にコンパクトシティというものを詳しく分析していこうと思う。 コンパクトシティは序章で説明したように、生活基盤や都市機能がコンパクトに集中することで、効率的な都市運営を行うモデルである。 それではそのツールにはどのようなものがあるか少し簡単に見ていきたいと思う。 ちなみにこれら同時に環境問題や様々な社会諸問題にも対処する概念であり、 必ずしもコンパクトシティの文脈でのみ語られる概念ではない。


@ロードプライシング(Road Pricing)

 まずは、一時期は石原都知事も導入に積極的であったロードプライシングから紹介していきたい。 ロードプライシングとは、大都市中心部への過剰な自動車の乗り入れによる交通渋滞、大気汚染などを緩和する対策として、 都心の一定範囲内に限り自動車の公道利用を有料化して流入する交通量を制限する政策措置のことである。 課金の目的に注目して「渋滞(混雑)課金」、「環境ロードプライシング」と呼ぶ場合もある。

 第2次世界大戦後に所得水準の向上により自動車の大衆への普及(モータリゼーション)の爆発的進行に対応して、 各国で道路容量の拡大と高速道路網の整備が進められたが、 同時に交通事故、大気汚染、騒音などのいわゆる自動車公害が大きな社会問題になってきた。 また、道路の新設拡張にも限界が見えて道路容量が頭打ちになったために交通渋滞が慢性化して都市部では悪化する傾向が続いてきた。 その結果、供給面の限界に直面した運輸当局は、 交通需要を抑制する手段としてこの「ロードプライシング」に注目することになったのである。

 本来の有料道路は、道路建設に投下された資金を一定期間内に回収する目的で料金を徴収するが、 ロードプライシングの場合は、公害の発生に伴う外部費用を回収する意味合いで課金して、 それと同時に公共の利便性を一部犠牲にしながら道路需要を制限する。 しかし実際に本格的なロードプライシング導入に踏み切った都市は、 世界でもシンガポール、ノルウェー(オスロ、ベルゲン、トロンハイム)、イギリス(ロンドン)など、 まだ数ヵ所に留まっているのが実態である(2005年現在)。 以下の写真はシンガポールの例である。

 しかしこのロードプライシングは、言い換えれば一般道路の有料化であり、導入をしようとすれば運輸業界の反発は必至である他、 既に日本にはたくさんの有料道路が存在していることを考えれば、 日本の状況を考慮すれば導入にはまだ時期尚早であると言わざるを得ないだろう。


Aパークアンドライド(Park and Ride)

 次にかなりおなじみになってきたであろうが、パークアンドライドを見ていきたいと思う。 パークアンドライド(P&R)とは、都市部や観光地などの交通渋滞の緩和のため、 末端交通機関である自動車等を郊外の鉄道駅又はバス停に設けた駐車場に停車させ、 そこから鉄道や路線バスなどの公共交通機関に乗り換えて目的地に行く方法。 バスに乗り換える場合はパークアンドバスライドとも呼ばれる。 交通量自体が減少するため、渋滞の緩和だけではなく、排気ガスによる大気汚染の軽減、二酸化炭素排出量の削減といった効果も期待されている。 以下に概念図を載せておいたので、 それを参考にしていただければとてもわかり易いと思われる。

 ロードプライシングとは異なり、パークアンドライドは徐々にであるが、導入する自治体は増加している。 日本国内であれば、つくばエクスプレスと秋葉原UDXパーキングによるパーク&TXライドを行っているつくば市や、 ムーバスとムーパークによる連携を行っている武蔵野市。 他にも、鎌倉市、岡山市、金沢市、愛知県、大阪府、奈良市、さいたま市、千葉市(海浜幕張駅)、神戸市、光の森駅(熊本県)、関東鉄道常総線、三岐鉄道、富山県舟橋村、岐阜羽島駅、本庄早稲田駅、高松琴平電気鉄道などで行われているが、ここに挙げたのはあくまで一例であり、かなり多くの自治体で導入が進んでいる。 駅前やバス亭に駐車場を設置するだけとゆうこともあり、 導入コストが他の比べ低いので、 これだけ導入する自治体がたくさんあるのであろう。


Bキスアンドライド(kiss and Ride)

 次にパークアンドライドと近似したキスアンドライドを見ていきたい。 キスアンドライド (K&R) とは、自宅から駅またはバス停まで自動車等で家族(語源的には主に配偶者)に送り迎えをしてもらう通勤・通学形態。 自宅からの公共交通機関がない、または不便な場合に利用されることが多い。 パークアンドライドと同じように都心部の交通量を軽減させる効果がある。

 このキスアンドライドは実際に実施している家庭も数多くあるだろう。 私もよく駅前で奥さんが旦那さんを送る光景や、 親が子供を送る光景をよく見かける。 しかしどちらかと言えば、個人の問題であり、 パークアンドライドの際の駐車場の設置といったような行政の役目は少ない。 導入が進むかどうかは個人に帰属しているのである。


Cあいのり通勤

 あいのり通勤は、英称でHigh-occupancy vehicle/HOVと言い、別名をカープールやカーシェアリングなどとも言う。 あいのり通勤とは、一台の車に複数人数が一緒に乗り合わせることをいう。 東南アジアではバイク(特にスーパーカブ)の相乗りも一般的に行われている。 日本以外の国では、交通渋滞緩和や環境対策などの目的で、相乗りすると通行料金が無料になったり、 専用(優先)レーンを通れるなどの優遇策がとられている国もある。 また、欧州を中心に、マイカー使用を中止するため、あるいはセカンドカーの購入を控えるために会員制で自動車を共用する制度として、 カーシェアリングが導入されている。 この場合は必ずしも複数人数が搭乗するわけではないが、走行台数を抑制する点では類似効果が期待される。 以下はドイツのカーシェアリングの乗り場の写真である。

 日本でもこのあいのり通勤の導入を唱える者がいるが、定期点検などの整備や交通事故が発生したときの責任の所在の問題があり、 残念ながら積極的な導入は現実的でないとされている。 しかし特区等の活用をすれば、導入の可能性は残されているだろう。


Dフレックスタイム制(flextime system)

 フレックスタイム制は都市計画の概念では無く、労働の制度である。 しかしこれが導入されることで都市の様相も変化する可能性があるのでここに紹介をしておきたい。 フレックスタイム制とは、労働者自身が一定の定められた時間帯の中で、 始業及び就業の時刻を決定することができる変形労働時間制の一つである。 具体的には、1日の労働時間帯を、必ず勤務しなければならない時間(コアタイム)と、 その時間帯の中であればいつ出退勤してもよい時間帯(フレキシブルタイム)とに分けて実施するのが一般的である。 以下の概念図を参考にしていただきたい。

 このようにして通勤時間に変化をつけるため、交通渋滞が緩和されるのである。 これまでの中心部と郊外という都市のスタイルは、出勤時間を同じということを前提に作られてきた。 しかし、その前提が崩れれば、都市の形も少し変わるように感じられる。


ELRT(light rail transit)

 LRTとは、次世代型路面電車であるライトレールとその運行面のソフトを含めた総合的なシステムのことである。 ライトレールは高架鉄道、地下鉄よりも一回り小さいシステムの交通機関で、 バス以上の輸送力を持つものの、地下鉄よりは簡易な大量交通輸送システムを低コストで建設することを目指して開発が行われた。 定義の大要は「大部分を専用軌道とし、部分的に道路上(併用軌道)を1両ないし数量編成の列車が電気運転によって走行する、 誰でも容易に利用できる交通システム」である。

 ライトレール導入を実施した都市が富山市である。 富山市のライトレール、富山ライトレールは、旧JR西日本富山港線を路面電車化し第三セクターが経営を引き継いだ。 富山ライトレールとして開業時に一部区間が経路変更となり、2006年4月29日に開業した。以下はその時の写真である。 開業にあたり車両を全て入れ替えて、富山市の都市計画にも組み込まれるなど日本におけるLRT第一号と呼べるものである。 これは日本初の試みとして全国から脚光を浴びている。

 LRTは、堺市がその導入の準備を着々と進めたり、 豊島区でも導入がかなり積極的に叫ばれているなど、 次世代型の交通システムとしてかなり注目されている。 しかし、道路の車線を減らすため、交通渋滞が悪化するなどの懸念があるため、 導入のスピードはまだまだ遅い。 その一方で、国土交通省も支援策に乗り出すなど、環境の変化も見られ、 今後はそのスピードも改善してくるのではないだろうか。


Fトランジットモール(Transit Mall)

 トランジットモールとは、中心街の通りを一般の車両通行を抑制した歩行者専用の空間とし、 バス、路面電車、LRT等、公共交通機関だけが通行できるようにした街路のことを指し、欧米の都市ではこれまでに広く実施されている。 自動車交通を締め出す一方で公共交通の利便性を高め、中心市街地を活性化させるために設けられる。 一般的に、歩行者が安全で快適に繁華街を歩くことができる、車線数が減るため、通りの横断がしやすくなる、 休憩や待ち合わせをする場所が広くなる、イベントなどの開催や、祭りなどの活動が可能、 バス等の通行がスムーズになる、などのようなメリットがあると期待されている。

 しかし、現在の日本の都市での応用は、車両通行の抑制による周辺道路の交通渋滞や、 トランジットモール内におけるバス等と歩行者の関係など、さまざまな問題が指摘されている。 欧米と日本の都市では、その都市構造、人口密度、合意形成の条件などさまざまな点で異なっており、 単に欧米の導入事例を模倣したものでなく、周辺への影響評価を含めた、 広い視点での検討、シミュレーション等が求められていくと考えられる。

 日本では、現在、群馬県前橋市のマイバスで、商店街の中を昼間通るルートがトランジットモールになっている。 また、石川県金沢市ふらっとバスでは、横安江町の商店街がトランジットモールになっている。 なお、沖縄県・那覇市、福井県・福井市などでもトランジットモールの導入が検討されている。

 欧州ではトランジットモールは上記したLRTとセットにして考えられるケースが多いが、 日本ではそのような位置にあるものとして、銀座や秋葉原で行われるような歩行者天国型が主流であるように思われる。 歩行者天国とトランジットモールの違いは、公共交通機関が存在するか否かであり、 歩行者天国の際に使われる道路はあくまで自動車交通用の道路であり、 そこに自動車交通優位の状況が見えるであろう。


Gモーダルシフト(Modal shift)

 モーダルシフトとは、貨物の輸送手段の転換を図ることで、 具体的には、トラックや航空機による輸送を鉄道や船舶による輸送で代替することである。 日本では、運輸省(現国土交通省)が1991年4月から推進しているほか、海外でも同様の取り組みを行っている国がある。 モーダルシフトを行うことによって、省エネ効果、交通渋滞の緩和、窒素酸化物などの排気ガスによる大気汚染の削減 、 二酸化炭素(CO2)排出削減による地球温暖化防止、少子高齢化による労働力不足の緩和、などが期待できる。

 問題は、コスト面と時間的な制約で、 とりわけコスト面では、鉄道では駅で、船舶では港での荷の積み替えが必要となり、 そのため鉄道・船舶の運賃が安くとも全体のコストがトラック輸送のそれを上回ってしまうことがある。 また、積み替えのために時間がかかるので、生鮮食品など早く届けることを求められている物流では、 環境のために良いとわかっていても転換が進められずにいる。 そのため、トラックそのものを貨車に積んでしまう方法(ピギーバック輸送。但、日本国内では1996年で廃止)や、 積み替えの手間がかからないように、コンテナを使うということを行なっている。

 日本貨物鉄道では、スピードアップのため2004年3月13日から大阪・東京間にM250系貨物電車による深夜の貨物専用特急列車を運行したり、 積み替え時間短縮のため貨物駅をE&S方式へ改良して、少しでもモーダルシフトのしやすいダイヤ編成にしようとしている。 しかし近年貨物輸送量は減少を続けているうえ、貨物扱いをする駅の大幅な減少など、鉄道貨物輸送を取り巻く環境は非常に厳しい。 しかし、個人的な見解であるが、京都議定書が2008年から実施され、 地球温暖化問題に対して待った無しの状況になれば、 このモーダルシフトが注目を浴びる可能性も高いように感じられる。


 ここに載せたのはあくまでほんの一例にしか過ぎない。 この他にも様々な個別具体的なツールがある。 とにかく、これらを複合的に組み合わせることによって、街がよりコンパクトになっていき、 効率的な都市運営が可能になるのであろう。


U章 各自治体におけるコンパクトシティ導入の動き


第一節 最先端自治体 青森市

第二節 その他の自治体の動き

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第一節 最先端自治体 青森市

 この章では、実際にコンパクトシティのコンセプトを都市政策の中に導入している自治体を見ていきたい。 いよいよ政策過程研究に入ってくる。 まずはなんと言っても、日本で最もコンパクトシティの導入が進み、 街の活性化にも成功している青森市である。 青森市は佐々木誠造市長のもと、1996年からコンパクトシティを導入する改革を始め、 数々の成果をあげている。 その青森市がいかにしてコンパクトシティの導入に成功したかを分析することで、 東京圏への導入の鍵としていこうと思う。

 1988年3月に青函連絡船が廃止になり、 かつては北海道との往来客の通り道であった青森駅前の人通りが急激に落ち込んだことがきっかけとなって、 商店街関係者の間で危機感が募る一方、商店街の街路を改良しようという取組みが始まることによって求心力が高まった。 郊外の開発や商店経営者の高齢化もこの流れを後押ししたと言える。

 この機会を捉えて、大手スーパーでの十数年の勤務を経て地元に商店(アパレル系)を開業した加藤博氏を中心として、 商店街の若手有志が青年部を組織、小会合を繰り返して、街づくりに関する議論を行った。 加藤氏の取組みには、これを支える有力者の存在もあった。 若手主体の青森市まちづくりあきんど隊による活性化 96年3月制定の長期総合計画で、コンパクトシティを理念に。  


V章 コンパクトシティの法制化の動き


第一節 2005年総選挙

第二節 2006年まちづくり3法の改正

第三節 今後の動き

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W章 纏めと政策提言