ネーミングライツと公共性

社会科学部4年
政策科学研究ゼミナールV
野々村 達


研究動機

私の趣味はスポーツ観戦で、様々なスタジアムや競技場を訪れて来た。その中で、「横浜国際競技場」が「日産スタジアム」となったように、名称が変わっていく施設があるのが気になっていた。 近年このようなネーミングライツ・ビジネスが盛んに行われるようになっているが、公共の施設をあたかも民間の所有物のようにしてしまうことには疑問の声も多々ある。 地域発展としても大きく期待できるこのビジネスを、「公共性」というものを残して進めるにはどうしたら良いか、自分なりに考察し、政策提言につなげていきたい。

章立て

  • 第1章 「ネーミングライツ」とは?
  • 第2章 ネーミングライツ導入による効果
  • 第3章 ケーススタディ(国内)
  • 第4章 ケーススタディ(国外)
  • 第5章 ネーミングライツの今後
  • 第6章 政策提言

    第1章 「ネーミングライツ」とは?


    人の多く集まるスポーツ施設(野球場やサッカー場)や文化施設(音楽ホールや文化センターなど)に、企業名や商品名をつける権利を「ネーミングライツ」(=命名権) と呼ぶ。 広義には人や事物、科学的な発見(事物・事象)などに命名することのできる権利をいう。新発見の元素や天体の場合は発見者に、生物の場合は一般的に論文の記述者に命名権がある 施設の所有者は命名権を企業などに譲渡することで企業から資金を得ることができ、命名権を獲得した企業は、施設への命名によって、メディアなどを通じて広く企業名や商品名をPRすることができる。

    (出所)市川裕子『ネーミングライツの実務』 商事法務 2009年

    1-1 ネーミングライツの歴史

    従来からイベントなどにスポンサー名をつけるなどのネーミングライツは存在したが、施設そのものの命名権の売買は1970年代にアメリカで誕生した。(フォックスボロー・スタジアムの建設にあたり、シェーファー・ビール社に施設の命名権を付与) アメリカではこれ以降メジャーリーグやNBAなどプロスポーツ施設を中心にネーミングライツ市場が拡大し、施設の建設・運営資金調達の重要な手法として定着した。 現在4大プロ・スポーツ施設で約7割、うちアイスホッケー競技場では約9割が導入している。

    日本におけるネーミングライツ導入の歴史は大まかに2つに分けることができる。
    第1期ネーミングライツ(1997〜2008年頃)は知名度の高いスポーツ施設が対象となった時期である。 2003年東京都から味の素株式会社がネーミングライツを5年契約、総額12億で獲得した。それにより東京スタジアム→味の素スタジアムと名称が変更された。 この契約から、主に知名度の高いスポーツ施設を対象としたネーミングライツビジネスが本格化した。
    第2期ネーミングライツは現在の形態であり、以下の特徴を持つ。
    @第1期ネーミングライツ導入施設の契約などによる次期パートナー探し
    A地方都市のスポーツ施設・文化施設を対象とするネーミングライツビジネス
    Bシート、ゲート(施設内部)、道路等を対象とするネーミングライツビジネス
    このように現在では知名度の高い施設のみならず、地方の施設や道路などにもネーミングライツビジネスが展開されつつある。

    1-2 国内におけるネーミングライツの問題点と取り組み

    国内における問題点として以下のことが考えられる。
  • アメリカに比べ、契約期間が短い
  • 地域住民の反発が強い場合が多い
  • 企業側(スポンサー)のコンプライアンス違反が多発

    名称の変更は広告、看板など大幅な変更が必要でコストもかかってしまう。さらに、新しい名称が定着せず、まちづくりにも繋がりにくくなってしまう。 したがって、ネーミングライツビジネスとしては契約期間が長いことが望まれ、更新を繰り返し行っているネーミングライツは「成功」と言える。日本においては 前述した「味の素スタジアム」のケースなどがそれにあたると考えられる。しかし、アメリカに比べ、日本の契約期間は短い傾向にあり、長期化が望まれる。

    また「地域の象徴」として愛着を持っている施設に民間企業によって企業名を付けられると「よそ者の企業に乗っ取られた」という感を持つことが否めない。 そのため、地域住民の反発が強い場合が多いのが現状である。例えば、渋谷区の「宮下公園」を「ナイキ公園」とするネーミングライツビジネスの案が浮上したが、 地域住民が強く反発し、「みんなの宮下公園をナイキ公園化計画から守る会」という団体まで組織されている。
    このような反発される傾向があるが、地域住民が受け入れてくれなければ定着は望めず、短期化し「失敗」してしまうのがネーミングライツである。 この課題に対する取り組みとして、地域住民の反発をスポンサー企業と協働しながら緩和させ、新しい名称が定着するよう努力することが必要であると考えられる。

    ビジネスの基本ではあるが、スポンサーのコンプライアンス保持も重要な点である。というのは、コンプライアンス違反によって契約更新できなかった例が多数 存在するからである。ネーミングライツビジネスの「成功」にはコンプライアンスの保持も欠かせない。

    1-3 ネーミングライツの現状

  • 命名権の平均取得年額は、約2754 万円
  • 命名権の取得年額トップ10 は、全てスポーツ施設
  • 命名権取得企業99 社の最多命名施設は、58 件のスポーツ施設
  • 命名権取得企業99 社の損益推移は、黒字維持企業が最多の62 社 その一方で赤字維持が8社あり、今後の継続が懸念される
    2006 年までは成約例が少なかったが、2007 年から急増している。その後も増加ペースが続いているが、年額は2007 年を境に低下傾向にある。 これは、自治体の希望する募集額が高すぎるため、応募する企業が少なかったり皆無だったりする例が相次ぎ、年額を下げることにより、成約が増えてきたものと思われる。また、プロスポーツが使 用するような著名物件だけでなく、比較的狭い地域でしか知られていない物件でも命名権が定着してきた面も指摘できる。

    第2章 ネーミングライツ導入による効果


    2-1 施設所有者側の検討事項

    【効果】
    @自主財源の確保と施設運営の安定化
    季節要因のない安定収入が見込め、施設の本来的な運用に注力できる。例えば、スポーツ施設は興行成績を上げるため、 管理が難しい天然芝グラウンドでやむを得ずコンサートを開催するなど、天然芝グラウンドの本来の利用方法にそぐわない運営を余儀なくされており、 芝を痛めるリスクが指摘される。 ただし、スポンサー側としてはスポーツ競技、興業に限定せずコンサートその他の文化的催しにより幅広い年代を集客して、新しい名称の知名度、企業の知名度を上げたいという意志もある。
    Aスポンサーとの協働による収益拡大
    主にスポンサーは有力企業で、関連会社を含め収益拡大に大きく寄与する。ただし、あまりにスポンサーとの協働関係を前面に押し出すことは 施設自体がスポンサーに「買収」去れたかのような印象を与えかねない。この場合、他の会社が広告掲載やイベントの開催を取り止める可能性がある。 したがって、施設所有者はスポンサーとの協働がマイナスにならないように他の企業との関係も調整の必要がある。

    【導入によるリスク負担】
    @地域住民・施設利用者の反発
    呼称の変更だけであるのだが、施設所有者の変更という誤解が生まれる。したがって、地域住民への十分な説明が必要となる。
    A施設の特殊性に起因する反発
    美術館や文化会館は設立時点で施設としての利用目的が定まっているので、一定のコンセプトにもとづいて建設している。したがって、 コンセプトと共存できるネーミングをつける必要がある。
    B契約期間中の経営破綻やコンプライアンス違反等による対象施設のイメージダウンリスク
    ネーミングライツは、広告的要素が強いため、スポンサーのコンプライアンス違反などで大きく報道されると、対象施設のイメージダウンが大きい。
    C既存の広告スポンサー等のコンフリクト・リスク
    施設はネーミングライツにとどまらず、広く広告掲載・看板料・イベント開催により収益をまかなっている。そのため、ネーミングライツによる対立を避ける傾向にある。 たとえば、自動車メーカーのNISSANにネーミングライツが決定したとすると、当然TOYOTAなどの同業他社とはやりにくくなる。

    2-2 スポンサー側の検討事項

    【効果】
    @広告媒体としての価値
    A企業の社会貢献性を示す企業イメージ向上の価値
    ネーミングライツの対象施設が、地域に根差した公共施設であるとすると、スポンサーは企業の地域貢献性や社会貢献性を強調したイメージ向上をネーミングライツ の目的としていることが多い。

    これら@Aの条件がそろった場合、ネーミングライツの効果は施設所有者側の協力により倍増される。つまり、施設所有者側がスポンサーの企業姿勢に対するプラス 評価を行政区の住民に示せば、対象施設についての官民が協働したパートナーシップをアピールでき、結果として、施設所有者(行政)側にも、スポンサー側にも、 ネーミングライツによる相乗効果を生むことが期待される。

    【導入によるリスク負担】
    @イメージ低下
    スポンサーにとっての不利益として挙げられるのは、地域住民・施設利用者から反発を受け、もしくはスポンサーのコンプライアンス違反等により新しい施設名称が 定着しなかった場合の広告価値・企業イメージの低下である。リリース時点で強い反発を受けた新名称を、長期にわたる契約期間中、多額の契約料金を払って使用し続けるのであれば、契約締結前に違約金を支払ったほうが、経済合理性が高いという判断をスポンサー側が行うことは十分にありうる。 スポンサーとしては、広告価値および企業イメージの向上の観点から、長期間にわたる契約期間中、ネーミングライツの経済効果を測ることになる。
    スポンサーは調査会社のリリース資料や個別に調査会社に委託してネーミングライツの経済効果を測る。
    A業績の変動
    ネーミングライツ対象施設をホーム施設とするプロスポーツチームがある場合は、この成績により影響を受けることもある。つまり、当該チームの成績不振等により、スポンサーのイメージが低下するリスクである。 このリスクは、新しい名称に対する地元住民・施設利用者からの反発に起因されるリスクと比較すれば、ダメージとしては小さく、施設自体がはらんでいる想定内の内在的なものといえなくもない。 しかし、対象施設の報道機関の取り上げ頻度は、ネーミングライツの経済的効果を測定する端的な物差しであるから、恒常的にスポンサー側が配慮しておかなければならないリスクである。

    第3章 ケーススタディ(国内)


    ケーススタディ@ 〜大阪府泉佐野市〜 「市の命名権を民間企業へ売却することを検討」

    関西国際空港の対岸に位置する泉佐野市は、平成6年の関空開港に合わせ、道路や下水道といったインフラ整備に加え、病院や総合文化センターなどの建設に約2千億円を投じた。しかし、バブル崩壊による景気の減速で、市内への企業進出や関空利用者数が低迷。当初、市が見込んでいた税収額に届かなかったことで赤字が膨らみ、21年度には財政破綻一歩手前とされる早期健全化団体に指定された。市は26年度末の健全化団体脱却を目指し、人件費削減などで財政の立て直しを急いでいるが、特別会計を含む地方債残高はトータルで約1400億円(22年度末)と、市税収入の約7倍に上っている。
    こうした状況打開に向け、市の「まちの活性化プロジェクトチーム」は、昨年秋から税収以外の新たな歳入確保策を模索。市の名称に企業名や商品名をつける代わりに広告料を受け取る命名権の売却案が浮かび、他の自治体の先行事例を研究してきた。 そして市が所有する有形・無形の資産を広告媒体に、活用策を提案する企業を6〜11月末まで募集すると明らかにした。
    提案の参考例として、市の名称の命名権の売却、職員が企業名の入った制服を着用、市の名前や市庁舎、市道などに愛称を付ける、などを企業側に提示する方針で、契約期間は1〜5年としている。 市によると、現時点で市名称の命名権取得を打診してきた企業はないものの、複数の企業から提案方法などの問い合わせがあったとしている。

    市側が3月末に市議会への説明を行った際には、議員から「泉佐野の恥、(条例案に)絶対に賛成しない」などとする厳しい意見が相次いだ。 また、川端達夫総務相も「市名は安定的に同一の名称が用いられることが望ましい」と苦言を呈した。 市にはこれまで市内外から多くの意見が寄せられているが、賛否が分かれているという。

    市町村の名称に、企業名などが冠されているケースとしては、愛知県豊田市が有名でトヨタ自動車の企業城下町として、自動車産業とともに発展することを願い、昭和34年に挙母(ころも)市から改名した。当時は市を二分する議論になったというが、現在は「クルマのまち」として積極的なPRを行っている。 市町村名以外でも、大阪府池田市ダイハツ町(ダイハツ工業)や、仙台市青葉区ニツカ(ニッカウヰスキー)、群馬県太田市スバル町(富士重工業)、長崎県佐世保市ハウステンボス町(ハウステンボス)など、企業名や商品名、ブランド名に由来する地名は数多く存在する。ただ、これらのケースは、命名権の売却による地名変更ではない。各自治体関係者によると、いずれも、自治体と企業の長年の協力体制や信頼に基づく改名だとしている。
    (出所) MSN産経ニュース

    豊田市の例とは違い、この泉佐野市のケースでは、地元に根付いたトヨタなどの企業だけではなく、国内外を問わずスポンサーを募集している。ここに問題点があると考えられる。
    上述したようにこのネーミングライツビジネスにおいて1番のリスクは、地元住民・施設所有者からの反発であると考えられる。したがって、よそ者という感覚を覚えてしまう外資系企業がスポンサーになってしまう場合などでは大きな反発が考えられ、宮下公園の例のような大きな失敗が考えられる。 この泉佐野市の命名権がいまだに売却されていない点を考えても、やはりこのビジネスでは自治体と企業の長年の協力や信頼が必要だと思われる。
    参考文献
  • 市川裕子『ネーミングライツの実務』 商事法務 2009年
  • Yahoo百科事典
  • All Aboutビジネス
  • 協働info
  • みんなの宮下公園をナイキ化から守る会HP
  • MSN産経ニュース
  • 命名権(ネーミングライツ)取得企業実態調査(帝国データバンク)
    Last Update:12/8/5
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