序章 研究動機
1章 ガラパゴス化とは
2章 戦後の日本の産業構造
3章 成熟国家型モデル
4章 各プレイヤーのアプローチ
5章 政策提言 〜世界をリードする島国へ〜
震災復興、国内政治の混乱や経済の低迷、さらにはTPP参加の是非を巡る議論など現在の日本には解決すべき課題が多くある。また分岐点にさしかかっていると考えられる。
戦後、経済成長を牽引してきたのはかつて世界一と言われた日本のモノづくりであった。私自身を含め、現在でも日本人の多くはメイドインジャパンに誇りを持っている。
また今後の日本の発展のためにはモノづくりが必須だと考えている。
しかし、徐々に弱体化しつつある日本のモノづくりに関して疑問を持った。 日本の製品は世界基準で比較しても非常に高い水準であるのにもかかわらず世界的なシェアを獲得できていないと気づき、研究を進めていくうちに「ガラパゴス化現象」というワードを知った。日本は元々資源の少ない国であり、外貨を稼ぐために海外から原材料を輸入し日本で加工したうえで再び海外に輸出するという加工貿易を行ってきた。しかし日本は中国などのアジア諸国に追い抜かれ国際競争力を年々失っている。この「ガラパゴス化現象」というワードはネガティブな言葉として使われているが、果たして「ガラパゴス化現象」とは問題なのか、その解決策はあるのか、また強みに変えることができないのかを研究し、記録していきたい。
ガラパゴス化とは日本の技術やサービス、経済慣行が高度に進化しながらも、外国からの参入がほとんどなかったために、世界基準からかけ離れてしまった事を指す造語。
ガラパゴス諸島とは南米から900キロ離れた太平洋上の沖合いに位置し、独自の進化をとげた固有の生物が数多く存在するが、それらはガラパゴス諸島が大陸からは隔絶された環境にあったことによって、独自の進化を遂げたと言われており、ダーウィンが進化論のアイデアを得た場所としても有名である。つまり日本におけるガラパゴス化とはこの現象にちなむ。
近年の日本では、技術やサービスで独自の進化をとげることにより、世界の標準からかけ離れてしまう現象が見られている。日本の技術、サービスはまさにガラパゴス化現象が生じているといえる。世界最高水準の技術を活かし、海外企業では真似のできないような機能を盛り込んだ製品を持ちながら、世界市場ではほとんどシェアを握れないケースも少なくない。このような「ガラパゴス化現象」は、日本企業が抱える大きな問題となっている。その結果国際競争力を持たぬまま衰退してしまう。
その例の最たるものは,携帯電話端末だという。世界市場における日本メーカーのシェアは合計10%程度だが,その実態はほぼ国内販売だけ。輸出は限りなくゼロに近い。情報通信関連の端末や機器をみても,輸出比率は極めて低い。
参考文献、宮崎智彦 『ガラパゴス化する日本の製造業〜産業構造を破壊するアジア企業の脅威〜』(東洋経済新報社)より二部に分けて抜粋すると以下のようになる。
現在の日本の経済状況をマクロ的に他国と比較したものが以下に示されている。
戦後の日本の経済成長はアジアの奇跡と言われてきた。まずは戦後の日本経済史を振り返ってみたい。
ここにガラパゴス化へとつながるヒントがあるからである。
そもそも戦後の日本の経済成長はGHQの戦後改革によってもたらされたと考えられているが、必ずしもそうではない。
標準的見解ならば、戦後の日本は、占領軍によって導入された経済民主化政策によって出発したとされる。
「軍事国家から平和国家に転換した日本は、生産能力を軍備の増強ではなく経済成長に集中した。」と多くの国民が信じている。
しかし戦時経済体制に目を向けると全く異なる歴史観が見えてくる。それは「戦後の日本経済は、戦時期に確立された経済制度の上に築かれた」という考え方である。
特に重要なのが間接金融体制(企業が資本市場からではなく、銀行からの借入れによって投資資金を調達する仕組み)である。
企業は資本の影響や市場の圧力から解放され、内部昇進者が経営者になる慣行が確立され、企業は従業員の共同体になる。
この体制は、高度成長を実現しただけではなく、石油ショックの克服にも本質的な役割を果たした。
1980年代頃までの先進国の経済活動は、大量生産の製造業を中心とするものだった。生産活動の大規模化に伴って組織が巨大化し、その構成員は与えられた業務を忠実かつ
効率的に遂行する「組織人」となることが求められる。こうした状況下では、軍隊的組織が優位性を発揮する。
しかし、技術体系に本質的な変化が1990年以降生じた。大量生産の製造業ではなく、ソフトウェアや知識が中心的な役割を果たす経済活動が重要になったのである。
新しい環境の中で、規律よりは創造性が、巨大さよりはスピードが、そして安定性よりはリスク挑戦が求められる。
この要請に適合する経済システムは、市場を中心とするものにならざるを得ない。製造業でさえ、組織内分業から市場に通じる分業に移行する。
したがって統制色の強い戦時経済体制の優位性は必然的に失われる。
ここにもガラパゴス化の片りんを見ることができる。急激な上記の経済的変化に対して多くの企業はグローバルに対応することができなかった。
結果として豊富な内需を満たすことに注力し、以降高度な国内のニーズのみにフォーカスしていくことになる。
各項目に関してより詳細に見ていく。本参考文献である野口悠紀雄『1940年体制〜さらば戦時経済〜』は1940年体制の特徴に@日本型企業、A間接金融、B官僚体制、C財政制度、D土地制度の5つを挙げている。本論文では財政制度、土地制度以外の4つにフォーカスを当てる。
・日本型企業
日本の企業は株主のための利潤追求の組織というよりはむしろ、従業員の共同利益のための組織になっている。従業員は滅私奉公的に企業に忠誠を尽くすことによって、企業の中で昇進し、経営陣に入ることができる。また企業は従業員に対して様々な福利厚生サービスを提供している。これは日本の文化的・社会的特殊性に根差すものだと考えられていることが多い。
しかし戦前期においては日本でも経営者は会社の大株主であり、企業は株主の利益追求のための組織だった。
それが大きく変わったのは戦時期であった。1938年に国家総動員法が作られ、それに基づいて配当が制限され、また株主の権利が制約されて、従業員中心の組織に作り変えられた。
終身雇用も年功序列型賃金体系も戦時期に賃金統制が行われたことによって全国に普及していった。
労働組合も日本では特殊な形をとっている。先進諸国では産業別組合が典型的な労働組合組織となっているのに対し、日本では企業別労働組合がほとんどである。この原型も戦時期にそれまでの労働組合が解散され、労使双方が参加して組織された「産業報国会」に見出すことができる。
戦前の日本企業は教科書の書く企業像に大変近いものだった。
資金調達面を見ると株式による資金調達が産業資金のなかで大きな比重を占めており、自己資本比率は戦後の場合よりはるかに高かった。
株主中心の企業支配構造であり株主総会は取締役にたいして大きな権限を持っていた。配当性向は非常に強く、企業は獲得した利益を直ちに株主に分配していた。労働市場もかなり自由であった。労働者の勤続年数は短く、雇用調整は早く行われた。
しかし、前述の国家総動員法によって初任給が公定されることになり、賃上げを建前として認めないという賃金統制が行われた。この例外は従業員に対して一斉に昇給させる場合とされた。これによって定期昇給の仕組みが定着した。
ドーアの日本企業論にもその特徴がよく表れている。ドーアは1960年代末の日本とイギリスの工場の従業員意識や雇用慣行などの観点から比較し、日本企業の特徴が終身雇用と年功賃金、企業内訓練と柔軟な職務内容、工職間・管理者従業員間の平等主義などの雇用慣行にあるとした。そしてこうした諸特徴を「組織志向」と名付けて、イギリス企業が「市場志向」であることと対比した。
ドーアによれば、市場志向は、属人的賃金体系、企業外の訓練・資格所得、企業枠を超える職業別労働組合、横断的労働市場と相対的に高い労働移動などによって特徴付けられる。こうした雇用慣行・組織の下では、仮に会社がつぶれたとしても、別のところで働くことが可能である。従って、特定企業に対するコミットメントは低く、経営者に対しても労働者の姿勢は対決型のものとなる。これに対して「組織志向」の場合は労働者が現に雇用されている企業にコミットする傾向が強くなる。日本型の企業システムにおいては、労働者は対決姿勢を取ることが少なく、労使協調により積極的にプラスの価値が生み出されていくことが多くなる。このようにドーアは積極的な意義を日本の企業形態に見出した。
年功序列賃金・終身雇用維持のためには、企業は常に成長を続けなくてはならない。日本型の企業システムが円滑に進むためには高い経済成長が必要であり、逆に日本型の企業システムは高い経済成長を生む原動力となった。またこの日本型の企業システムは間接金融と深く結びついている。
・間接金融
日本経済の重要な特徴として金融制度が間接金融体制となっていることが挙げられる。起源は資源を軍需産業に傾斜的に配分させることを目的とした制度改革にある。
1937年の臨時資金調整法によって設備資金配分の統制が行われた。政府は日本興行銀行を通ずる命令融資制度によって、資金の配分をコントロールすることができるようになった。このような資金統制の結果、産業構造は大きく変化した。消費関連の軽工業の比率が低下し、重化学の比率が上昇した。
さらに第二次近衛内閣は「新経済体制」の一環として、金融統制の強化を目指した。企業が利潤を追求するのは株式で資金を調達するからであり、これに代わる資金調達手段があれば、すでに述べた利潤追求がなくなるだろうという考えによるものである。そして1942年には「日本銀行法」が改正され、総力戦遂行のための金融統制体制が完成する。また銀行に審査部門が設立された。それまでの日本の銀行は長期金融の経験が乏しく、十分な審査能力を持っていなかったのである。これによって資本市場はさらに低迷した。
1944年には「軍需会社指定金融機関制度」ができた。これは軍需会社の「指定金融機関」を定め、ここから円滑な資金供給を保障するものであった。そして「指定金融機関」に対しては、他金融機関、政府、日銀が協力する仕組みになっていた。この時に三井、三菱などの財閥系のほかに、興銀、富士、三和、第一勧銀などの戦後金融系列につながるグループが形成され、これが戦後の金融系列の始まりとされる。
戦後の高度成長をマクロ的に見れば、高い貯蓄率に支えられた豊富な貯蓄が存在し、それが次々と投資されていく過程であった。ここでも企業への資金提供が間接金融で行われた。1940年体制によって確立した金融システムが、資源を成長分野に割り振る上で重要な役割を果たしたと考えられる。
間接金融方式の下での資金の流れは強くコントロールされた。これによって産業構造と経済成長パターンが影響された。具体的には人為的低金利政策と金融鎖国体制が挙げられる。
・官僚体制
欧米諸国に遅れて産業化に着手した日本では、産業化自体が国家の政策的介入によって進められた面が強かった。「殖産興業政策」はそれをよく表している。しかし戦前期の日本では政府の全面的介入が行われいたわけではない。主な役割は民間資本の保護・育成、あるいは救済にあり、基本的には営業の自由が貫徹する体制が支配していた。
しかし、昭和恐慌を背景に、経済統制が始まった。1931年に「重要産業統制法」が制定された。これは、私的カルテルの助成を目的とした五年間の時限立法だった。
また1930年代には、「事業法」の制定も行われた。これは民間の個別産業を対象として事業者許可制や政府の命令権を規定する統制法である。
1934年に「石油業法」が制定されて以来1937〜1941年にかけて「人造石油事業法」、「製鉄事業法」、「工作機械事業法」、「航空機製造事業法」、「造船事業法」、「有機合成事業法」、「重要機械製造事業法」などの産業別の事業法が次々と制定された。これらの法律は次のような内容のものであった。すなわち、事業経営を許可制とし、事業計画も許可制とする。これらを通じて企業は政府の監視、統制を受け、また設備の拡張、生産計画の変更などの命令も受け入れる。他方では、税制上の特典、助成金、資金調達上の優遇措置の変更などの保護助成が与えられる。また命令によって生じた損失に対しては、補償が与えられることとされた。
その後の戦後経済成長は通産省による産業政策によるところが大きいと考えられている。日本政府は、国際競争力を向上させるためこれらの成長性に富む産業をピックアップし、これに対して研究開発費補助、税制上の優遇措置、国内市場の保護を与えて育成してきた。海外の巨大資本に立ち向かうためにはまずは市場開放ではなく、十分な時間をかけて育成しなければならないと通産官僚たちは考えていた。官民一体となった体制の重要性が主張された。
また官僚の役割として摩擦調整があった。具体的には衰退産業に対してカルテル的な過当競争を可能としたり、農業や小規模流通業などの低生産性部門に対して、参入制限、価格規制などの競争制限を行い、さらに税制上の優遇措置、政策金融、財政補助なども与えたことなどがある。
経済成長とはさまざまな部分が不均衡に成長する過程ある。製造業の大企業が高い生産性を実現した。これらの多くは輸出産業である。このセクターを「高生産セクター」と呼ぶことにする。これが日本型産業の第一構成要素である。そして零細企業、流通業、サービス業、農業などを「低生産セクター」と呼ぶ。石炭産業といった衰退産業も、この部門に含めることができる。こうした状況を放置すると所得格差、地域格差が生まれる。日本の経済成長においてはそうした摩擦が最小限に食い止められた。「高生産セクター」で実現された経済成長が所得移転などを通して、「低生産性セクター」に還元された。また衰退産業の退出も摩擦なしに実現した。
・戦後改革
1945年8月15日日本の降伏により太平洋戦争は終結した。これと同時に日本は連合国軍の占領下に置かれた。占領軍総司令部(GHQ)が設置され、マッカーサー元帥が連合国軍最高司令部(SCAP)となった。マッカーサーは日本民主化のための五大改革指令を発した。婦人解放、教育の自由化、専制政治からの解放、経済民主化、労働者の団結権の確立を内容とするものであった。その後、財閥解体、農地改革、新教育制度の施行などいわいる戦後改革が行われた。
しかし以上のような大改革が行われたにも関わらず、日本の経済の根底は変わることがなかった。官僚制度、特に経済官庁の機構はほぼ無傷のまま残ったのである。
消滅したのは軍部及び内務省であり、それ以外の省庁は無傷のまま残ったのである。また地方自治がうたわれたにもかかわらず、財源は依然として国に集中したままであった。
このような結果となった理由は官僚機構が生き残ったこと、金融改革が実行できなかったからである。
占領軍の改革方針が明確ではなかった。「もともとアメリカ人は日本人に『解放』をもたらすために日本を占領したわけではない。旧体制の破壊も資本主義体制そのものの変革を目的としたものではなく、目的は武装解除、潜在能力の除去であり、これによって日本人が再びアメリカをおびやかすことのないようにするものであった。・・・この意味で仮に冷戦という要因がなかったとしても占領政策の切り替えは早晩不可避だったのではないか」旧制度の大部分を温存することすら、決して彼らの当初からの占領政策と矛盾したことではなかっただろう。
GHQの世論・社会科学部長を務めたハーバード・パッシンによればアメリカ側が日本の官僚制度に関する十分な知識を持っていなかったために、問題の本質を把握できなかったというのである。
それはアメリカの官僚制度を頭においた改革でしかなかったからである。
また生き残りへ官僚の画策があった。終戦からわずか10日後に、当時の軍需次官であった椎名悦三郎が部下に命じて一晩の間に軍需省を解体して商工省を復活させたエピソードは有名である。
金融改革においても同様である。占領軍の金融改革案は、長期信用銀行を廃止し、長期資本供給システムから、市場メカニズムが働く債券市場中心のアメリカ型のシステムに移行しようとする意図を持っていた。しかしこれも占領軍の知識不足によって実現しなかった。1947年に公布された「過度経済力集中排除法」によっても銀行は指定免除となり、銀行の分割は中止された。結局占領軍による政策は技術的問題や「民主化」といったイデオロギー的な問題にとらわれてしまい。既存の慣行の全面的な刷新を促すような問題には目をつむったままとなった。
・背景にあった基本理念
1940年体制の特徴として「生産者優先主義」がある。つまり生産力の増強がすべてに優先すべきであり、それが実現されればさまざまな問題が解決されるという考えである。そのような考えが社会的コンセンサスを得ることによって「消費は浪費であり、従って悪である」、「生活の質の向上などは、怠け者の要求」という通念は一般的となった。この考えは日本型企業にマッチし、間接金融における高い貯蓄率の実現にも結び付いた。
もうひとつの特徴として競争否定という理念がある。1940年体制は単一の目的のために国民が協同することを目的としている。そのためチームワークと成果の平等分配が重視され、競争は否定される。ミスターカルテルと呼ばれた新日本製鐵初代社長稲山嘉博氏は日本経済新聞の「私の履歴書」において「私は、<競争>という二文字の代わりに<協調>という言葉に置き換えて、<自由協調>こそ人類に平和の世界をもたらすのだと確信しながら、私の履歴書の筆をおきたい。」と述べている。過当競争という言葉が示すように、「競争は悪である」という考えが日本では一般的である。競争とは弱者を無視した強者の一般的な考え方であり、従って社会的公平の観点からは排除されるべきだとされた。そして協調し、共存することが、望ましい状態と考えられるにいたった。
経済学の理論だと生産に関しては市場における競争原理に任せ、生活の保障はそれとは別に生活の保障は社会保障で行うべきとされている。しかし日本ではそれが生産者レベルで行われている。
それらはまた「共生」という言葉で表現される。消費者の要求に答えられる企業は存続し成長することができる。しかし、そうでない企業は淘汰される。これが市場の基本原理である。経済の変化に応じて古い企業が死滅し、新しい企業に道を開くことが経済のダイナミズムの源泉である。
非効率な企業や消費者の要求を満たさない企業が存在するのは消費者にとっては困るのである。
1章のおいて見てきたことは、日本が高度経済成長を達成することができた仕組みと現在経済が混迷している理由である。ガラパゴス化につながる要因をいくつもみつけることができる。
最も成功した社会主義経済とまで揶揄された日本の産業構造だが、このままでは日本はグローバル化した社会に取り残され一層の負のガラパゴス化を進めてしまう。そこであらたなパラダイム転換が必要ではと考えた。本研究の目的はガラパゴス化を強みとしつつ克服していくことである。
そこで私は成熟型国家モデルに着目した。
現在の日本を国内総生産(GDP)と国民総生産(GNP)で比較すると興味深いことがわかる。GDPとは物理的に日本の国内で生み出された付加価値の合計となる。一方、GNPとは日本人がどこにいようと獲得してきた付加価値の合計である。現在の日本は恒常的にGNPがGDPを上回っている。これは日本成熟債権国家にむかっている証拠である。海外で日本の富が蓄積されていき、そこから上がってくる投資収益や利子で稼ぐことが可能になっているからである。
日本は今後、世界で最も早く成熟国家としてのフェーズを迎える。成長→成熟→衰退というのが一般的な生物、組織に当てはまるサイクルである。おそらく我々が成熟という言葉に抵抗を感じるのはそれが衰弱、衰退とイコールとして捉えられているからではないだろうか。昨今のメディアを見ても成長論が叫ばれている。新産業を興すべきといった主張はその典型である。
成熟国家として、まずは日本自身が「モデル」となることが必要なのではないだろうか。東日本大震災や原発事故いおいてここまで国民が対応できたことは、国民がかなりの成熟度に達していることを示している。また成熟を迎えているということは、新たな細胞分裂が始まっているということである。道州制の議論もその典型であるといえる。
今、新たなビジョンが日本に必要なのではないだろうか。歴史的ともいえる政権交代に国民が期待したものは新しい時代の新しい社会であった。しかしその新しい何かとは結局わからないまま従来とは変わらない政策が続けられてきた。前章の戦時期以前に日本はビジョンの転換を迫られていた。帝国主義の波に乗ることができなかった清国は欧米列強に植民地として切り刻まれていった。しかし日本はそのとき攘夷から開国、殖産興業と富国強兵というビジョンの転換によってアジアの雄となることができた。近年でいえば共産主義国家が衰退していく中で中国だけが「社会主義市場経済」という新しいビジョンを示すことによって目覚ましい発展を遂げた。
では今現在の日本の新たな日本のビジョンとはと考えた時、全国民が医・食・住を保障され豊かに暮らしていくことができる国づくりといえるのではないだろうか。経済成長が人々の幸福につながるのではなく、今までのストックを有効活用し、低成長を続けながら新たな社会をつくっていくことができないだろうか。
GDPには各産業ごとに作りだされた価値を足し合わせたもの(生産の側面)、労働者の所得と企業の利益を足し合わせたもの(所得の側面)、国民の消費者と企業の投資と政府の支出を足し合わせたもの(支出の側面)がともに等しいとい三面等価の法則がある。GDPがトレンドとして拡大していかないということはGDPが成熟しているという証拠である。
また経済成長率=(労働力の増加率)+(資本ストックの増加率)+(技術進歩率)と表すことができるが、労働人口の低下・貯蓄率の低下・技術進歩率の低下と上昇の要因が全くない。
こうした状況と今後の経済予測を踏まえて考えると日本の国家テーマは、高齢者を含む社会的弱者に対する対応策になることは明らかである。かつては国民全員が安心して暮らせ、豊かな社会づくりが国家としての目的であり、国家は経済を成長させて家計の所得を増やすことがよしとさた。しかし今後はGDPの成長が見込めない。となると高齢者や社会的弱者を特に念頭において、国民全員が不安なく暮らしていける社会サービスを影響することが最も重要な国家の使命となるのではないだろうか。
前述の医・食・住を保障するという社会インフラへの投資はこれまで行ってきた道路やダムといった産業インフラへの投資よりも成熟国家においては投資効果、国民の満足度とも明らかに大きい。経済成長を通して国民の生活を豊かにするという方法論が有効性を失った今、日本が新しく指向すべきは国民の誰もが安心して人生を送れるような生活保障の社会インフラを整備することであり、それは具体的には国民全員に医・食・住を保護することなのである。
そもそも産業インフラ投資における公共事業には三つの効果があると言われていた。
その第一は道路のような産業インフラを造ることによって経済活動の全般の効率性が向上することである。東名高速道路があるのとないのでは、東京−東海−名古屋間の物資の運送効率は大きく違う。要する時間は大幅に短縮され、輸送可能な物資の量は飛躍的に伸びる。交易が活発化し、地域間の分業と協業が進み、市場スケールが拡大することになる。
第二の効果は波及効果・乗数効果と呼ばれるものである。東名高速道路の例で言うと鉄鋼会社・セメント会社・材料の運搬会社・電力会社・海運業者など一つのプロジェクトにおいて様々な会社が儲かるといったことが挙げられる。高度経済成長期には一兆円の公共事業は二兆円以上の波及効果を生む。
そして第三の効果は雇用の創出である。公共事業によって雇用を創出すれば、失業者に所得が回る。景気の下降連鎖を食い止めることができる。
しかし以上で述べたことはいずれも経済成長期におけるインフラ投資の効果である。二本目の高速道路や、僻地の高速道路はそういった効果を生み出すことはなく、相乗効果も1.0以下である。このような場合では公共事業に流していた財源は一人一人の国民に直接給付したほうが成熟型の国家としてはそのビジョンに当てはまっている。
では具体的に全国民の医・食・住を保障するための具体的な施策とはどのようなものになるだろうか。
それらの三つを保障するのは、家族、企業、友人などではなく日本という国家である。
現在、血縁・地縁・社縁は徐々になくなりつつあると言われている。有縁社会から無縁社会へと日本は移行しつつある。ではそのような中で同じ地域に住んでいるからといって見ず知らずの人を全力で助けることができるだろうか。おそらくそれは無理だろう。病気の友人の看病を自分の財産からすべて投げ捨ててするというのもこの社会では現実的ではない。要するに無縁社会においては国家と「国縁」といった形で契約し、国家がそれらを保障していかなくてはならないのである。これは成熟型国家としても十分マッチする考えである。
よってまずは国家が財源を新たに蓄え、それを分配していくことが第一歩となる。高齢化が進んでいく中で社会保障費は拡大してくる。しかし、日本の国民負担率は依然として少ないのが現状である。日本の国民負担率は先進国の中でもアメリカの次に低い40.6%である。ちなみに日本の次に高い国はイギリスの48.3%、次にドイツの48.3%、最も高いデンマークで71.7%である。
本参考文献『成熟日本への進路』においては医・食・住を保障するために必要とされる財源は24兆円とされている。しかしこの24兆円という金額は決して大きな額ではない。
前述の国民負担率をドイツ並みにすれば45兆円、イギリス並みにすれば32兆円の財源を確保することができる。つまり24兆円という必要なコストはほんの少しの負担でおつりがくるほどに補えるのである。
国民負担率の10パーセントアップを念頭において財源のアイデアを挙げると@消費税、A金融資産課税、B相続税が挙げられる。
消費税増税の議論は昨今活発に行われているが、先進国では15%〜20%がスタンダードである。景気の影響を受けやすい所得税よりも安定した税収の見込める消費税を財源としたほうがよい。仮に消費税を10%アップした場合22兆円の財源が確保できる。24兆円のほとんどをカバーしたことになる。
金融資産課税は分配を第一の目的とする成熟国家と相性がよい。日本は個人金融資産1400兆円と莫大な貯えがある。
多く稼ぐ人は多くの資産を保有しており、多くの資産を持つ人に多く負担をしてもらうというのが分配の原則である。固定資産税と同率に1.4%課税した場合税収は20兆円にものぼる。また金融資産課税には別のインセンティブを期待できる。ただお金を資産として保有しているだけでは課税されてしまうので消費や投資に回そうという考えが出てくることである。
また大きな財源となりえるのが相続税である。今の日本は金融資産の3分の2以上を55歳以上の年配者が寡占しており、お金持ちイコール年配者という構図になっているからである。
もちろん高齢者で生活費の不安を抱えている人がいることも忘れてはならない。
成熟社会を迎えて社会的弱者の不安を解消するような福祉政策を実現しようとすることは、すなわちお金持ちから社会的弱者に対してお金を移転することである。この場合も相続税率を上げることで14兆円の税収を見込むことができる。
またこれらの税収で得た財源は間接給付ではなく、国民一人一人に届く直接給付でなくてはならない。間接給付では給付プロセスにおいて事業者や事業団体が介在してしまう。人や事業によって給付金に差が出てしまうという弊害がおこる。2009年に始まった介護事業者への所得補填もまさにそういった弊害の典型的な例である。
この場合、直接給付の方法としてベイシックインカムなどが挙げられる。これらは今後も議論を通して深めていく必要があるあろう。
次に産業構造のシフトに関して論じていく。
前述の国家ビジョンを達成するには成長戦略や内需拡大の両方を達成し得る、産業構造のシフトが最も有効である。
成熟福祉社会における公共財としての医療・介護サービスを担う産業を内需型主力産業とし、石油や食糧の輸入代金を稼ぐための国際競争力のある高付加価値型輸出産業を育成することが目的となる。
まず、これからの社会において国民からもっとも必要とされ、今後日本で最大の産業となる医療・介護サービスの拡充である。それにともなって大量の雇用を生み出すことができる。
医療・介護はリアルなサービスが提供される産業である。そのため事業としての性格が強い。
医療業就業者の数は277万人である。今後の高齢化に伴って現在の三割以上の拡大が必要となる。つまり38万人の雇用が追加的に必要ということになる。さらに過重労働の解決という視点やさらなる質の向上、事務職員の拡充などといった分も考えると250万人の追加雇用が必要となる。
介護分野においては現在130万人の従事者がいるが、現行のままでは人手不足である。こちらも今後高齢化が進み老老介護といった問題が顕在化してくる中で130万人の雇用増が必要である。
医療・介護分野が新しい社会インフラとして整備されれば、土木や建設といった産業インフラに投資する必要もなくなり、新たな雇用も生みだすことができる。
これから内需型主力産業として育成していくにはどのような戦略が必要なのだろうか。
答えはつまり、事業として成立させていくことであると思う。事業化することによってオペレーションの効率化をすすめ、ITなどの活用を積極的に行っていくことが重要である。
まず、最初に手をつけるべきは老人ホームなどに課せられている規制を緩和、撤廃していくことであろう。老人ホームという施設サービスは、安全・衛生・サービス内容・料金等の面では然るべき基準が決められるべきではある。高齢者の安全や健康を守るためには当然である。しかし現行では既存の運営者の既得権を守るためや、施設が増えることによる公的補助金が増えることを回避するための規制が多くかかっているのが現状である。入居者待ちがかなりいるという現状からしてこれほどニーズがあるのにそれを規制でブロックするのは経済的に非効率であると言わざるをえない。
また労働条件の改善も大きな問題である。医療・介護分野において労働環境が苛酷で報酬が低いことがサービスの供給体制が増えない最大の理由である。
医師の場合は一定の安定した高収入を期待できるので大学の入学者を増やす等の措置によって対応可能である。また医療従事者が増えることによって医療分野全般の拡充を図っていくことができる。
もっと思い切った改革が必要なのは介護サービスの分野である。現在介護サービスの分野で働く人々の月収はフルタイムで15万円〜18万円である。これは他の産業と比べても非常に低水準である。この場合、政府によって傾斜生産方式と同じ手法で医療・介護分野拡充のために全面支援を行えば問題は解決するのではないだろうか。集めた財源を元手に給料の倍増を行えば業界としての魅力度が増し、人員の拡充につながるだろう。
この場合重要なことはハコモノ政策に堕してしまわないことである。施設を造っても医療・介護サービスが解決するわけではない。コンクリートからヒトへというビジョンの通りの政策実行がキーポイントである。
内需を拡大しても外貨を稼ぐ産業が必要であることには変わりない。石油、食糧を輸入するにあたっては27兆円必要だという試算がある。仮に円安に戻ったとしても新興国のキャッチアップで厳しい競争にさらされることになる。本論文の切り口である「ガラパゴス化」という観点で考えても、これからはグローバル競争で新たなモノづくりを行っていかなくてはならない。日本向けに高価格な製品を作り続けてももはや意味を成さない。
では、どのような産業を育成すればいいのか。答えはハイテク型環境関連となるだろう。国際競争力を持った高付加価値産業とは、国際的に大きな需要が見込まれていて、しかも日本が技術的にトップにいる集団である。
もちろんすべての企業にそのような製品を作れということはできないが、少なくともベクトルとしてハイテク型環境関連という意識を持たせるだけでも大きな意味はあると思う。
市場規模が大きく技術集約型でかつ日本が得意としているのが太陽光発電、水処理、EVである。
これらの産業は再びガラパゴス化を起こさないためにも政府の保護・規制によって保護されながら育成されるのではなく各企業の自助努力によって育てられるものでなくてはならない。
このアプローチに関しては次章詳しく見ていく。
これからの日本は社会保障と市場メカニズムを両立していかなくてはならない。イメージとしては安定した広大なセーフティネットの上で自由な市場競争が行われている図である。
経済成長をマイナスにすることはできないのでまた経済成長率=(労働力の増加率)+(資本ストックの増加率)+(技術進歩率)という前述の図式を産業構造のシフトによって変えなくてはならない。
今後の経済・人口トレンドからして向上を目指せるのは技術進歩率だけである。そのためには規制緩和による徹底的な市場メカニズムの尊重が必要である。
超ガラパゴス戦略とはガラパゴス化していることを強みとして活かす戦略である。
言い方を変えるならばガラパゴス化した種を世界に向けて生かす戦略である。
日本は島国であり、日本語という特殊な言語を古来から国語としてきた。
また、江戸時代という300年にわたる時代を通して政策的に他の国とはかなり限定的、選択的な交流しか行なってこなかった。
そのため、技術に留まらず、人々の感性・習慣・思考法など、文化全般に及んで独自性が強く、「ガラパゴス的」ともいえる多くの特徴を数多く備えている。
日本に潜在的に蓄えられた日本本来の強み・底力を再発見する作業がまず求められる。それにより「ガラパゴスの種」を発見する。
そして再発見の上に立って、日本に何を残し、何を外に出すべきかを選別する。この選択と集中の方法を最も的確な方法で行い、最も効果的な手段成果につなげる。
また世界に進出したあとに、絶滅または外来種に駆逐されてしまっては意味がない。
絶滅とはこの場合、模倣されてしまうことを意味するが超ガラパゴス戦略のもう一つの神髄は模倣を防ぐ仕掛けをつくることである。
1、そもそも真似をしにくい種を見つけて進出する方法。
2、モジュラー化ではなく、インテグレーションを行なって進出する方法。例えばコピー機は高性能なハードの面に加えてメンテナンス、サービスというソフトの面がインテグレーションされている。
3ブラックボックス化。コアとなる技術を、リバースエンジニアリングできないようにブラックボックス化する。
といった方法が挙げられる。
本章最初の図にある各セグメントの説明
Aは国内でのみ成功し国際的には通用しない最もガラパゴス化した状態のことである。ここが一般にいわれているガラパゴスである。
Bは日本を発祥とし、海外市場の一定以上のシェアを占めているような商材、サービス、ビジネスである。海外の追随を許さない場合強い種となる。
Cは海外が発祥であり、現にグローバルスタンダードとなっているである。ライセンス取得によって独占的な地位を占めているものが多く、シェアを奪うことは難しい。
Dは海外が発祥であるが、諸外国では評価は高くなく、日本に導入されたとこ爆発的にヒットしたものである。西洋コンプレックスや海外礼賛となっている。
AからBへ移動することを国際競争力強化ベクトルとする。デジタルカメラや、カップ麺などその例は実は多い。ガラパゴスを逆手にとった戦略を実行するためにはこのベクトルを強化する必要がある。bの図にあるようなパターンを持って戦略を実行していく。
BからC移動することを海外流出化ベクトルとする。日本初でありながらそのアイデアや技術が模倣され、流出してしまったというベクトルである。日本にとってはなんの利益もなく、盗まれただけである。流出を防ぐためには、前述のインテグレーション、ブラックボックス化が必要である。
CからDに移動するベクトルを黒舟来航ベクトルという。日本国内に浸透してから絶大な力を発揮し、国内市場に君臨するものである。日本でのみ強大となっているケースが多く、この場合の課題は以下に日本市場に浸透できるかを見極めることにある。
DからAに移動するベクトルは機能・価値発見ベクトルとする。海外発の独自商材でありながら、日本市場に徐々に浸透し、そこであらたな価値が発見された場合である。海外の独自商材を日本はいか学び、定着できるかということが重要になってくる。
AとCを双方向に動くベクトルをパラサイトベクトルとする。海外企業が日本市場を実験場にする場合等がある。
つまり、これから日本企業は国際競争力強化ベクトルを推し進め、海外流出ベクトルを防ぐことが重要となってくる。
さらに機能・価値発見発見ベクトルを組み合わせていくこともより競争力を増す要因となる。
多くの商材・サービスにおいて応用可能である。
吉野源三郎『君たちはどう生きるか』においてこんな文章がある。主人公のコぺル君は「人間とは分子のようにちっぽけな存在」だと考える。目入るすべてが無数の人間同士の絶え間ない関係によって存在することに思いいたり、「人間分子の関係、あみ目の法則」と名付ける。それを聞いた「おじさん」はこう語りかける。(以下引用)人間は人間同士それこそ君の言う「人間分子の関係、あみ目の法則」でびっしりとつながり、お互いに切っても切れない関係をもっていながら、しかも大部分がお互いに赤の他人だということだ。そして、このあみ目の中で得な位置にいる人と、そんな位置にいる人との区別があるというわけだ。
これは気がついて考えてみると、たしかに変なことにちがいない。けれどコぺル君、これが争えない今日の事実なのだよ。君が「人間分子」といったように人間と人間との関係の中にはまだ物資のつながりのような関係が残っていて、ほんとうにすみずみまでは、人間らしいあいだがらになっていないのだ。お金をめぐっての争い、商売の争いは一日も絶えないし、国と国の間でさえ利害が衝突すれば武力によって争う。―――こういうことがまだなくなってないのだ。「それは間違っている。」と君は言うに違いない。そうだ、たしかに間違っている。だが、それならば、ほんとうに人間らしい関係とは、どんな関係だろう。コぺル君、ひとつよく考えたまえ。
人と人のほんとうに人間らしい関係こそ成熟国家の基礎である。