公立と私立
この章では、公立と私立の違いが文部省が学校改革を進める中でいかにして格差を広げていき、それがどのような問題となって現れるのかを見ていく。さらに、公立・私立間の格差を埋め、子どもに不利益にならないような環境をつくるためにはどのような手段が有効か、検討する。
東大合格者出身高校別トップ10の推移 1964(昭和39)年 1971(昭和46)年 1999(平成11)年 日比谷(東京)193人
西(東京)156人
戸山(東京)110人
新宿(東京) 96人
☆教育大付(東京) 88人
小石川(東京) 79人
〇 麻布(東京) 78人
両国(東京) 63人
〇 灘(兵庫) 56人
☆教育大付駒場(東京)52人☆教育大付(東京)124人
〇 灘(兵庫)124人
☆教育大付駒場(東京)103人
〇 麻布(東京) 84人
西(東京) 81人
〇 開成(東京) 81人
☆学芸大付(東京) 72人
湘南(神奈川) 70人
戸山(東京) 69人
〇 武蔵(東京) 60人〇 開成(東京)165人
〇 灘(兵庫)110人
〇 麻布(東京)109人
☆筑波大付駒場(東京)104人
☆学芸大付(東京)103人
〇 ラ・サール(鹿児島) 71人
〇 武蔵(東京) 64人
〇 洛南(京都) 59人
〇 桜蔭(東京) 57人
〇 栄光学園(神奈川) 57人(〇は私立、☆は国立、無印は公立。『論座』2001年3月号より)
まずは、上の表を見てもらおう。これは、東大合格者の出身校ベスト10の推移であるが、ここに見られるように、この40年ほどの間に、東大合格者は公立高校出身者が激減し、私立(およびごく一部の国立)の中高一貫校出身者にシフトしているのである。これは、東京都が1967年に学校格差の縮小をめざす、学校群制度を導入した影響が大きく、そのために前倒しで教える私立の中高一貫校の東大合格者占有率がどんどん高くなったのである。
学校群制度というものがなぜ導入されたのか。当時、例えば名門である日比谷高校のある学区には、中学校が60校あったが、日比谷高校に10人以上の入学者を出している中学は昭和41年度では11校にすぎなかった。名門校に入学者を出す中学校が特定の学校に限定されていき、中学校は有名校になるためには、受験教育に力を入れることになるのである。その結果、受験競争は激化し、入試のための勉強に明け暮れ、暗記中心のつめこみ教育となってしまうという問題があったのである。
つまり、「有名校と非有名校の格差」が生まれ、それが「学校間に激しい受験競争」を引き起こしているという認識が、学校群のような選抜制度改革の背後にあった。そして、公立高校間の格差を是正するための「総合選抜制度」が1960年代後半以降、いくつかの県で導入され、83年には計13の都道府県を数えるにいたったのである。こうして、高校間格差の是正こそが、受験競争の緩和をもたらすはずだという前提のもとに、格差の縮小をめざす政策が行われた。
しかし、学校群制度や当時理想とされた小学区制のような公立高校間の格差是正は、結果的にそれぞれの高校内での学力格差を拡大した。高校レベルでの学校選択を許さないこうした制度は、「いい生徒」たちを私立学校へと誘ったのである。そして、冒頭の表で見た通り、私立学校から高偏差値大学への進学がより有利になってしまった。
授業料の負担の低い公立高校に、広い地域から優秀な生徒を集めるというかつてのシステムは、幅広い社会階層から受験競争に参加する道を開き、かつそこで、レベルの高い授業を行い、生徒同士のライバル意識や仲間意識などを生み出すことによって、「財政的な投資を低く抑えながら高い学力水準を維持する」という意味で、非常に有効に機能していた。
ところが、公立校が落ち込むと、私立校に生徒が流れる。それも、優秀な資質をもった生徒がすべて私立に流れるわけではなく、経済的上位階層だけである。公立に残った生徒たちは、「レベルの高い授業」や「生徒同士のライバル意識や仲間意識」といったメリットを受けられないため、不利な条件に置かれる。社会全体で見れば、社会階層にかかわらず伸びる子を伸ばすシステムだったものが、経済的上位階層にのみ有利な条件で競争できるシステムにしてしまったのである。
その後、1994年には東京都の学校群制度が廃止されるものの、公立と私立の学力差は広がり続けた。いや、正確には、広がったように社会では受けとめられた。というのも、90年代の終わりから学力低下論争が高まるにつれて、「ゆとり路線」でやってきた公立校が学力低下を起こしており、2002年の学習指導要領改訂が実施されれば、ますます深刻な学力低下を招くことになると、声高に言われたのである。もちろん、文部科学省ははっきりと学力低下は認めないのだが、少なくとも読み・書き・計算等の基礎学力に限って言えば、学力低下は認められるという立場の論者は多く、マスコミもこぞって「学力低下」を取上げたことで、世間一般の人たちは学力が低下した、特にゆとり路線を掲げる公立校ではその傾向が強いと思ったのである。ゆとり教育については1章で詳しく取上げるので、そちらのほうを参照してほしい。
ゆとり路線によって広まった公立と私立の差に、さらに2002年から実施される新指導要領が追い打ちをかけるという内容を、2002年1月4日付の朝日新聞が、「『公私』の差拡大」と報じている。その内容は次の通り。
私立中学校の5教科の授業数は来年度、公立の1.5倍―。首都圏の私立中に国語、社会、数学、理科、英語の授業数を尋ねた教育情報会社のアンケートで、こんな結果が出た。春からの新学習指導要領は「ゆとり」を重視し標準授業数を減らしたが、「学力低下を招く」などの批判を背景に、私立はほとんど減らさないためだ。一見、見落としてしまいがちだが、公立と私立の差が広がり続ける重要な理由がここにある。そう、私立は文部科学省の言うことには耳栓を付けて知らんふりをしていても、何ら問題ないということである。もちろん、建前上は私立も学習指導要領に基づいた教育を行う「公教育」の一環である。しかし、現実には、授業時間数、教育内容、教員研修などについて、文部科学省や教育委員会は介入できないのである。当然、私立校としては公立校と同じことをやっていては生徒を集められない。よって、ゆとり路線を行く公立校をあざ笑うかのように、「教科重視」で受験に有利だという戦略に走るのである。私は、ゆとり教育が標榜する「総合的学習」や「生きる力」を否定している訳ではない。むしろ、自ら学習する力をいかに子どもに身につけさせるかというのは、教育政策を考える上で、今後も重要視すべき点だと思う。しかし、だからと言って基礎学力や受験勉強をおろそかにしていい訳はない。「基礎」という名の通り、その土台がなければ発展もせず、自ら学ぶ力もつかないだろう。基礎なくして、総合などあり得ないのである。公立校だけで基礎学力を弱体化させておいて、学力と経済力を備えた子どもは、塾経由で私立校という別ルートへというのは、全体的なレベルダウンと階級間格差の増大を招くことになるだろう。
「じゃあ私立がなければいいのか」と言われてしまうかもしれないが、私の言いたいことはそうではなく、むしろ公立は私立の存在、私立との格差を意識しながら、それを是正するために適切な手段を講じるべきだということだ。そうした動きが、公立校や自治体で積極的に行われるようになってきている。例えば、東京都品川区立第二延山小学校では、放課後に教員免許をもつ指導員が週5日開く「勉強会」がある。いわば「学校の中にできた学習塾」、全校生徒の3割弱、約130人が通うという。都立高校では予備校講師を呼んで受験に役立つ指導をしたり、大手予備校の衛星放送を学校から利用するという試みまで出てきている。
その他にも、授業時間外の個別学習支援を行う学習相談室の設置や、土曜スクールという補充的な授業を積極的に行う自治体が、着実に増えている。学習相談室は教員、学生、保護者などが協力して、授業だけではわからないという生徒に、教科内容や勉強方法についてきめ細かい相談・指導を行うというものである。また、土曜スクールでも、通常の授業の補充的、あるいは発展的な内容を取り扱い、基礎学力を確実に定着させる機会を生徒に提供しようという意図がある。
これは、教育行政が進めてきたゆとり路線に反するように見える。しかし、受験競争を激化させるものだとは私は思わない。学習相談室や土曜スクールといった取り組みが、あくまで子どもに基礎的な内容を身に付けさせるために授業の「補助」という位置付けで行われる限り、学力のレベルが「下」の子が「上」の子に近づくことはあっても、「上」の子が「下」の子を引き離すことはない。子どもの覚えるべきことが増える訳ではないのである。塾や予備校では、「お客様」である子ども全員の学力を上げることを考えなければならないが、公立校や自治体の取り組みでは、極端に言えば基礎の身についていない子どもだけを対象にすることができるのだ。また、公立校や自治体が積極的に学習支援を行うことで、経済的な障壁で塾や私立校に行けない子どもでも勉強ができる環境が出来上がるのだから、このような事業に自治体が経費を出すべきだという機運が高まってきたことは、歓迎すべきなのである。
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