福島の子どもの遊び場について

早稲田大学社会科学部
政策科学研究ゼミナール4年
鶴岡 大和


研究動機

 私は東日本大震災で被災した福島県立双葉高校の生徒へ学習支援を行う団体に所属している。双葉高校は原発から3.5キロに位置し、現在は同県内の大学校舎を借りて学校生活が行われている。親元を離れ、寮などで集団生活をする生徒が大半だ。今も避難を続ける生徒に向けて、大学生による受験指導や体育、音楽の授業を含む勉強合宿を開いている。
その勉強合宿の体育の時間でフットサルを行った。男子高校生が危険を顧みず、男女関係なく手加減を考えずにプレーする姿を見て、この背景には彼らが普段の生活においてエネルギーを“発散”する場所がないのではと考えた。
これは、福島のある高校だけでなく、震災後の福島全体、ひいては大震災が予想される関東や東海、日本全域に関わる問題である。子どもの遊び場やスポーツの必要性について研究を深めていきたい。

章立て


第一章 震災後の福島


【1】避難地区の高校

 震災後の福島を原発事故で避難を余儀なくされた地区の高校をもとに把握する。

 東日本大震災に起因する東京電力福島第一原子力発電所(以降、福島第一原発)の事故により、避難区域(警戒区域、計画的避難区域、緊急時避難準備区域)が設けられた。区域内で生活をしていた人たちは故郷を離れ避難生活を送っている。同様に、区域内にあった高校も別の場所への移動を余儀なくされ、教育機能が大きく影響を受けた。その高校とは、福島県立双葉高校、双葉翔陽高校、富岡高校、浪江高校の4校。
上記の4校はサテライト校という形で再編が行われた。サテライト校とは、県内あるいは県外の他の学校や公共施設を間借りする、元々あった所在地とは別の場所で教育活動を行う学校のことである。原発事故直後の平成23年度、上記の4校は以下のように分散する形で教育活動を行った。

平成23年度サテライト校

 原発事故後に教育活動を実施できたことは、生徒の学習権を保障する重要な意味を持つ。しかし、サテライトにおける学習環境、生徒や教員の分散による学校行事や部活動の制約、寄宿舎や親戚の家庭での生活など多くの課題を抱えていた。

《福島県立双葉高校の事例》

 ここからは双葉高校にスポットを当て、より具体的に扱いたい。

 福島県立双葉高校は、元は福島県双葉郡双葉町に位置していた。福島第一原発から3.5キロに位置していたため、震災以降、双葉高校へは立ち入ることが禁じられた。「教材を取りに行くこともできないままサテライト先に通うことになった」生徒がほとんどである。双葉高校の生徒は、福島南高校、あさか開成高校、葵高校、磐城高校の4校をサテライト協力校とするサテライト方式、あるいは通信方式による対応がとられた。

 「本当は現代社会の授業を受けたいけど、日本史の授業を受けている」

 双葉高校は4つのサテライト校に分散された。この事は、生徒だけでなく、教員もまた4つに分散した事を意味する。授業間における教員の移動は距離の離れたサテライト校同士では物理的に不可能である。そのため、大学受験で使うはずだった科目の授業とは異なる授業を受ける生徒も少なくない。
 部活動では、野球部が平日は各避難先の練習に混ぜてもらい、週末に部員全員の練習を行った。40人いた部員も多くが避難先で転校してしまい、15人に減ってしまった。3年生の引退後に残った5人の部員は、同じく部員不足の状態だった相馬農業高校と合わさり、「相双福島」として活動している。
 平成23年度から分散していた双葉高校のサテライト校はひとつにまとめられ、いわき明星大学の校舎の一部を借りて学校生活を送っている。また、平成23年度からいわき明星大学は双葉高校のほかに、双葉翔陽高校、富岡高校の生徒も受け入れている。3校の生徒が同じ建物で学校生活を送っている。

《福島県双葉郡広野町に中高一貫校の設置》

 双葉高校が平成26年度の教育活動をいわき明星大学の校舎でこれまでと同じく継続することが決まった。その一方で、福島県は双葉郡内での開校を目指す中高一貫校を広野町に設置することを明らかにした。平成27年からの開校を予定している。また、双葉高校を含むサテライト校は、将来、住民が帰還することを前提に、全ての在校生が卒業した後の平成29年4月から休校となる。
 平成26年度中に広野中の改修と仮設校舎整備を進め、27年4月に高校を開校させる。中学の開校時期は未定。並行して、総合学習棟と管理・高校棟、食堂などを備える本校舎の建設に着手する。屋上にゴルフ練習場がある体育館や格技場などのスポーツ棟、プール、グラウンド、農場も整え、平成31年4月に使用開始する計画になっている。  通学が困難な生徒のために広野幼稚園の施設の一部を宿泊施設に転用する。
 高校は総合学科とし、大学進学に重点を置く「進学教養系列」、世界で活躍するトップアスリートを育成する「スポーツ系列」、専門的な職業人を目指す「専門教養系列」の3系列を設置。生徒の幅広いニーズに応えられる魅力ある学校を目指し、県内外から入学者を募集することを狙う。
 しかし、現時点で生徒確保の見通しは不透明で、募集定員の規模などは決まっていない。広野町は避難指示が解除され、既存の施設を有効活用できる。JR常磐線が広野駅まで利用可能で通学手段が確保できるメリットもあり、設置場所に選ばれた。

【2】新たな教育政策の裏に

 この中高一貫校の設置という新たな教育政策には、ある狙いが見え隠れする。それは、福島県内でも生活ができるというメッセージの発信である。事故のあった福島第一原発からそこまで遠くない浜通りの広野町に子どもたちの通う学校が存在することは、浜通りの生活が成り立つという事を意味する。これは、「双葉郡に戻りたい」という帰還のニーズを越えて、「浜通りの、双葉郡で生活できるのだから、住む場所が県内であっても県外であっても、選択の自己責任が伴うよ」という政府の意思表示に考えられる。そして、不満がありながらも既に機能している県外に避難する県民への支援打ち切りの政策に説得力を持たせる意味があると考える。ここで、支援を打ち切った政策を見ていく。

  • 県外の借り上げ住宅の新規受け付け終了

     福島県は2012年12月28日をもって、県外へ自主避難する人に対する借り上げ住宅等の新規受け付けを終了した。震災以降は、福島県からの自主避難者に対しても、「災害救助法」のもとで、応急仮設住宅としての借り上げ住宅が提供されていたが、新規の受付が終了する事で、新たに自主避難を希望する人は自ら家賃を負担せねばならず、事実上、避難・移住の選択肢を閉ざされることになる。

  • 原発事故子ども・被災者支援法

     2013年6月に「原発事故子ども・被災者支援法」(以下、支援法)が成立した。第2条(基本理念)で「支援対象地域に居住、他地域への移動は本人の意思によるものとし、いずれを選択した場合でも適切に支援するものでなければならない」と定めている。つまり、原発事故は原子力政策を進めてきた国の責任でもあるため、県外に避難する、県内に留まる、どちらの権利も尊重し、平等に支援することを意味する「避難の権利」を表明している。しかし、同じ支援法において、支援対象地域が浜通りと中通りの33市町村の指定に留まったことが明らかになった。同じ福島県の会津地方や県外に避難する人に対しては教育や住居、医療などの支援策がなされず、全て個人の負担で賄う事になる。これは第2条の「避難の権利」に反し、不満の声が相次いでいる。

     このように、新たな教育政策がリンクするような形で、福島県の人口流出を防ぐ、あるいは人口を元に戻そうとする狙いが見える。では、人口の動きはどうなっているのか。以下で検証する。

    【3】福島県の人口推移

     福島県が2013年10月に発表した「現住人口調査」によると、2013年10月時点での福島県の推定人口は1,947,580人だった。2011年2月の福島県総人口は、2,025,773人なので、福島原発事故以降の2年半で78,193人減少したこととなる。そのうちの県外避難者は、2012年3月に62831人でピークを迎えたが、2013年の11月では5万人を下回る49,554人だった。県外への避難者は数を減らしつつある。県内の避難者は約9〜10万人。

    【4】放射線数値

     人口流出を防ぐ策が講じられているが、問題となるのは放射線の数値である。どのくらいの値なのか検証する。放射線にはいくつか単位がある。放射線物質に含まれる量をベクレル(Bq)、物質に吸収される量をグレイ(Gy)、人体に当たった時の影響をシーベルト(sV)で表す。


     (出所:福島県放射能測定マップ 2014年1月21日)

     この図は2014年1月の福島県の各地を放射線数値に従って色で示したものである。青は放射線数値が低く、赤に近づくに従って高い値となる。福島第一原発周辺は依然として、高い数値を計測している。しかし、その他の地域は落ち着いた数値を計測している。先ほど述べた広野町の南にある同じく浜通りのいわき市では0.13μsV/hであり、東京の0.05μsV/hの約2.5倍である。年間の数字に置き換えると、いわきでは1.138msVで、東京では、0.438msVとなる。独立行政法人放射線医学研究所の調査によると、大地や宇宙、食事からくる自然被ばく量の日本平均は約2.1msVとしている。いわきや東京も個人差はあるが、食事やレントゲンなどの人口放射線も含めると、平均値の前後だと予想される。人体に影響が出るとされているのはどのラインか。日本政府の見解や国際放射線防護委員会(ICRP)勧告では100mSvを超える被ばくでは被ばく量に応じて、がんによる死亡率が上昇するとしている。100msVを下回る、いわゆる低線量被ばくとされる数値については影響が明らかではない。あくまで発表されている数値だけでいえば、線量が落ち着いてきている現状がある。

     この現状に対して、教育の現場では屋外活動の制限にある変化が起こった。屋外活動の制限とは、放射性物質への不安から、運動場で行う体育の授業を取りやめたり、休み時間に外で遊ぶ時間を短くしたりする制限を行う事である。震災直後は、県内の公立の小中学校と高校、特別支援学校のうち、およそ6割に当たる465校が制限を行った。小学校は「30分」、中学校は「50分」が最も多かった。「2時間」とした学校がある一方、「15分」という学校もあるなど、時間などは学校によって異なる。しかし、これまでにおよそ9割に当たる409校で、制限をすべて解除していたことが判明した。次章で詳しく述べるが、福島県では震災直後に初めて行われた文部科学省の体力テストで、小学生のすべての記録が震災前より低下していたほか、ほとんどの年代で「肥満傾向」の子どもの割合が全国平均を上回るなど、体力の低下や肥満の増加が深刻となっている。屋外活動の制限解除はこのような背景も教育現場が動いた理由のひとつであると考える。

    【5】保護者の意識

     放射線数値が一部で落ち着きを見せ始める状況で、県外避難に対する支援の打ち切り、県外避難者数の減少が進むなど、政府あるいは行政が福島県内での生活を作ろうとしている中、子どもの保護者は福島での生活をどのように考えているのか。ここでは株式会社ボーネルンドが2011年9月上旬に全国の0歳から6歳の子どもを末子に持つ全国の20代から40代の母親に対して行ったインターネット調査から、震災前後の保護者の子どもの遊びについての意識を考える。調査地域は北海道、東北、関東甲信越、北陸東海近畿、沖縄を含む中国四国九州の全国5エリアからそれぞれ200サンプル、合計で1000サンプルを集めた。


    (出所:株式会社ボーネルンド「子どもの遊びと成長に関する母親の意識調査」)

     「一年前と現在を比較して、一番下のお子様が1日の中で外遊びをする時間に変化はありましたか」という質問に対しては、全国的に14.5%の母親が外遊びをする時間が減ったと回答している。中でも、東北の20.6%や関東甲信越 の16.5%で平均より高く、特に福島県に限定すると 75.0%の母親が外遊びの時間が「減った」と回答している。



     一年前と比べて外遊びが減ったと回答した母親 122 名に外遊びの時間が減った理由を尋ねると、「入学・入園」というライフステージの変化によるものが一番多く、続いて「東日本大震災による放射能の影響」が挙がった。地域別に見ると、東北・関東甲信越地域では、「放射能の影響が心配」(東北:58.3%、関東甲信越:57.1%) が「入学・入園」(東北:25.0%、関東甲信越:32.1%)を大きく上回る結果となった。特に福島では 83.3%の母親が「放射能の影響が心配」を挙げている。



     時間が減った外遊びの種類についての回答は上の通りである。「砂場での遊び」が東北で63.9%、関東甲信越で64.3%と高く、東北から関東地方にかけて、砂場の放射能汚染を心配する母親が多いことが分かる。また、東北地方では、「滑り台など大型遊具」「水遊び」「乗り物遊び」などすべての項目で平均を上回っている。震災による避難や原発事故による不安など、生活環境が激変した東北地方を中心に遊びの環境が失われている傾向が窺える。



    第二章 運動不足と肥満の問題


     前章では震災後の福島について、避難区域の高校を入り口に述べてきた。震災後の高校生や教育現場の変遷、その教育現場を掴まえる政府や行政の動き、そして、政府や行政の動きや落ち着きを見せ始めた線量の数値が福島の人口の推移にどのように影響してきたのか、最後に保護者の意識を見てきた。震災後の福島のマクロな動きは、子どもにどのような影響をもたらしたのかというと、“運動不足”と“肥満”の問題である。

    【1】肥満の問題


    (参照:文部科学省「平成25年度学校保健統計調査」)

     上の表は文部科学省が東人本大震災の年を除き、毎年行っている「学校保健統計調査」の肥満傾向児がどのくらい占めているのかを%数値で表したものである。肥満傾向児とは、肥満度=[実測体重(s)−身長別標準体重(s)]/身長別標準体重(s)×100 (%)で肥満度が20%以上の者である。そして、それぞれの数値の右にある丸数字は全国順位を示している。
     福島県は元々、肥満傾向児の出現率が比較的高い県であった。しかし、震災の後では、出現率がさらに高くなっている。震災後、初めて行われた平成24年度の調査では7学年で全国1位を記録し、翌25年度はすべての学年で4位以内という結果が出た。単純に、肥満傾向児の出現率だけを見ても、肥満の傾向が進んでいることがわかる。東京電力福島第一原発事故の影響が尾を引いていると見られる。この結果について、文部科学省では「○○○○」で「屋外活動による運動不足や、避難に伴う生活習慣の変化が原因」と分析している。


     肥満傾向児の出現率が東日本大震災を境に福島県の中で上昇していることはわかったが、その肥満傾向児を判別する身長や体重はどう推移しているのか。それを表したのが下の線グラフである。 


    (参照:福島県企画調整部統計課「平成25年度学校保険統計調査速報」)

     これは福島県企画調整部統計課「平成25年度学校保険統計調査速報」から見る震災前後での身長及び体重の推移を福島県内の平均と全国平均で比較したグラフとなっている。

     男子小学生の体重は、全国平均では震災をまたいでさほど変化がなにのに対して、震災前(平成22年)から震災後(平成24.25年)にかけて右肩上がりで増加している。身長に関しては、福島県内の男子小学生の平均値が全国平均を約7ミリ下回っている。県内の体重平均値が全国平均を上回っていることから、先に挙げた肥満傾向児の表のように福島県は元から肥満傾向児の出現率が高かった事実と合致する。しかし、震災後の県内男子小学生の身長平均値は全国平均を上回っている。県内の男子小学生の平均体重が増加しているとはいえ、県内の身長平均値が高くなっているのに対し全国平均値が低くなっている点だけを見れば、福島県外の都道府県の方が肥満傾向児出現率が高くなると考えられそうである。しかし、実態は震災を境に福島県の方が肥満傾向児出現率が高くなっている。それだけ、震災後において福島県の子どもの体重の増加は重い事実として存在している。

     女子小学生の体重の推移を見てみると、こちらは全国平均が年々下降しているのに対して福島県内の平均は震災後に一気に押しあがり、翌25年も高い数値で安定している。身長に関しては、男子と同じように震災前は全国平均を下回っている。こちらも、元から全国に比べると肥満傾向児の出現率が高いことが見て取れる。そして、震災直後には男子と同じように身長の平均が高くなり、全国平均を上回る。しかし、こちらも男子と同じく身長の平均が高くなっているものの肥満傾向児の出現率は他の都道府県と比較して一気に上位を占めるようになる。やはり震災後における子どもの体重の増加は男子、女子の性差にかかわらずあることがわかる。

    【2】運動能力低下の問題

     文部科学省では、1964年(昭和39年)から毎年、全国の小・中学生を対象に体力・運動能力の調査を実施している。1964年といえば東京オリンピックが開催された年であるが、この開催による国民の体育への関心が高まる中で、当時の文部省が競技スポーツの発展、国民の体力増進策の一つとして国民の体力に関する情報収集を実施することになったのがこの調査の始まりである。運動能力は50m走、握力、反復横跳び、ソフトボール投げ(中学生以上はハンドボール投げ)、立ち幅跳び、上体起こし、長座体前屈、20mシャトルランの8種目からなる「新体力テスト」の成績から測定される。各種目10点満点とし、合計80点満点の中でどのくらいの点数を稼げたかで総合的な運動能力が評価される。文部科学省ではこの調査結果を年度ごとにまとめており、全国、都道府県別の平均を割り出している。


    (参照:文部科学省「平成20〜25年度学校保険統計調査速報」)

     上の表は平成20年度(2008年)から25年度(2013年)までに行われた新体力テストにおける全国及び福島県内の小・中学生男女それぞれの成績を比較したものである。平成23年度(2011年)は震災の影響で数値が集められていないため、公表を行っていない。福島県の成績の括弧内の数字は全国順位を示している。
     この表から成績の推移を見ると、福島県内の小学生は男女とも震災があった平成23年度を境にして成績が急激に落ちている。県内の男子小学生は平成22年度の53.71点から52.52点に、女子は55.41点から54.45点にまで、1点近く下がっている。都道府県の順位を見ても、両方とも10位以上もランクを落としている。それに対して全国平均の成績はというと、この6年間で下がってはいるものの数字としては男子で0.25点、女子で0.14点と福島県内の平均と比較すると僅かなものである。
     一方で、中学生の成績を見ると、あまり震災の影響を数字からは窺えない。それどころか、男女ともに震災直前の平成22年度の成績よりも震災以降の方が成績としては高い数字を残している。




    第三章 県内での取り組み



    【1】 PEP Kids Koriyama


     東日本大震災の起きた2011年12月23日、福島県郡山市に「PEP Kids Koriyama」が開設された。PEP Kids Koriyamaは小学生・幼稚園生・乳幼児向けの大規模な屋内遊戯施設。「遊び・学び・育つ」をコンセプトに、放射能の影響で外遊びのできなくなった子どもたちが安全にかつ安心して遊べる「東北最大の室内遊戯」施設としてオープンした。福島県を中心にスーパーマーケットを展開する株式会社ヨークベニマルが所有する土地・建物・設備、そして遊具の無償提供により解説が実現。この提供について大高善興代表取締役社長は、「郡山市の今後の発展、そして地域の将来をになう子ども達の明るい未来のためにも、安心して遊べる場所を一日でも早く整備し、若い人たちの夢を実現させてあげたい、その思いから、当社が倉庫として現在活用している横塚の建物を全面改修し、室内の遊具等をセブン&アイ・ホールディングス・グループ゜であるヨークベニマルとライフフーズより市に寄附をさせていただきたいと申し入れしたところでございます。そして、『元気な遊びのひろば』の愛称として、若い人達の思いが込められた『PEP Kids Koriyama』(ペップキッズこおりやま)を贈呈したいと思います」と述べている。開設以降の運営は郡山市が行っており、子どもたちはこの施設を無料で遊ぶことができる。

     PEP Kids Koriyamaは、「ペップアクティブ」「ペップコミュニケーション」「ペップキッチン」の3つのエリアに分かれている。


    (出所:NPO法人郡山ペップ子育てネットワーク)

     ペップアクティブでは、原発事故以降遊ぶことが難しくなった砂場や思いっきり走れるランニングコース、三輪車のサーキットコースなどがある。このような失われた遊びを取り戻せるだけでなく、成長に不可欠な「動き」も考慮して遊び場が作られている。山梨大学の中村和彦教授によると、人間の体の基本的な動きは36種類に分類することができるという。この36の動きが人間の複雑な動きを支えているため、幼少期にできるだけたくさんの動きを経験し、身につけることが望ましいとされている。しかし、外遊びが難しい現状では、家の中をはじめとする屋内でできる動きはそう多くなく制限されてしまう。PEP Kids Koriyamaは株式会社ボーネルンドの協力のもと、遊びながらたくさんの体の動きを経験できるようにプロデュースされている。また、ペップキッチンでは調理実習に参加できる。生きる基本である食べることの大切さや作る楽しさを学ぶ目的として設置され、子育て支援と食育啓発のイベントを開いている。施設を開いて1年までで、子育て支援イベントを29回、食育啓発イベントを11回行い、子ども・大人合計で約700人が参加した。単なる遊戯施設に留まらず、保護者・子どもの両方にとっての地域コミュニティとなっている。


    (出所:スポーツ・エンジェル合同会社)

     PEP Kids Koriyamaの特徴として、「プレイリーダー」を常駐させている点が挙げられる。プレイリーダーとは、子どもたちと一緒に遊びながら、体の動きや遊び方などを実演するお手本係の「お兄さん、お姉さん」である。プレイリーダーは20人弱。彼らは郡山市の臨時職員として働いている。講師を招いて施設を利用する親子への接し方を学ぶほか、応急処置の方法や遊具の知識を身につける研修を毎月行うなど、施設において遊びの質を高める役割を担っている。
     また、遊び場作りと並行して、重視してきたのが保護者に対する心のケア。「家族が離れ離れになり、子育ての負担が増した」「公園で遊ばせたいが踏ん切りがつかない」といったストレスや不安を抱えつつ「わざわざ相談窓口に出向くほどのことでは……」と躊躇している人が少なくない。そこで臨床心理士が館内を回り、親子に声がけして気軽に話が出来る雰囲気を作っている他、別室での個別相談にも応じている。保護者の交流の機会を増やそうと、親子向けのヨガ、フラダンス教室などのイベントも開催。様々な切り口から親と子どものストレス軽減に努めている。

    【2】 ふくしまインドアパーク


     上記のPEP Kids Koriyamaと同じく、福島の子どもたちに思いっきり遊べる場所を作りたいという思いから、2011年7月に「ふくしまインドアパークプロジェクト」が発足した。同年12月にふくしまインドアパーク郡山園、2012年8月には南相馬園がオープン。エア遊具やボールプールがあり、常駐するパークリーダーと共に体を動かして遊ぶことができる。運営団体は行政ではなく、認定NPO法人フローレンス。月額利用料500円の互助会員は何度でも、ビジターは1回500円で施設を利用することができる。またパークサポーター(寄付会員)の寄付にもインドアパークは支えられている。施設利用者の対象年齢は6か月〜6歳未就学児。郡山園では開園1年間で約13000人の子どもが来園した。南相馬園では、開園7ヶ月半で約2000人の子どもが利用した。施設では子どもが体を動かして遊ぶだけでなく、地元の英語教室や体操教室の先生、おもちゃ屋や本屋が施設でイベントを開催するなど、遊び場からコミュニティ創出の場へ広がりを見せている。
     そのような中、2014年2月28日をもって南相馬園が閉園した。南相馬園では、開園前からどのような遊具・玩具を用意したらいいか、などの話し合いに保護者が積極的に参加し、開園以降もイベントの企画や子どもたちの見守りなどをパークリーダーと共に行ってきた。こうした地域住民の「子どもたちに遊び場を」という声が南相馬市に届き、行政による新しい屋内公園の整備が決まった。新施設は南相馬園よりも大規模で多くの遊具があり、無料で利用できる。NPO法人フローレンス代表理事の駒崎弘樹氏は「地域のお子さんに安心して遊べる場所を提供するという震災後の私達の思いは果たされたと考え、ふくしまインドアパーク南相馬園の運営は終了」することを決定した。閉園後は「みなみそうまラーニングセンター」として、発達障がいの子どもを受け入れ生活訓練や学習支援を行う施設に生まれ変わった。南相馬市には、避難先での生活が困難で戻ってきた家族が多い一方で、ケアが必要な発達障がいの子どもを受け入れる環境が整っておらず、この施設の開園によってより一層の復興へと向かっていくことが見込まれる。

    【3】 民間企業の取り組み


     行政や団体のみならず、民間企業も福島の子どもの運動不足解消に向けて動きを見せている。

    ・「踊育(だんいく)‐親子ヒップホップ教室‐@ふくしま」

     株式会社ダイドードリンコでは、継続的な社会貢献活動の実現を目的とする「地域コミュニティ貢献積立金」を設けており、東日本大震災への継続支援を中心に支援活動に取り組んでいる。2012年10月より、被災地の子どもたちが運動できる場が少ない状況に置かれていることや、学校教育におけるダンス授業の必修化を睨み、「ダンスを通して明るく元気になってほしい」との願いから「踊育(だんいく)‐東北ダンスプロジェクト-」がスタートした。公益社団法人日本ストリートダンススタジオ協会の協力で、初年度は岩手県、宮城県、福島県の東北3県で教員向けダンス研修会や約30校の幼稚園、小学校でダンス授業を実施。現在では約100校にまで拡大している。この「踊育(だんいく)」プロジェクトの翌2013年に福島県の屋内施設を対象に、2歳〜4歳の未就学児童に向けて「踊育(だんいく)‐親子ヒップホップ教室‐@ふくしま」を開催している。屋内施設に足を運ぶ親子とヒップホップダンスをすることで子どもたちの運動不足やストレスを解消することを目的としている。先に取り上げたふくしまインドアパークにも来園し、イベントを行った。

    親子ヒップホップ教室実施の様子


    ・「みんなの遊び場プロジェクト」

     2014年7月、福島県南相馬市に屋内遊戯施設を建設する「みんなの遊び場プロジェクト」が始動した。買い物でポイントが貯まる「Tポイント」を運営する株式会社Tポイント・ジャパン、カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社TSUTAYAカンパニー、ヤフー株式会社、建築家の伊東豊雄、柳澤潤および福島県南相馬市が、ポケモンの被災地支援活動「POKEMON with YOU」と共同でポケモンと遊べるインドアパークを建設する。
     本プロジェクトにあたり、全国のTSUTAYA店舗では、Tポイントとして初の社会貢献型Tカードとなる「ポケモンデザインのTカード」を発行。このTカードは、ポケモンが取り組む被災地支援活動「POKEMON with YOU」とTポイント・ジャパンの復興支援に対する想いが合致したことで実施する新たな取り組みとなる。カード発行手数料の一部とカードの利用で貯まるTポイントの半分が、インドアパークの建築費用へ役立てられる仕組みになっている。また、Yahoo! JAPANは、「Yahoo!ネット募金」上に「みんなの遊び場プロジェクト」の特別な募金ページを公開し、インドアパークの建設費用を支援する窓口を設け、建設へとプロジェクトを進めている。

    参考資料


    Last Update:2014/8/28
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