私は昨年の夏休みに1ヶ月間アメリカに行った際に他国の留学生の英語力に驚かされました。
そして、日本では中学と高校で6年間も英語を学んでいるにもかかわらず、なぜ英語力が世界で最下位に近いのかという疑問が生まれました。
私は日本の英語教育に問題があるのではないかと考えました。
実際に、文部科学省は英語教育のための政策を実施しようと試みているのだが、経過や効果が上透明な部分も多いように見受けられる。
学校での英語教育をグローバル化の波が押し寄せる現代のニーズに合わせる必要があるのではないか。
世界基準で政治や経済の舞台で活躍する際や、世界を舞台にしてビジネスやスポーツをする際にも英語力は必要である。
しかし、島国だからなのか日本では英語に対する意識が低いように思われる。
日本が国際的な競争で勝ち抜くためには全体的な英語力をより高めることが必要である。
また、グローバリゼーションの現代では、英語力が国力を表す1つのバロメーターとして扱われるのではないだろうか。
そこで、日本の英語力を世界に追いつかせるためには、どのような教育における政策を実施すれば効果が表れるのかということを研究をしていきたい。
たしかに、必要に応じて自分で勉強すればいいだけなのではという意見も理解できるが、学校教育のなかで高い英語力を身につけることができれば自分で勉強する手間や時間を省くことができる。
個別に学習を行えばいいとなると、集団で学習する学校教育というもの自体が意味をなさなくなってしまうのではないか。
また、早い段階で高い英語力を身につけることができれば、将来への可能性も広がるのではないかと考える。
そして、日本人の英語力を高めることの必要性を訴えていきたい。
1章 | 現代における英語力の必要性 |
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2章 | 日本の英語教育の今 |
3章 | 日本の英語教育のこれから(文部科学省が行っている政策の考察) | 4章 | 他国の英語教育 | 5章 | 日本の英語力を国際的なニーズに合わせて高めるための具体的政策 |
英語力が必要な理由として、まずグローバル化の進行が挙げられる。
外国人との交流において制限を受けたり、適切な評価を得られないという事態が起きている。
ますます国境の垣根が低くなる世界で、必須の伝達手段になってきた。だから英語教育を変え、会話力を育てる必要がある。
また、企業ベースでの国際競争力を高めるためにも必要である。
国内市場が飽和状態であるマーケットをターゲットにしている企業は、続々と海外に進出しシェア拡大を図っている。
企業のグローバル化が進んでいることは、ビジネスにおいての英語力の必要性が高まっていると考えられる。
また、英語が国際共通語としての役割を果たしているとの考え方がある。
この考え方から、英語力を高め世界から日本に対する理解や信頼を得ることが重要ではないか。
しかし、この英語が国際共通語であるというのは思い込みであるという意見も存在する。
現在のところ、世界人口のどのくらいの割合の人々が英語を使用しているかについては諸説に分かれている。
世界総人口の3分の1が日常的に使用しているというものや、たったの9パーセントに過ぎないというものもある。
また、世界で英語を話す人の割合が高いという理由だけで英語を国際共通語とするなら、英語の2倊近くの人々が話す中国語をなぜ国際共通語にしないのかという意見もある。
私のこの意見に対する考えを述べさせていただくと、たしかに中国語を話す人口は英語の2倊かもしれないが、それは単純な人口数の差によるものであり地域数で捉えれば英語のほうが広く使われているはずである。
日常的に英語が使用されているかどうかも大事だが、いずれにせよ世界の多くの国で英語が通じるというのは事実なのであるから、英語を国際共通語と考えて間違いはないのではないかと私は言いたい。
また、外国語教育が一部エリートだけでなく、すべての子供に必要なことを明示している勧告がある。
「外国語教育はそれ自体が目的ではなく、その文化的・人間的側面によって生徒の知的能力と人格の育成に役立てることにある《
ユネスコ共催国際公教育会議各国文部大臣宛勧告第59号より抜粋
私は、英語教育が一部エリートだけでなく、すべての子供に必要だということには賛成だが、英語教育それ自体も目的にすべきだと考える。
また、、日本は多言語・多文化が進むという見解がある。私は多言語多文化が進んでいるからこそ英語教育の強化が必要だと考える。
ここまで、英語力の必要性を述べてきた。そして、“学校教育において”の英語教育の強化が必要だと私は考える。 一般的な意見として、学校で英語を勉強しなくても、英語力を必要な人は独学や留学、英会話学校等で勉強すればいいのではないかといものがある。 しかし、学校教育で高い英語力を身に付けることができれば、独力で勉強する際の労力や時間、費用などの負担を減らすことができると考える。 また、より年齢が低い時期により高い英語力を身に付けることができれば、将来の可能性が広がると私は考える。 以上の考えを踏まえると、“学校教育において”の英語教育の強化が必要だと私は考える。
文部科学省は、グローバル化が進む現代において、英語のコミュニケーション能力を身に付けることが必要だと考え、「『英語が使える日本人の育成』のための行動計画《を平成15年に策定。
文科省は、高い英語力の必要性を認識し、現状の英語力に対し問題意識を持っているということになる。
この行動計画で求められていることは以下のとおりである。
○中学校卒業段階:挨拶や対応、身近な暮らしに関わる話題などについて平易なコミュニケーションができる
○高等学校卒業段階:日常的な話題について通常のコミュニケーションができる
また、日本の英語教育の現状は・中学校では、学年が上がるごとに好きさや理解度が下がっていき、授業内容を理解できていない生徒の割合が非常に多いとのことである。
そして、日本の英語教育の課題として、授業で英語を用いる割合が小さいなどといった入学当初からの指導内容や指導方法の問題、一度つまずいた生徒に対するフォローが十分でないため二極化をまねくといった問題が挙げられる。
また、また経済財政諮問会議が平成18年に「グローバル戦略《の1つとして、TOEICで「(英語で仕事ができるとされる)700点程度以上の者の倊増《を掲げた。
行動計画に基づき、様々な取り組みを行っているが、あまり効果が出ていないのが現状であるということなので5年経過してどういう結果になっているのかを、今後具体的に明らかにしていく。
◇小学校英語教育
ここでは小学校英語教育について述べていきたい。
まず、1991年に小学校へ英語を導入しようという考えが初めて公式に表明される。
そして、11年春より5、6年生で週1コマの「外国語活動《を導入という方針が決定。
さらに、このほど小学3年生からの英語必修化が打ち出された。
必修化が打ち出された背景には、教育の機会均等の確保がある。
現在でも、90パーセントを超える小学校において総合的な学習の時間などで英語活動が行われているが、内容や時間数に相当のばらつきがある。
一方で、教科としての英語教育を実施する学校が増加している。これらのことを考慮し、中学校に入学した際に全員が共通した基盤をもてるように、学校間のばらつきをなくすために必修化にすることとなった。
ちなみに、小学校における英語教育は明治時代にも取り入れられていた。 英語を世界を知るための手段とすることが目的であったようだ。 ただ、カリキュラムの中に英語を導入してもよいという決まりがあっただけで、どれぐらい実行されていたかは上明である。
それではまず、以下に小学校英語教育のメリットを挙げる。さて、ここで一度原点に戻るという意味で、小学校英語を行う目的についてもう一度考えてみる。 現在の英語教育の流れは、グローバリゼーションという得体の知れない潮流に励まされたものであり、小学校英語教育の意義や必要性を十分検討した上でのことではないのではないか。 大掛かりな言葉に背中を押され、方向舵もつけずに船出させられたようなところがあるのではないかと考えるからである。
まず、小中学校における外国語教育の目的は以下の2つに大別することができる。
①一定の実践的能力を身につけること。
→読み、書き、話す、聞くに代表されるコミュニケーション能力の育成
②異なる言語の学習を通して豊かな世界観を育てること
→ものの見方の変容に関わる、より本質的なものに焦点を当てたもの
この中でも2つ目の目的、つまり英語の教育は国際理解を主眼とすべきという意見のほうが、主流である。
しかし、異文化理解教育と英語という言葉の教育とは本来別のことだという意見もある。
異文化をよく理解できるというようなことは、英語を身につけ、それを使いこなして生活した‘結果’可能になることなのだとも言える。
それでは、ここからは何故英語が国際理解の手段となり得るのかということに関して述べていく。
我々は、母語の習得を通して自分の周囲の切り取り方を学んでいく。
経験や感情の処理も、社会的な約束や対人関係についての理解も、すべて“言語”を利用して行っている。
つまり、‘母語’を通してしか世界を切り取れないということは、閉じられた世界にいるということなのである。
であるから、異なる言語の学習は、その閉じられた世界を新しい世界と結びつける手段となり得るのである。
このように考えると、英語学習は国際理解教育の一環として捉えることができるのである。
◇高等学校英語教育
「英語の授業は英語で行うことを基本に《
13年度からの高校学習指導要領改定案でこのような方針が示された。
これは教える側にとって大きな負担になることに間違いないだろう。教える側に相当高い能力が要求されるからである。しかし、授業を実際のコミュニケーションの機会とすることはいい考えだと私も思う。あとはやり方の工夫次第だろう。
導入する高校を絞るのもいいかもしれない。都立国際高校ではすでに導入されており、着実に効果をあげている。また、選択科目にして希望者のみが授業を受けるという形態もいいと考える。
・韓国→小学3年生より英語必修化(1997年)
・台湾→小学5年生より英語必修化(2001年)
・マレーシア、ネパール、香港、ベトナム、モンゴル、タイにおいても、必修選択の違いはあるが小学校英語を導入。
Last Update : 09/7/21
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