早稲田大学社会科学部 政策科学研究 上沼ゼミナール 前花 貴臣 Copyright (C)2005-2007 Takaomi Maehana. All rights reserved. |
前花貴臣の研究成果を発表する。
これまでの私の人生の中にはいつも青い海と空がありました。
私は沖縄県の石垣島出身です。私の生まれ育った石垣島は青い海と空、緑の山に囲まれた自然豊かな島です。
そこは、島独自の文化や伝統の祭りが息づく他に存在しえない場所です。
今、この石垣島は観光地として、有名になり毎年多くの観光客を受け入れています。その数は年々増加の一途をたどり、
平成16年度には人口のおよそ15倍の71万人まで増加し、
観光業が石垣島に産業として発展し、大きな影響を与え、収入をもたらしています。
そして、その観光客の増加は富をもたらすと同時に石垣市に大きな開発の波をもたらしています。
今、石垣島には新たな空港建設、ゴルフ場、リゾート地の建設計画があり、
それらは観光業の発展による観光客、島民の新たなニーズとして生まれ、それにこたえる形で実現しようとしています。
一時期、下火になっていた大型の投資がまた目立ちはじめたのです。
外部の大型資本の利潤追求のための投資意欲と島民の大型事業頼みの景気浮揚策。
その両者が相互に作用し大型観光開発が加速しようとしています。
石垣島という小さな島に少しずつ開発が目立ちはじめてきています。
自然は守るもの、尊いものという感覚と背に腹は変えられぬ、という島民の豊かさを求める気持ちという、
島民の抱える二つの側面があるように感じます。
石垣市の観光産業は今日、着実にそして急激に成長している産業です。
石垣市は観光立市宣言をし観光業の発展を重要なものと位置づけています。
石垣市の最も魅力的で、他に存在しない観光資源は、海であり、空であり、自然なのだと思います。
観光業によって市を魅力的で、豊かなものにするために。
大型開発はどういう影響を与え、石垣市が観光を活かし豊かな島の魅力を増し、
発展を遂げるにはどうすればよいかこの研究を通してひとつの提案ができればと考えています。
この研究においては、現実に石垣島においての人々の活動や影響をとおして今石垣島におきていること
や問題を探り、そこから政策を提案することを目的としたいと思います。
石垣市は我が国の最南端に位置する八重山群島の拠点都市で、北緯24度20分.東経124度09分に位置し、石垣島と尖閣諸島
など12の無人島からなっており、那覇から約400キロメートルの距離にある。
人口約4万5000人、世帯数約19900世帯。
「亜熱帯海洋性気候」に属しており、年間を通して温暖な気候である。近年観光客数がめざましく増加し、
観光産業が石垣市の産業において
果たす役割は年々大きくなっている。
表1、年次別入域旅客数及び観光客推計
石垣市の観光入域客数は年々増加している。上の図は石垣市の統計をもとに
平成11年から平成16年までの石垣島を訪れた旅客数を空路、海路、
それぞれの人数とそのうちの観光客数を棒グラフと折れ線グラフで表現したものである。
昭和47年は3万人、昭和60年は24万人、平成16年には71万人を数える。
平成11年からの6年間だけでも、観光客数は11万人も増加し,本土復帰以降から今日までで約23倍にも膨れ上がっている。
観光入域客の増加によって石垣島の自然への負荷が増したり、石垣島のキャパを超えるほどに観光客が増加している。
しかし、いま石垣島は観光なしに存在しえないほど観光が盛んになっているのも事実である。
こういった観光客増加の要因は、いくつか考えられるがそのなかでも沖縄への観光ブームと石垣島の固有の自然環境などが考えられる。
そしてその二つがあいまって強固に石垣島への人々の関心が向けられ、今日の観光入域数の伸びにつながったと考えられる。
石垣島にはそこでしか体験できない自然があり、そこでしか味わえない文化が根付いている。
それらの存在が観光客を一度ではなく二度、三度と足を向かわせ観光業の発展に寄与している。
今後観光客の数が伸びるのかどうかによって石垣島の将来は少なからずの影響を受けることはほぼ間違いない。
そしてここで重要なのはこの観光ブームをただのブームで終わらせないこと、二度、三度ではなく、何回でも
観光客に来てもらえるような島作りが重要になってくる。一時的な盛り上がりではなく持続を視野に入れる必要がある。
上記の表2は昭和55年から平成12年までの労働力人口の推移を表したものである。 表1は国勢調査の年次別に石垣市における労働力人口をグラフで表現したものである。石垣市の労働力人口は 調査年次において常に増加をしている。昭和55年には17279人だった労働力人口は平成12年には4022人増の 21301人となりおよそ23パーセントの増加となっている。 労働力人口の増加の要因としては外部からの労働人口の流入が考えられる。石垣市の次代の労働力人口を担う 若年層は高校卒業と同時に島を離れるケースがほとんどであり、そういった状況の中での労働力人口の増加は 外部からの移住者であると結論づけて差し支えないであろう。近年移住者がダイビングショップや土産物屋を開業 するケースが増加してきている。
次に、産業別の就業者数について考えたいと思う。
ここでは、石垣市の平成2年、7年、12年の各年度における就業者数の推移をみる。
表の、第三次産業の部分に注目すると、労働人口の第三次産業への流入を見て取ることができる。また、同時に第一次産業就業者数
人口の減少、第二次産業の横ばいから第一次産業からの流入であることがわかるだろう。
農業をはじめとする石垣島の第一次産業従事者の減少は行政としても問題視している事柄のひとつである。
また、第三次産業の中でも項目のほとんどが、ほぼ変わらない数値を示すなか、サービス業に関しては確実に増加を示していることが
わかる。この増加の主要因として石垣市の観光化における観光産業、店舗の増加などが考えられる。
観光業が盛んになり観光業者等が新規の開業、規模の拡大、自ら経営するなどして就業人口が増加したと考えられる。
表4 経済活動別市内純生産〜「平成17年度統計いしがき」より
市内での産業別の純生産額の推移をみる。この表は、上の産業別の就業者数の表とは年度は一致しない。
この表を見る限り、第三次産業のサービス業に関しては堅調に推移しているのがわかる。細かいデータはないが、この推移も就業人口
と同様に観光産業によってもたらされているものと考えるのが自然である。
人口、純生産ともに観光産業の増大が進んでいると考えられる。
また、この表を見ると、「サービス業」以外に「卸売り・小売業」、「製造業」の純生産の成長も堅調に推移しているのがわかる。
市内にみやげ物店などの増加からそれに付随する形で「卸売り・小売業」、「製造業」も成長してきている考えられるだろう。
ここでは、観光によってもたらされたものについて考えてきたが、次は、観光によってもたらされなかったものについて考えてみたいと思う。
表5、石垣市への観光客数の推移と石垣市歳入の推移〜松島泰勝著 『琉球の自治』より
この章では観光開発とそこにかかわるアクターを検討し、今石垣島ではどのような人々がどういった
意見を持っているのか、そして石垣島はどこに向かおうとしているのかについて考えたいと思う。
いま、石垣市には、6つのリゾート開発計画がある。この章では、その中の4つの観光開発のケースを基にアクターの分析を行いたいと考えている。
以上の4地域には観光開発の計画がある。その計画をめぐって住民と企業、行政の動きを通して 石垣島の向かおうとしている方向について検討したいと考えている。
まずはじめに米原地域について検討してみたいと思う。
米原地区概要
世帯数65 人口総数116人(男54人、女62人) キャンプ場を備え、観光客を中心にキャンプやダイビングなど観光の名所になりつつある。 近年人口も増加し飲食店や焼物の工房などもできた。 |
反対派住民団体・建設賛成派住民・開発業者 ・行政 |
米原地域における開発計画
本土大手の資本によるリゾートコテージ建設 |
この米原地域では本土資本によるリゾート開発計画をめぐり、地域住民のつくる反対団体と本土企業の間で問題となっている。
この米原地域は近年、人口の増加を経験し飲食店やお土産屋などの店舗が新しくでき数年前と風景は変わってきている。
この地域はキャンプ場を有しシーズンになるとたくさんの観光客や地元の人々が来場するところである。
立地状況としては目の前にはさんご礁の群生する海が広がっている。そこはダイビングのスポットとしてダイバーが集っている。
後ろには沖縄県一の山於茂登岳がそびえそこから供給される地下水は目の前の海にそそぎ珊瑚をはじめとする生物の生育に貢献している。
その注がれた水は特に珊瑚の成育の源であるとのこと。
場所によってはさんご礁が足の踏み場もないほど群生しているところもあり自然環境は日本でも有数の場所であると言えよう。
反対派住民ホームページ
そのような自然豊かな地域に暮らしたいと考えた人々が外部から米原をはじめとした近隣地域に移り住みはじめた。
そういった人々は新たな住居を構え、店舗を開き米原をはじめとする地域を確実に変化させてきた。
自然に魅せられ自然とともに暮らすために移住しはじめてきた人が多いだろう。そのような人々は自然を尊いものだと考えている人
が多いように感じられる。そして、自然を食い物にしてしまう開発などにはとても敏感である。
変化のなか、2005年6月14日の八重山毎日新聞に米原リゾート開発の記事がでた。
「計画では、米原キャンプ場の東隣にある敷地7万3500平方メートルに、5階建て1棟と13階建て1棟、コテージ5棟からなると
「米原リゾートホテル」(仮称)を整備する」と、
米原海岸沿いの一角にリゾートホテルの計画が持ち上がった。本土資本と島内資本との連携による大型開発の計画である。
その開発計画に対して、本土出身者をリーダーにした反対派住民団体が発足。主に反対派は東京をはじめとする本土からの移住者である。
反対派住民団体は開発業者、石垣市などに対し開発計画の反対を求めて反対運動を展開。開発計画の進行による自然環境に対する大きな
負荷を主たる理由に反対運動を起こしてきた。
具体的な行動をあげてみたいと思う。
2005年7月12日反対派住民の代表らが石垣市都市計画課に開発計画に対する意見書を提出している。
その意見書は計画に反対する署名、企業のおこなった住民説明会の際の資料も一緒に提出され、開発計画撤回を求めた。
また、2006年1月20日住民代表ほか3名によって大阪にある開発計画企業の本社に直接出向きリゾート計画の「白紙撤回
」をもとめた。また、企業近くの駅前において計画反対のビラを配布し、市民にアピールする活動を行った。
具体的かつ行動的な計画反対運動の展開を見せている。
そういった開発計画に対する反対を受け開発業者は当初の計画から規模の縮小と環境との調和を視野に入れた代替案を発表する。
しかし、その案は反対派住民は受け入れることができない。
開発計画の縮小案として提出された計画は、具体的には「開発面積8万2000平方メートル。建物は、5階建ての集合
コテージ4棟、2階建てのコテージ9棟、部屋数200室。」(八重山毎日新聞記事より)となっている。
当初計画されていた13階建ての高層の建築物は計画から排除されることとなり、5階建ての集合コテージに変更された。
しかし、米原地区で5階立ての建物はおそらく今のところひとつもない。
そのような土地で5階建てのコテージは、自然および景観との調和と呼べないと住民はかんがえている。
両者にとって納得のいくものではなく反対行動は未だ終わることはない。
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米原地区における開発計画に対するアクターの動きを見ると、自然か開発かという相反する事柄のなかで人々が揺れ動いているように
感じられる。自然に魅せられて移住を決意し移り住んできた人々の自然への想いと石垣島のブームのなかビジネスチャンスを生かすため
の投資、そしてそれを望む住民。その両者の対立のように感じる。
実際、石垣市は現在プチバブルを迎えている。米原地区以外にも本土資本による開発の計画や開発意欲は見て取れる。
石垣島の土地の値段もバブル期以上の高騰をみせているとのこと。それだけ今、石垣島は観光ビジネスにおいてブームでありチャンス
であると目されている。
20年もめ続けた新空港もようやく着工し、これからいよいよ本格的に石垣島の観光化が始まっていくであろう。
そしてこれから先も開発計画は増え続けるであろう。
そこで、住民はどういった決断をし企業とうまく付き合いながら石垣経済を発展させていくか、考えなくてはならない。
また、それを望む形の地域住民が存在する。地域活性化の願いのもとでリゾートホテルや観光業の振興によってその願いを叶えようとしている。リゾート開発計画をいつまでもよくならない経済状況を一変させてくれるものとし、その計画を待つ。
また、一方で、現在米原地区においてもともとの住民よりも数の多い新移住者が中心となる反対派住民は、リゾート計画には反対を示している。
自らの土地ことは自らで行う。
また、リゾート計画を行おうとしている企業に対し、自らの地域の問題に対して積極的に行動し、開発計画に対し断固として反対の姿勢をとった反対派住民団体。現存する、条例ではこういった企業の行う開発に対し拘束力をもって規制をすることができない。
もちろん、行政の力は小さいものではないがこの地区での対応はあまり目立ったものではない。となると、やはり自分たちのことは自分たちで行うことが重要ということを反対派住民は示した。自らの住む土地を荒らさないためにどうするか考え行動している。
反対派の住民はしっかりとした行動を示しているが、このケースは総体として開発の方向にたくさんの人の目がむいている。
行政も景観条例などの導入を基に乱開発に歯止めをかけるといっているが、この計画はおそらく乱れていない計画になるだろう。
この米原地区のケースは今石垣島に存在する開発計画をめぐるケースとしては、実に多様なアクターが存在し、石垣島の実情の縮図と捉えて差し支えないであろう。
次に北部地域について検討してみたいと思う。
北部地域は前掲の米原地域とは好対照のケースであるいえる。
北部地域概要
人口は近年減少をし過疎化の進む地域 ただし、自然は豊かであり、牧場や農地、原野が広がる。観光名所としては灯台や夕日の沈む 水平線を望むことのできる海岸がある。 |
地元住民・行政 |
北部地域における開発計画
住民による開発要請 商業施設やホテルなどを含む複合型施設 |
この地域で持ち上がっている計画は先ほどの米原の計画とは異なり、まだ実現段階にははいっていない。
この計画は前掲の米原地区の開発計画とは異なり、地域住民の合意として地域住民自らが計画の実現を求める形で計画が持ち上がった。
この計画の発端は平久保公民館(砂川充宏館長)、平野公民館(平良辰男館長)、久宇良公民館(比嘉靖弘館長)の3公民館の長による
連名での石垣市への開発要請からである。もともと石垣市に籍をおく「サンプラザ石垣」という企業が計画しているリゾート開発
計画の早期実現を目指すための要請を市にだしたのである。
3公民館は石垣島の北部(裏側)に位置しその地域における過疎化への危惧と活性化を目的として今回の開発計画を手がかりとして住民の
願いを叶えるために開発計画の推進を要請した。この開発計画は地元住民の切なる願いなのである。
地元住民は開発計画によってできるホテルや商業施設によって観光客の増加、そして若年人口の島離れを防ぎたいと考えている。
開発がもたらす効果は地元住民にとって希望の光と言ってもよい。
上記のとおりこの間で人口は約3/5程度に減少していることがわかる。こういった人口減少・過疎化に歯止めをかけたいという住民の
願いが開発計画要請という形で出てきた。
この計画の具体的概要は「、久宇良集落北東側の133ヘクタールで計画され、県道を挟んで山側に18ホールのゴルフ場、海側にリゾートホテル棟(10階建て202室)、リゾートマンション3棟(8階建て計484室)、ショッピング棟4棟、コテージ4棟などの整備が計画されている。」(八重山毎日新聞より)となっており、計画自体としては決して小さいものではない。この計画は、「2002年5月に都計法に基づく県の開発許可を取得しており、当初、農地法関連の手続きを経て、着工し、04年供用開始が予定されていた。
だが、企業側が資金調達ができずに倒産。また、農地法関連手続きがクリアできなかった」(八重山毎日新聞より)そのため計画は事実上凍結されたままになっていた。そこに北部地区の公民館と企業側の合意が形成され再度日の目をみることとなった。
この計画は住民の願いである。
北部地域のアクターの動きについてまとめる
この北部地域のケースは、一つ目のケースの米原地区の場合とはことなり、反対派が存在していない。
このケースでは、住民が開発を経済活性化、地域活性化の原動力になりえると考え、開発を要請した。また、石垣市もそれは活性化に
必要なものであるとし、開発計画に支援していく見解をしめした。
さきほどの米原地区のケースと同様に地域住民の開発をもとめている声を聞くことができる。
住民・行政ともに開発に対しては経済活性化のために必要なものだとかんがえていると理解できる。
今回の計画も米原地区と同様に大きな開発計画である。その開発による影響は北部地区のみにとどまらず島全体に波及するだろう。
また、観光の形やスタイルを含めた上で石垣島の観光業に大きな影響を与えてしまうことも考えられる。それは、必ずしも良い影響ばかりとは限らない。
この問題は島全体の問題であり、北部住民と企業、行政だけが考える問題ではない。
そして三番目の事例として野底地域について考えてみる。
野底地区概要
人口129人。自然景観の優れる地域。野底マーペーという山が有名。 個人的な見解かもしれないが、あまり観光地として有名ではない。 |
行政・企業 |
野底地区における開発計画
ゴルフ場付複合型レジャー施設 |
三番目に野底地区での開発計画について検討してみる。
他の地域と比較して一番行政が力を入れているケースのようだ。
理由はわからないが、ゴルフを観光業において重要なものと位置付けている。
しかし、この計画は法令の関係により、再度暗礁に乗り上げた。行政また企業の努力もむなしく、県からいい返事をもらうことができなっかった。
この法令とは「石垣市農業振興地域整備計画」によって県の定める「農業振興地域」指定のことである。この計画で県が農業の振興において重要だとし、指定された地域では農業以外の営みはできくなる。
その指定の除外をもとめて市は動いていたが、5年に一度の見直しの年である昨年、除外が認められることは無かった。
計画自体は進まなかったにせよ、いづれにしても石垣市のスタンスと企業のスタンスは見て取れた。
企業は石垣市の新空港開港に向けた更なるブームに期待した開発を、石垣市は税収の確保と第三次総合計画に定めた広く「アジア太平洋の国際交流拠点として国際的水準の観光リゾート地」の目標を達成するためにその両者の利害が一致をみせその計画を進ませようとしていた。
伊原間地区概要
大きい集落ではないが、中学校もあり北部の地域と比較すると大きな地域である |
地元住民・企業 |
伊原間地区における開発計画
住民と企業による計画妥結 |
先にことわっておきたいと思う。
ここでは、資料が不十分であり、ボリュームとして物足りないものとなったがケースとして挙げておきたかったので書かせていただきたい。
以上前項まではアクターや石垣市のデータについてまとめた。
この章では、政策提言の前に政策を提言するうえでの概念を紹介してみたいと思う。
概念:外来型観光と内発的観光 |
ここで重要なのはあくまでも自律的に「地域発展のメカニズム」をコントロールしていくということである。
内発的発展によるメカニズムの特徴として5つの特徴が挙げられている。
1、地域の自発的な取り組み
2、環境の保全
3、地域の個性・魅力の向上
4、「有機的産業連関」を通して、地場産業の振興・雇用機会の創出
5、行政を中心としながらも住民参加による取り組み
外来資本の形成する大型の開発にすべてを委ねるのではなく、地域の手で作っていくことである。また一切、外来資本を拒絶するということではない。そういった企業をうまくコントロールしながら地域の発展のために利用し、観光地として発展していくということである。
以上、「内発的発展」という概念を導入した。この概念を使って、石垣島が自律的に観光地として発展していくためには、どうすればよいか次章で検討してみたいと思う。
この章で石垣島が発展していくために何が必要なのか考えていきたい。
まず、提言の前に今研究で得た石垣島の実情について再度まとめてみたいと思う。
第二章では石垣島の観光における現状について検討した。そのなかで、観光客が石垣島にもとめているもの、観光が石垣市の経済に与えている影響について書いた。観光客は石垣島の海や空などの自然環境と文化のある島の雰囲気を求めていることが理解できた。そのために、石垣島の雰囲気を大切にした観光地作りが重要になることを示した。また、観光の石垣市に与える経済的な影響については労働力人口の第一次産業から第三次産業への移動がみてとれ、さらに観光業を中心とした産業が近年成長していることを示した。石垣市経済自体も観光化が進み、第一次産業が衰退を見せている。観光業によりかかるような経済構造が構築されようとしている。経済がひとつの産業に頼り過ぎることで観光ブームが過ぎ去ってしまった後の石垣島への不安は大きくなっていく。
また、第三章では米原、北部、野底、伊原間の観光リゾート開発計画を抱える地域のアクターの動きを分析することで、今石垣島が向かおうとしている方向を示そうとした。石垣島は反対派も存在するが総体として観光開発路線をとっていることがわかった。
この獲得した事実を基にして、第四章で導入した概念を用いて政策提言をしたいと思う。
まず、石垣市の観光のあり方について考えてみたいと思う。石垣市は観光開発を推進する路線をとっている。アクター分析の中で紹介したとおりゴルフ場の建設に力を入れるとともに北部振興のために開発に力を入れている。そのスタンスは「外来型観光」と呼べる。
もちろんすべて従属的なっているとは言えないが、米原のケースでは大阪の資本、野底地区でのケースも本土資本の関連会社であるし、北部地域の場合は会社名の冠に「八重山」という言葉がつくが必ずしも域内の資本かどうかはわからない。また、これらの開発計画はどれも大型の開発計画と呼ぶことができ、「大規模な環境の占有」をゆるし、観光収入の域外への流出を招く恐れがある。
また、第二章で述べたように石垣市の産業は観光産業への傾斜が進み第三次産業が肥大化してきている。石垣市の産業基盤は必ずしも強いとは言えず第一次産業、第二次産業が衰退し、廃れていく危険性がある。
また、観光産業の増大が目立つ一方で、税収の減少や島民の経済状況の実感が得られないということもある。必ずしも経済状況が良くなったとは言い切れない部分がある。先ほどの概念で紹介した「観光収入の域外流出」が主たる要因と考えられる。
また、石垣市は第三次総合計画など観光等にまつわる計画を作ってはいるが、大型の開発頼みに感じられる。果たして自律的な観光に対する「コントロール機能」が働いているかは疑問である。一定の観光と開発を支える指針作りが必ずしもうまくいっていないといえる。
また、石垣市民も観光に対し依存、もしくは信じすぎているように感じる。もちろん、経済状況が良くならない中、大型の開発によって経済振興を図る気持ちはわかるが、われわれは大型開発の失敗をこれまでバブルの遺産として見てきたはずである。石垣市全体としてそういった開発に対する信仰が人々の中にあるように思う。
そういった状況から脱っし石垣市を自律した観光地として、また持続的に発展し、「内発的発展」を遂げていくためにはどうすればよいのだろうか。
そのためには、自律ある「コントロール機能」をつくること、産業を育成し、石垣市の経済状況を良くしていくことが重要になる。
今、石垣市は行政、市民ともに観光開発、観光業を信じすぎている現状が見受けられる。そこからの脱却を図り、外来資本への依存からの脱却を図らなくてはならない。そして域内で経済をまわしていかなくてはならない。
自律ある「コントロール機能」は島全体を自らの手によってチェックし守っていくことである。大型の開発から脱し、観光客の求める観光地づくりを自らの手で作り上げていく必要があるだろう。
自然環境はただの自然ではなく観光の資源となりうる。開発を秩序無く進めていけば、いつかは自然がなくなり、いつか観光客が減り、今以上に経済は、廃れていくということもかんがえうる。ここまで、環境と観光が密接に繋がりあっているので開発と観光の指針はセットで作り上げていく方がよいであろう。
また自律ある「コントロール機能」を作り上げていく際、本土からの移住者の意見に耳を傾ける必要があるであろう。彼らは、そういった観光の失敗や環境破壊を目の当たりにし、石垣島の残された環境に魅せられて石垣島に移り住んできた。だから大型の開発は許せないはずである。彼らの見てきたものは、我々の知りえないものである可能性が高い。
産業については、現在第三次産業への傾斜と移住者の活躍が見られる。しかし、産業に関しては我々の手で作り上げていく必要があるだろう。われわれの願いは経済的な発展である。これまでずっと待ってきた。しかし、大型のホテルができても、大型のショッピングセンターができても我々の経済状況は一向に良くならない。であれば、自分たちの手で作っていくしかないだろう。できる限り、政策面でのバックアップをはかり、観光産業を主軸とした部分で新規の創業を図ること、そして横のつながりを広げ、経済を島内で循環させ島外に流出させないようにすることが、大切であろう。もちろん、島民が全員創業できるわけではない。リスクもある。だが、島内企業が島内の雇用状況を改善し、島内企業が産業を発達させていくことで島内経済の活性化を図ることが可能になってくると思う。
その中で、観光産業に付随する部分から産業の体力を養って行くことが重要になってくる。観光産業のブームが去らないとは限らない。何があっても大丈夫なようにしておく必要があるだろう。我々は明日もあさっても十年後も百年後もこの島に生きていかなければならない。
少しでも今の状況をよりよいものにし、明日何があっても生きていけるように、島を作っていかなくてはならない。
我々は石垣島で生まれ、石垣島で育った。いつも海があり、太陽があり、空があり、木々が生い茂っていた。人はいつも失ってから気づくことが多い。島を離れ、東京にきて今まで当たり前のものがなくなってしまうと恋しくてしかたない。
本当にすべてがなくなってしまう前に、いま我々は少しずつ何かを変えていかなくてはいけない。