Diary
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1998年12月10日
最後の個人研究発表
 今日は年内最後のゼミとなった。新年早々、卒論・ゼミ論の提出のため、個人研究発表は今日が最後となる。今日は4年生4人の発表の予定であったが、大山さんが急遽欠席のため、3人が発表することになった。
 千葉くんは容器包装リサイクル法の政策過程と問題点を発表した。論文のまとめとして今後の新たな容器の開発をにらみ、資源が無駄にならないようなシステムを構築することが大切だと提言する方向で論文を執筆することを明らかにした。先生からは容器包装リサイクル法の制定過程での「問題認知段階」を明瞭にするよう、また容器包装リサイクル法の政策実施と「東京ルール」との関係を明らかにするようにアドバイスをした。
 福岡さんは、専業主婦の存在を前提とする家族モデルの共働きモデルへの転換が必須であり、政策的な潮流はこの方向であることを発表をした。問題点として時間外労働と裁量労働制を挙げた。これに対して先生から、政府や社会の政策を転換するためには、どのようなことが必要なのか、質問があり、それを明確にするようアドバイスがあった。
 橋本さんはアメリカ通信品位法を取り上げ、問題点について発表をした。また、幼児ポルノ問題を採り上げ、日本の規制の緩さを指摘した。それに対して、幼児ポルノ問題がどのような関連で政策課題として浮上したのか、幼児ポルノ問題の所管官庁などを先生が質問した。
 これで、最後の個人研究発表となった。年末の忙しい時期であるが、後は卒論、ゼミ論を書かねばならない。


1998年12月3日
個人研究発表
 先週からぐっと寒くなったが、今週も木曜日は寒い。今週も3人が個人研究発表する予定だったが、千葉くんが都合により発表できず、3年生の発表だけとなった。
 本田くんは、現在の日本のエネルギー政策である「省エネルギーの推進、電力自由化」が原子力発電所削減に繋がる可能性が高いことを発表した。先生からは、個別の政策がそれ自体は正しくても、すべてを推進すれば結局破綻する可能性が高いことが指摘された。また、政策当局は、現在の原子力推進政策をやめなければならないことを認識していると思うが、その政策当局に政策転換をもたらすような論文を書かなければならないことを指摘した。

熱血指導の先生
 小島くんは、まとめとして家庭や地域、そして学校の「学校化」の弊害を指摘し、多様な価値基準で子供を評価するように提言した。また、ケースに関連して東京都は「性教育プログラム」を強力に推進するべきだとした。これに対して、「学校化」と関連して、内申書重視と生徒の「演技」の問題の指摘があった。
 今年で上沼ゼミが一時中断になったため、3年生は1年だけのゼミ生活となった。しかし、少人数だったため、例年以上の発表回数となり、現4年生の発表回数とかわらない回数になった。当然、ゼミでの議論も活発になり、先生、ゼミ生から多くの示唆が3年生にもたらされたと思う。良い論文を書いて欲しい。
 ついに、来週は最後の個人研究発表である。


1998年11月26日
生協卒業アルバム写真撮影・個人研究発表
 今日は生協から出版される卒業アルバムの撮影を大隈講堂前で行った。大隈講堂周辺は中国の国家主席来校に備えて警備体制が敷かれており、いつもとは違った雰囲気。多くのゼミが大隈講堂前で撮影をしていたが、残念ながら、上沼ゼミの規模が一番小さい。OB会での先輩方の「ノリ」がうらやましく感じた。撮影自体は流れ作業ですんなり終了。その後5限の授業がない人は研究室に移動、お茶会となる。
 6限からのゼミには久しぶりに最初から全員が揃った。OB会も終了し、これからのゼミは研究の最後の仕上げになる。個人研究発表も一日に3人になった。去年までの体制に戻ったことになる。昨年度は7限ぎりぎりまでゼミ・サブゼミがあったが、今年は6限で収まっていた。慣れない3年生には、ちょっぴり長く感じるかもしれない。
 まず、茅島さんが発表。帰国者の二世・三世の入国・滞在資格の確認、就業規制の状況、生活保護制度を整理した。そして、インターネットから入手した情報を元に、帰国者等に対する研修カリキュラムの再編の動向について発表した。カリキュラムは帰国者等の状況を考慮しより充実したものとなっている。
 次に上田くんが発表。世界的な規格の統一をする「標準化作業」、アメリカのITS体制と日本の比較を発表した。ゼミ生からは、「社会的合意を得るためには何をすべきと考えているのか」という質問が出された。それに対して情報公開や、国民に対して説得力ある議論が必要だと考えていると回答があった。先生からは、複数の選択肢を提示した上での議論が大切ではないかというアドバイスがあった。
 最後に橋本さん。前回の発表でケース・テーマを絞り込むことになった。そのため、章立ての構成を修正し、発表した。ゼミ生からは、論文の結論はどのようになるのか、インターネットでは世界的な規制が必要ではないのか、という質問があった。これに対して世界的な枠組みでの規制が必要であるが、その流れはアメリカが作るだろうという見解が示された。先生からは「風営法などを批判的にみて、そこからどう政策論につなげるのかが大切である」とアドバイスがあった。
 茅島さんと上田くんはこの発表が最後。遂にあとは論文を書くだけになった。


1998年11月21日
OB・OG会

上沼ゼミ、初の開催となるOB・OG会が11月21日に開催されました。幅広い年代の先輩方に参加いただき、先生、同期やその前後の仲間、そして先輩、後輩たちと、大いに親睦を深めました。

参加された方、参加できなかった方、当日の模様は、特集ページをご覧ください。


1998年11月19日
個人研究発表・OB会準備
 今日の個人研究発表は、大山さんのみの変則体制。発表の後、OB会の準備でスライドを作成するため。14号館の端末室を借りたが、端末室の発表ということで、昨年の後期のゼミを思い出す。
 大山さんは、欧米での精神障害者に対する政策の変遷を追った。しかし、先生からは「アクターがハッキリしない」「欧米を見る意味があるのか」という指摘があった。大山さんは、それに対して「資料が少なかった」と答えた。また、欧米と日本の差異について、多様性を認める風土があるか否か、と答えたが、先生からは、それでは答えにならない、その背景を発見することが大切、とアドバイスをされた。
 その後、OB会のスライド作成や、スケジュール確認、役割分担の確認などを行った。OB会は予想以上の出席が見込まれ、先生、現役ゼミ生ともども、みなさんに会えることを楽しみにしています。


1998年11月12日
個人研究発表
 今回から橋本さんが復活。しかし小島くんは家庭の用事で欠席。なかなか全員が集まれない。今回の発表は合宿に参加できなかった人。
 本田くんは、ゼミ論執筆のために章立て全体をおさらいした。問題点として、電力自由化と省エネルギーの両立、省エネルギーを実現するために家庭での電力消費に規制をするべきか否か、ということをあげた。ゼミ生からは原発廃止へのモデルはあるのか、一般家庭での需要抑制への本田くんのスタンスはどうなのか、新エネルギー源と電力自由化の両立をどうはかるのか、といったことが指摘された。
 久々の発表となった橋本さんは、サイバースペースにおける昨今の問題の一つとしてインターネット上を流れる有害情報の問題を発表した。発信者責任とプロバイダの責任について論点を整理した。ゼミ生からはネットワーク上の人格も現実の人格も同一のものと考えるべきでは、といった指摘があった。また先生からは、インターネットビジネスを取り巻く問題として名誉毀損問題や有害情報の問題はどの程度重要なのか、という指摘があった。橋本さんからは、ネットワーク上の人格と現実の人格を分離して考えるべきではなく、ネットワーク上の人格に名誉毀損がありながらも現実の人格の名誉には影響がなかった場合でも、情報の発信者の責任は追及されるべきと回答した。先生からの指摘については、ケース、章立ての再構築も考え、論文を有害情報問題に特化する方向で検討することを明らかにした。
 来週は個人研究発表とともに、OB・OG会の準備作業を行うことになった。

後期ゼミの様子

1998年11月7日-8日
最後の本庄合宿
 上沼先生の渡英前の最後のゼミ合宿が本庄セミナーハウスで行われた。その模様はここをクリック!


1998年11月5日
OB・OG会準備
 今日は、橋本さん・千葉くんが欠席。OB・OG会で使用する個人研究発表用のスライドの作成を「Microsoft PowerPoint」で行った。14号館の最新のコンピュータ教室を借り切って授業をしたが、授業中に多くの学生が入ってきた。入口に「授業中」などと表示したプレートを掲げるといった工夫が必要であろう。だが、少ない人数で占有利用をすることは「申し訳なく」感じるのも事実。もっと多様なレイアウトができる教室になれば、と期待したい。
 講師役の上田くんも学生の身分ではあまり使わないこのソフトウェアについては詳しくはない。しかし、後期になってからスライドを使用して講義をされている先生はマニュアルを購入し勉強をされている。わからないことがあるゼミ生には、先生がアドバイスをされた。上田くんからは、(1) フォントの種類や大きさを統一することが見やすさにつながること (2) 箇条書きは4つ程度に押さえること、などがアドバイスとしてあった。
 テーマやケース、章立てを打ち込んだゼミ生は、アニメーション効果など、このソフトウェアの機能をふんだんに利用して、説得力あるスライドを作成した。個人研究だけでなく、こうした「コンピュータ・リテラシー」を身につけることも、先生が力を注いでいることである。


1998年10月29日
個人研究発表
 今日は、橋本さん以外は出席。合宿の参加者の調整を行った。
 今日の研究発表は、大山さんと福岡さん。大山さんは、地域の精神保健福祉活動における保健所の役割と保健所の歴史について発表をした。それに対して、「医療、福祉、保健の棲み分け」の実態を明らかにするよう指摘があり、大山さんは、この三者の中で保健分野が最も地域に密着していることをあげ、期待をしていると述べた。
 福岡さんは労働環境を取り巻く流れを全般的に紹介した。その中で「共働きモデル」が育児分野では想定されていることを指摘し、この流れは後退しないと考えていることを発表した。これに対して、「共働きフルタイム労働、フルタイムとパータイムの組み合わせ、専業主婦(夫)といった選択肢を提供できる環境になったときに、家庭の崩壊や経済の沈滞など、別の問題が発生しないかを検討すべき、という指摘があった。
 来週は、OB会で行う「個人研究の紹介」用のスライドを作成する。そのため個人研究発表は来週はない。


1998年10月22日
個人研究発表
 今日は、茅島さんと福岡さんがお休み。家庭の事情で帰省している橋本さんを含め、欠席が半分近くとさびしかった。今日は、OB・OG会の案内ハガキの宛名書きの割り当てを行った。近日中にはOB・OGの皆様に届くはず。  今日の研究発表は、小島くんと本田くん。小島くんは、東京都が淫行処罰規定の制定を見送った、1988年の動きについて発表した。また都が「非決定」と、同時に実施した青少年向けプログラムの実態について報告した。この2点について、小島くんは東京都の施策に対して疑問を呈したが、先生やゼミ生からも同じような意見が出された。  本田くんは、原子力発電、省エネルギー対策と電力自由化に対するアクターの整理とその態度について発表した。さらに、前回の発表で指摘された原子力委員会や原子力政策円卓会議について詳しい説明をした。先生からは、アクター整理のしかたを改善するよう、また時系列でアクターの関係の変遷を追跡するよう指導があった。


1998年10月15日
個人研究発表
 今日の研究発表は、上田くんと千葉くん。上田くんは、アクターのITS・AHSに対する姿勢を整理をし、発表した。千葉くんは、家電リサイクル法の制定過程について発表した。家電リサイクル法と容器包装リサイクル法の相違について比較を行った。


1998年10月8日
個人研究発表
 今日の研究発表は、福岡さんと茅島さん。福岡さんは前回の発表で指摘された点のフォローをした。保育園の不足と裁量労働制の拡大について発表した。茅島さんは中国帰国者の二世三世の就労問題について発表を行った。


1998年10月1日
個人研究発表
 11月に予定していた「上沼ゼミOB・OG会」に先生のお許しをいただいた。11月には、ぜひみなさんにはお集まりいただきたい。私達が日常授業を受けている14号館をご案内するとともに、日頃のゼミの研究成果を披露したい。詳細は葉書を郵送してお知らせするつもり。
 さて、今日の研究発表は、延期していた本田くんと、4年生の大山さん。本田くんは夏休み中の動きを中心に発表を行い、大山さんは法律制定過程のアクターの整理をした。


1998年9月25日
個人研究発表
 今日から後期の授業が開始。上沼ゼミは29-7号館の教室から14号館の505教室に移動した。505教室は語学授業向けの机と椅子が前を向いている通常の教室タイプ。できれば、対面形式の教室が良かったが、すでに満杯だそう。
 今日の個人研究発表は3年生の二人の予定だったが、本田くんが体調を崩して、小島くんだけということに。体には気をつけて。小島くんの発表は夏休みのフィールドワークの成果が表れていた。


1998年9月8日
研究室の引っ越し
 いよいよ研究室の引っ越し。ダンボールは業者が移動してくれるが、箱を開けるのは研究室でしなければならない。14号館の研究室は、書棚やテーブルが木目調で、なかなか雰囲気がいい。
 広さも29-号館よりも心持ち広そうだ。書籍が研究室に入るか心配だったが、どうにか収まった。
 研究室が新しくなったのはうれしいが、14号館が閉鎖されるのは、ゼミ生としてはさびしい。できれば、ゼミ生が集まれる場所が欲しい。


1998年7月21日-24日
研究室の引っ越し準備
 14号館が竣工するので、上沼研究室は仮住まいを終えて14号館に移転する。13号館の旧研究室、29-7号館の新研究室の本棚の本や雑誌を段ボールに箱詰めした。特に、旧研究室は上沼ゼミの歴史を物語る品々がたくさんあり、慎重に荷造りを行った。
 新しい研究室に移転するのは、9月の上旬。先生は「29-7号館の研究室には、ゼミ生が来ない」とこぼされていたが、14号館の新研究室には、できる限りうかがいたいと思う。


1998年7月18日-20日
追分合宿
 今回の合宿は軽井沢・追分セミナーハウスで行われた。詳しい模様はここをクリック


1998年7月9日
コンピュータ
 前期最後の授業になる。この日はすんなりと全員が集まった。場所がいつもとは違うため、新鮮な気分。
 今日は、1号館のコンピュータ端末室の一部を借りて、コンピュータの勉強会をした。まず、回覧板を効率的に使うために、回覧板から発信されたメールを自動的にフォルダに集めるように、Win/Yat32の設定を行った。これは、ゼミ生から、「回覧板に投稿されるメールが多く、たいへんだ」という意見があったため。この設定を行えば、プライベートのメールと回覧板のメールを自動的に分けることができるため、回覧板での話の流れをつかみやすくなるはず。
 次に、3年生を対象に、個人ホームページの作成を指導。少人数のため、高度なページを作成した。秋頃には公開できる見込み。
 来週の週末は、軽井沢・追分での合宿だ。


1998年7月2日
個人研究発表
 前期最後の個人研究発表である。就職活動の拘束のため千葉くんがお休み。
 発表は、4年生の上田くんと福岡さん。上田くんは、前回に引き続いてビデオを用いて発表を行った。ゼミ生からは、「事故に関心がなく車の運転をしたい人に対して、AHS(自動運転)をどう説得していくのか。」「事故を減らせるのならば、反発の少ない方法で」との指摘が、先生からは、「安全へのインセンティブを高める政策を考えるべき」「合意形成への道筋を示すべきだ」とのアドバイスがあった。
 福岡さんは、新聞記事や雑誌広告を使い、介護休業制度の導入や低年齢時保育の現状を報告した。ゼミ生からは、「託児所、保育園の違いを明確に」「介護休業制度の内容を」との指摘があり、先生からは、「所得控除や年金制度など女性の就業を妨げている制度の解明を」とのアドバイスがあった。
 ゼミのあと、先生とゼミ生4人で高田馬場で食事をした。


1998年6月25日
個人研究発表
 今後の日程を調整した。前期は7月の第2週までになり、夏合宿の日程、場所が決定した。例年通りである。
 今週は、9期生のOB、Oさんが奥様を伴って研究室を訪れた。残念ながらゼミには顔を出していただけなかった。ゼミ生一同、OB・OGのみなさんの来校をお待ちしています。
 発表は、3年生の二人。本田くんは、「電力自由化と省エネ政策」が「脱原発」につながる理由を説明した。ゼミ生からは「どうして原発立地地域の住民が迷惑施設である原発を受け入れるのか。その背後にある要因はなにか。」との指摘が、先生からは、「政策を考える場合、国民意識の啓発という『理念』よりも、経済的メリットといった『現実的な政策』を」とのアドバイスがあった。
 一方、小島くんは東京都の淫行条例の制定背景と現行法の限界を説明した。ゼミ生からは「淫行がいけないのか。それとも売買春一般がいけないのか」という指摘が、先生からは「東京都は、青少年に対して、どのような論理に基づいて『援助交際』がいけないかを説得するのか」という指摘があった。


1998年6月18日
個人研究発表
 橋本さんが体調を崩して遅れて来た。他にも遅刻者が多くゼミ生の集まりが悪い。しかし、今日は今年3月に卒業したOさんとMさんが教室を訪ねてきた。ゼミ生の間からは歓声が上がり、去年のゼミの雰囲気がよみがえった。Mさんには仕事の様子や赴任地の様子などを話していただいた。
 発表は、千葉くんと橋本さんだが、二人とも発表のサイクルが速いので、準備ができていなかった。千葉くんは、「フィールドワークでインタビューに行くときは、仮説を持っていくこと」「ケース同士を比較する意味はどこにあるのか」という点、橋本さんは「テーマやケースを考える上で、中心的な争点をはっきりすること」「テーマやケースに対する自分のスタンスをはっきりすること」の2点を先生から指摘された。
 先生は、指導にいつも以上に熱が入っている。一人あたりの時間が長いためか。また、先生は、ホームページを更新された。ぜひこのページをご覧いただきたい。


1998年6月11日
個人研究発表
 橋本さんが体調を崩してお休み。忙しいので、体調には気をつけて。
 発表は、大山さんと、上田くん。大山さんは、NHKの番組で紹介された、和歌山県のケースを紹介した。先生からは、研究における自分のポジションをはっきりするように指導があった。上田くんは前回に引き続いて、英国で制作されたドキュメント番組を紹介した。ゼミ生から、現実の状況と、ケースとの開きを指摘された。
 先生は留学の準備でお忙しい様子。


1998年6月4日
個人研究発表
 大山さんも元気に復帰。全員が揃った。発表は、4年生の茅島さんと千葉くん。早くも2回目の発表である。茅島さんは発表した資料の問題を、千葉くんはアクターの現在の動きを調べるように、と指摘された。
 今週のもう一つのニュースは、「論文集」「住所録」の発送が完了したことである。人数が少ないため、例年になく遅い発送となってしまったが、担当者は仕事が終わりホッとしている。特に論文集は先生が来春にロンドンに旅立たれるため、最後の発行となった。今年度の論文集は、このウェブページで代えることとなっている。論文集を購入をされた先輩方は楽しんでいただいているだろうか。


1998年5月21日
個人研究発表
 今日は大山さんが体調を崩してお休み。来週が学部デーで休講になるので、夏合宿について日程調整をした。合宿やタイ旅行、家族旅行などなどメンバーのスケジュールを調整するのが大変。千葉くんは就職活動ではないのに、スーツで登場。「私服を着る気がしない」とのこと。まさにサラリーマン予備軍。
 発表は、3年生の二人。発表の間隔が短く、どうしても内容が薄くなってしまうのは、しょうがないか。先生も指導に力が入る。
指導に力が入る先生
先生の板書はこちら


1998年5月14日
個人研究発表
 今日は、4年生の千葉くんが就職活動のため欠席。橋本さんも就職活動のため遅刻、3年生の本田くんも競走部の活動のため遅刻と、人数が集まらなかった。先週欠席した茅島さんがお土産の砂糖をまぶした干しリンゴをみんなに振る舞った。
 しかし、発表はきちんと行われた。欠席の千葉くんの代理で、上田くんが先日放送された英国のドキュメンタリー番組を見ながらの発表を行った。遅刻をした橋本さんも新聞の切り抜きを使いながら発表を行った。


1998年5月7日
個人研究発表
 就職活動が佳境に入りなかなかゼミに出席できないが、今日の欠席者は茅島さんのみ。簡単に休ま(め)ないのは少人数のため。
 今日は発表は、福岡さんと大山さん。今日は3年生がコメントをすることに。先輩の発表に対してコメントすることは難しいのだが、ぜひ積極的にコメントして欲しい。


1998年4月30日
個人研究発表
 ゴールデンウィークに突入したが、当然授業は行われた。先生は休講も考えておられたが、結局ゼミを行うことに。
 この日の発表は、上田くんと茅島さん。二人の発表とも、なかなか社会が変わらないことを嘆くことに。先生からも弱音が漏れる。渡英される前の「何とかブルー」か。先生の頭痛の種はWindows95にアップグレードしたところ、印刷がうまくいかなくなっていることもあるのかも。


1998年4月23日
個人研究発表
 先週に引き続いて3年生の二人の発表が行われた。章立てがはっきりとし、研究のペースが早まる。


1998年4月16日
98年度講義開始
 今年度の講義が始まった。4年生6人と、3年生2人の合計8人と人数は少なくなったが、発表の頻度は高まり、発表時間も長くなった。教室は研究室がある27-7号館の121教室。小さなテーブルがついた椅子が並ぶ教室だ。上沼先生は「国際部が授業する教室だから、ハイカラだ」と悦に入っている。
 今日は3年生二人、小島くんと本田くんの発表が行われた。二人は、本庄合宿時に指摘されたことを反映させた、新しい章立てを発表した。先生から「4年生は就職活動で忙しいだろうし、3年生の発表が少なくなるから、来週の3年生の発表を」という提案があり、すんなり来週も3年生が発表することに。


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