SNS時代と匿名性
−安全で有益なネット社会の在り方−
早稲田大学社会科学部4年
上沼ゼミV 三澤夏歩

「インターネットで豹変する人のイラスト」
出所:「いらすとや」より
章立て
- はじめに
- 匿名性とは
- プロバイダ制限責任法
- 日本政府の動向
- 匿名性による誹謗中傷の取り締まりの問題点
- 政策提言
第1章 はじめに
近頃、ネットでの誹謗中傷が原因で、命を絶つという、痛ましい事件を多く耳にするようになり、社会問題化してきている。
私は、誤った情報や不適切な書き込みが存在するのは、誰でも気軽に情報を発信できる時代になったからなのではないか。そして、誰でも気軽に情報を発信できるのは、匿名で情報を発信できるシステムがあるからではないかと考えた。
そこで、痛ましい事件が少しでも減るように、匿名性に関する法や制度についての政策を提言する。
第2章 匿名性とは
2-1 匿名性とは
匿名性とは、本人の発言や行動により、本人が不利益を被らないように本人の身元を隠すこと。
2-2 匿名性のメリットとデメリット
- 「メリット」
- 発言に関する責任がなくなり、自由に発言することができる。
- 発言のみが評価されるため、内容が正確に評価される。
- 個人のプライバシーが守られる。
- 「デメリット」
- 誹謗中傷が発生しやすい。
- 犯罪が誘発される可能性がある。
- 事件解決の妨げになる。
2-2 匿名性と攻撃性
- 「没個性化」
- 個人がその場で埋没して自己の存在感が希薄になることを指す。
- 社会心理学者・ジンバルドー氏によって唱えられた。
- 人は自分の存在が周囲にわかりにくくなっているとき(匿名性が保証されているとき)には、自己の言動をコントロールする能力が低下するとされている。
- 「群集心理」
- 多くの人が一か所に集まることにより起こる心理状態を指す。
- 群集になると人は周囲と自分の区別がつかなくなる。例えば、知らないところに行列ができていたら興味本位で加わってしまう、ルールを乱す人たちの数が多ければその輪に加わってしまうなどの行動。
- 群集心理が働くと人は、他者と同じ行動をとってしまったり、雰囲気に流されて合理的な判断ができなくなる。1人ではないという、責任が分散されている状態になってしまっていることで判断が鈍ってしまう。
→没個性化と群集心理が働くことで責任の分散が起こり、匿名性によって攻撃性が増すということができる。
2-3 匿名性に関する事例
- 2020年5月 女子プロレスラーの木村花さんがネットの誹謗中傷を苦に自殺。
花さんの母親が、情報開示によりTwitter上で匿名で中傷投稿をおこなっていた男性を特定し、損害賠償を請求。
- 2018年、プロ野球・横浜DeNAベイスターズの井納翔一選手が、ネット上で妻に対する誹謗中傷を行っていた女性を情報開示によって特定し、損害賠償や開示費用を含めて、約190万のを求める訴訟を起こした。
匿名性によるSNSの手軽さや自由さがゆえに多様な言論が生まれているし、社会を動かす力にもなりえている。これは、一市民にとっても世界的な大企業や権力にとっても極めて有効なものである。
一方で上記の例のように匿名性が原因でおこった誹謗中傷によって命落とす人も出てきている。その自由さと自由さゆえの危険性をどのようにバランスをとっていくのかは、我々SNS世代が早急に解決しなければならない大きな課題である。
そこで、主に法制度上の取り組みを中心に、その現状と課題をまとめた。
第3章 プロバイダ責任制限法
3-1 プロバイダ責任制限法とは
プロバイダ責任制限法とは2001年に成立した法律である。1999年代後半からインターネットの普及に伴い、匿名での誹謗中傷を行うインターネット上の投稿が社会問題となった。そこで健全なインターネット環境を保持するためにこの法律が制定された。具体的には、ウェブページや電子掲示板などで行われる情報の流通によって権利侵害があった場合において、プロバイダ、サーバーの管理者、運営者、掲示板管理者などの損害賠償責任の制限と、発信者の情報の開示を請求する権利を定めた法律である。
サイトの管理者側とネット上の権利侵害の被害者の両方を保護する法律である。この法律があることで、被害者の権利や、管理者側の責任の範囲が明確になる。
→この法律の施行によって、、、
これまで違法・有害情報の流通に対しては紛争当事者間での解決を求めてきたが、プロバイダ責任制限法の施行により、一定の要件のもとプロバイダが情報流通の防止措置を講じたり、発信者情報の開示請求に応ずることが可能になった。
具体的には以下の2つの権利がある。
- 削除請求
プロバイダ責任制限法第3条には、情報の流通により他人の権利が侵害された場合、サイト管理者等が損害賠償責任を負いうることが規定されている。そのため、多くのサイトでは、「プロバイダ責任制限法ガイドラインなど検討協議会」が策定した削除依頼のための書式や、それを基に作成した削除依頼の書式により、送信防止措置依頼を受け付けている。
サイト管理者が、権利侵害を主張する者やその代理店から送信防止措置請求を受けた場合、投稿内容を確認し、削除に応じるか判断することが求められる。
- 発信者情報開示請求
プロバイダ責任制限法第4条で定められている「発信者情報開示請求」とは、権利侵害をする投稿をした発信者の個人情報を開示するように請求することである。
発信者情報開示請求を受けたサイト管理者は、投稿内容を確認し、発信者情報の開示に応じるかを判断することが求められる。
3-2 旧プロバイダ責任制限法の問題点
2001年以降、同法制定時には想定されていなかったソーシャルネットワーキング(以下SNS)などだ広く普及し、情報流通の基盤として機能するようになると、これに伴い、旧プロバイダ責任制限法における情報開示請求制度への課題が指摘されるようになった。
- SNSのようなログイン型サービスは、システム上、投稿時のIPアドレスが保存されていない。
- 改正前の法律では、ログイン・ログアウト時のIPアドレスを開示させられない場合があった。
第4章 日本政府の動向ー関連法の改正ー
木村花さんの事件が与党や政府を動かし、具体的な取り組みが進められるようになった。政府では総務省と法務省で検討が進められ、主には、総務省の「発信者情報開示の在り方に関する 研究会」と、同じ総務省の「プラットフォームサービスに関する研究会」で検討が行われている。
- 2020年5月 木村花さんの事件発生
- 6月 自民党及び公明党チームから、インターネット上の誹謗中傷・人権侵害に関する提言が行われる。
- 8月「発信者情報開示の在り方に関する研究会」の「中間とりまとめ」が公表される。
- 9月「発信者情報開示の在り方に関する研究会」の検討内容と、「プラットフォームサービスに関する研究会」の緊急提言をまとめた「インターネット上の誹謗中傷に関する政策パッケージ」が公表される。
- 12月「発信者情報開示の在り方に関する研究会」の「最終とりまとめ」が決定される。
- 2021年4月 改正プロバイダ責任制限法のが公布される。
4-2 プロバイダ責任制限法の改正
これに伴い、2021年に改正プロバイダ責任制限法が交付され、2022年から施行された。
主な改正のポイントは、以下の2点である。
- ポイント@
新たな裁判手続きの創設により、一体的な手続きでの発信者情報の開示が可能になった。
- ポイントA
開示請求できる情報の範囲が拡大され、SNSによる誹謗中傷に対応しやすくなった。
4-3侮辱罪の厳罰化
侮辱罪とは「具体的な事実を摘示せずに、不特定多数の人が見られる中で口頭や文書を問わず、他者を侮辱すること」(刑法231条)。
2022年6月13日 国会で改正刑法が可決、成立。
2022年7月7日 侮辱罪が厳罰化された。
改正のポイントは以下の2点である。
- ポイント@
刑法の中で最も刑の軽かった侮辱罪の法定刑を引き上げ
旧:拘留(30日未満)もしくは科料(1万円未満)
新:1年以下の懲役もしくは禁錮もしくは30万円以下の罰金または拘留もしくは科料
- ポイントA
法定刑の引き上げに伴い、他人をそそのかして犯罪を実行させる「教唆(きょうさ)犯」と、他人の犯罪を手助けする「幇助(ほうじょ)犯」が処罰可能に
- ポイントB
法定刑の引上げに伴い、公訴時効期間(起訴が許されなくなるまでの期間)が1年から3年に延長
木村花さんの事件を代表とする、誹謗中傷による多くの著名人の自殺を受けて、政府は確実に動きだしてきている。誹謗中傷の取り締まりを強化する一方で、これらの法律に対する問題点も顕在している。
第5章 匿名性による誹謗中傷の取り締まりの問題点
プロバイダ責任制限法の改正と侮辱罪の厳罰化を代表とする規制の強化による問題点として考えられるのは以下の2点である。
- 表現の自由
- 検閲
5-1 表現の自由
- 表現の自由
日本国憲法第21条 「集会、結社及び言論、出版その他の一切の表現の自由は、これを保障する。」
- 表現の自由の重要性
表現の自由が保障されているのは、言論活動が個人の人格の発展や、より良い政治的意思決定に繋がると考えられているからである。
言論活動では、互いの意見を批判し合って、よりブラッシュアップされたアイデアを生み出す過程も当然に想定されている。批判的な言動は、時に相手に対して不快な感情を与えることもあるが、それは言論活動において必要なプロセスと捉えられている。表現の自由は誰からも侵害されてはならない重要な権利である。
したがって、ネガティブな内容であったとしても、それが合理的な理由に基づく正当な批判であれば、憲法上の表現の自由によって保障される必要があるため法律の改正によって規制が強化されてしまうと、表現の自由を損ねてしまう可能性があることは深刻な問題なのである。
5-2 検閲の禁止
- 検閲
日本国憲法第21条2項 「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。」
ネット社会の自由さと、自由さゆえの危険性のバランスをどのようにとるかが大きな問題である。表現の自由や検閲の禁止といった憲法によって守られた当然の権利を侵害することなく、安全で有益なインターネットの利用を促す政策を提言する必要がある。
第6章 政策提言
上記の調査をふまえて、具体的な政策を提言するために、再度条件を整理する。
- 条件@ 匿名であることによって発言の攻撃性が増す場合がある。
- 条件A 一方で、匿名であることによって自由で有益な言論や議論が生まれる可能性がある。
- 条件B 過度な規制は憲法で守られている権利を侵害する恐れがある。
- 政策:表面的な匿名性を保護しつつ、プラットフォーム事業者の権限によってより簡単な手続きで身分特定ができるようにプラットフォーム事業者の権力を強化するために行政指導を行う。
第7章 まとめと残された課題
インターネット上の誹謗中傷に関する問題の要因はとしては様々なことが複雑に絡み合っていて何か一つの方策で解決できるものではない。今回は、プラットフォーム事業者の責任に焦点をあてて研究をしたが、他にも
- 誹謗中傷を行うユーザー(情報発信者)への対応
- 書き込みによって被害を受けた人への対応
- インターネットリテラシーの教育などのそれぞれについての方策を検討する必要性がある。
また、SNSが発達してきて、社会に浸透し始めてからわずか10年ほどしか経っておらずSNSによる問題は常に状況が変わる現在進行形の問題である。変化しながら発展してゆくインターネット社会の状況に合わせて各方面の政策を更新していく必要があるだろう。
そして、政府による対策を行うとしても、様々な要因がからみあっているため、対応する部局が定まらないことも課題であると考えられる。
参考文献
Last Update:2023/01/31
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